黒木くんとメモ帳 その10
夢を見ている。
夢の最中に「あ、夢を見ているんだな」なんて理解することはそうそうないが、今は夢の中だと何故か確信できる。
別におかしな状況にいるわけではない。
俺の眼前に広がるのはバイト先の書店。
レジの前で姿勢を正している俺と、本棚を整えている新田さん、そして清掃中の店長。
週に一度は見ている光景で、これが夢の中だという証拠にはならない。
なら、俺は何に違和感を抱いている?
わからない。
「いらっしゃいませ」
新田さんがよく通る声で挨拶して初めて、店にお客さんがやって来たことに気付いた。
その人は男性で、どこかで見たことがある気がする。
彼は書店に来たというのに本には目もくれず、レジに立つ俺に声をかけてきた。
「やぁ、調子はどう?」
「調子ですか? 良くも悪くもない……ですかね」
「ははは。そうかそうか、それは良かった。この間は悪かったね、怒鳴ってしまって」
「怒鳴る? 誰が誰を怒鳴ったんですか?」
話の流れからいくと俺が彼に怒鳴られたことになるが、あいにく心当たりはない。
「あぁ、あまり気にしていないということかな。ありがとう、君は心が広いんだな」
「はぁ……?」
彼は、戸惑っている俺に一礼すると店から出て行った。
全くもって意味がわからない。
だが、何故か心は晴れやかだ。
「いらっしゃいませ」
店長が挨拶をしたことで、店にお客さんがやって来たことに気がついた。
太陽のような笑顔を振りまいて周囲の人間を元気にする……渋谷じゃないか。
一瞬誰かわからなかったが、今店に入って来たのは紛れもない渋谷美奈だ。
彼女がどんな本を選ぶか気になったが、先ほどの男性と同じようにレジに向かってくる。
「なおちゃん元気?」
「あぁ、ぼちぼちな。渋谷こそ大丈夫なのか?」
「ちょっと手首が痛いけど、あとは全然大丈夫。みんなが助けてくれたおかげで無事で済んだんだよ」
「……無事?」
彼女は何かに巻き込まれていたのか?
交通事故とか?
俺は知らないはずなのに、どうして最初に「大丈夫なのか」と聞いたんだ?
考え込んでいると、渋谷が再び何か言い始める。
「なおちゃんこそ大丈夫なの? あんまり顔色が良くないけど」
「そうか? 俺なんて年中健康だよ。今日だって階段から落ちたくらいで……階段?」
階段から落ちるって、俺は何を言っているんだ?
怪訝な顔をしているであろう俺に、渋谷は微笑む。
そして彼女は手を振りながら店から出ていった。
「私は頑張ったと思うよ、黒木くん」
「……え?」
振り返ると、笑顔の新田さんが。
その後ろには店長が立っている。
「そうだね。僕もそう思うよ。もしかして、前に言ったこと、聞こえてたのかい?」
「前に言ったこと?」
俺は首を傾げることしかできない。
「私のはわかるでしょ? いつかあの子を守ってあげる日が来るかもしれないって」
「……そういえば、そんな話をした……気がします」
前に新田さんとカフェに行った時のことだ。
良い感じだった異性と上手くいかなかった新田さんが、俺にアドバイスをくれた。
でも、あの子って誰だ……?
「全く、いくら強く頭をぶつけたからって忘れすぎじゃないかい? 僕も将来こうなっちゃうのかなぁ」
「店長と黒木くんのは全然違くないですか? まぁ、あとはあの子に任せましょうか」
「そうだね。あとは若者同士……的なね」
勝手に会話を進めて二人は消えてしまった。
あの子も何も、店には誰もいないのに。
「……あれ」
そう思っていたが、よく見ると向こうに誰かいる。
後ろを向いていて顔はわからないが、とても美しい黒髪だ。
俺は彼女を知っている。
いや、知っているだけじゃない。
何か深い感情を抱いている。
「行かなくていいのかい?」
横から声が聞こえた。
また知らない男だ。
ヒョロ長い男で、俺は彼に対して何故か怒りを覚えている。
だが、反対に彼の顔は穏やかで、俺に何かを伝えたいようだった。
「行ったほうがいいと思うよ」
言う通りにするのは癪に障ったが、俺は彼女のもとへ行くことにした。
カウンターを出て、ゆっくり近づいていく。
彼女は何冊かの本を物色していて俺に気付かない。
あ、一冊手にとったぞ。
俺も好きな本だ。
いい話題が見つかったな。
「ねぇ、君もその本が好きなの?」
声をかけると、彼女は身体を俺の方へ向けてくれた。
だが、その顔が眩しくてよく分からない。
「黒木くんがおすすめしてくれたんですよ、この本」
確かに微笑んでいた。
俺は、彼女の笑顔が見たかったんだ。
何このよくわからない展開って思いましたか?
僕もです。
黒木がいきなり目覚めるのも味気ないと思ったのでぶち込んでみました。
次回は黒木くんも起きてくれると思います。




