黒木くんとメモ帳 その9
次回〜次次回くらいでこの章が終わります。
「この章のんびりしてないやんけ!」と思うかもしれませんが、こういうスタンスなのは今回と「三上と黒木の出会い」(四章予定)だけで、またのんびりに戻ります。
今後ともよろしくお願いします!
「ここが渋谷がいるかもしれないアパート……ですか?」
タクシーを降り、南條先輩に問いかける。
「そのようだな。念の為に大山田に声をかけておいて正解だったかもしれないな」
「……そうですね座長。あなたか失われることは、この世の演劇の歴史に傷をつけることになる」
大山田と呼ばれたガタイの良い生徒は、南條先輩率いる劇団の団員らしい。
妙に元気がなく見えるが、おそらく声が響かないように気を遣っているのだろう。
心なしか、先輩も普段より静かだ。
「年季の入ったアパートですね。階段を登る音でバレないように注意しないと」
鉄骨アパートの階段は登り降りの際に音が響きやすい。
氷の上を歩くような繊細さが必要だ。
「ふむ。とりあえず時間が惜しい。タクシーの中で立てた作戦通りに動くぞ」
先輩の言葉に3人が頷き、行動を開始する。
作戦はこうだ。
司宅の扉を背にして左に渋谷のスマホを配置し、彼が扉を開けた際に気付くようにする。
その間、劇団メンバーは扉の死角に待機。
目標がスマホを回収するために出てきたところを確保。
俺と三上は階段を登ったあたりで待機し、必要に応じて行動する。
上級生として、先輩は俺たちに危害が及ばないよう配慮してくれているようだ。
それもあって、大山田という屈強な助っ人を呼んでくれたのだろう。
完璧なタイミングでの行動のお陰で、司の無力化はスムーズに完了した。
彼と先輩の問答はまるで劇を見ているような、不思議な気分だった。
意味が全て理解できたかと問われれば首を横に振るしかないが、何故か俺は、司が伝えたいことを心で理解しているように感じる。
だからだろうか、俺は彼の言葉に耳を貸してしまう。
「なぁ、君!」
「……俺、ですか?」
初対面の俺に何故声をかけてきたのか、それが気になって返事をしてしまった。
「あぁ、君だよ。君に聞きたいことがあるんだ」
一歩、また一歩と司はこちらへ近づいてくる。
彼は大山田より一歩こちら側、南條先輩の隣にまで進んだ。
だが、それ以上は許さないというふうに、大山田が彼の肩を掴めるよう準備している。
「君、名前は?」
「……黒木です」
「そうか。黒木くん、君は僕が言っていたことは理解できるかな?」
美しかったものが老いる。
自由に動かせていた身体が言うことを聞かなくなる。
人間として生きている以上、仕方のないことだ。
でも、彼が言いたいことも分からないわけじゃない。
「……少しは」
だから俺は頷いた。
俺の返答を聞いて、司は馬鹿にしたように笑った。
その表情は俺にしか見えない。
「なら良かったよ。なぁ、僕はもう連れて行かれるんだろう? 最後に君と話がしたいんだけど、そっちに言ってもいいかな?」
「……少しなら」
「良かった。何もしないから安心してくれよ」
その一言を聞いて、俺の脳は危険信号を発した。
何故かは分からない。
しかし、彼の左右で色が違う靴下が、俺を見下したかのような表情が何かを告げている。
――そうだ。司は俺に理解させようとしているんだ。
「――ッ! 大山田さん!」
急いで大山田の名前を呼ぶ。
「ははは。君こそ一番愚かじゃないのか? 理想が手に届く距離にあるのにどうして無駄な時間を過ごしているんだ!? それを失う悲しみを教えてやるよ!」
だが、それと同時に司は走り出した。
突然の行動に大山田は虚をつかれ、その手は司の肩を掴むことができない。
彼は大きな笑みを浮かべながら迫ってくる。
その狙いは俺ではない――三上だ。
「三上、後ろに!」
そう叫んで腰を下ろし、司との衝突に備える。
俺が盾になれば最悪の事態は避けられる。
二人の距離は当然のように縮まり、ついにはぶつかり合う――はずだった。
「おらぁぁぁぁあ!」
間一髪、司を追って走り出した大山田がその身体を押さえ込むことに成功する。
鍛えているであろう体格の大山田と頼りない司では、もとより歩幅が違う。
三上に達することがないというのは当然のことだった。
「良かった。これで安心だ――」
――俺が覚悟を決めることができたのは、三上に危険が迫っていたからだ。
自分以外の人間を守ろうと決めた時、人間は勇気を出せるのだろう。
敵意の対象が自らに向けられていた場合、大抵できるのは身体を固めることか、後ずさること。
俺が振り返った瞬間。
そう、三上が向かってくる司の狂気に後退り、ちょうど階段から宙に放り出されるところだった。
「――三上ッ!」
気付けば、俺の身体も宙に浮いていた。
いや、浮いていたのは数えることもできないほど短い間だけだ。
翼がない人間にできるのは、せいぜいクッションになることくらい。
俺は三上を抱き寄せ、自分の身体を下に向けて階段を滑り落ちている。
不思議と痛みはない。
ただ、俺の脳内には抱き止める直前の三上の驚いた顔が焼き付いていた。
少しずつ遠くなっていく空が止まる。
俺の身体が地面に接したようだ。
三上が大粒の涙を流しながら、俺に何かを言っている。
こんなに取り乱した彼女を見るのは初めてだ。
どうにかして安心させてやりたい。
そうだ、後で、前に彼女が言っていた味のついた水を飲んでみよう。
感想を伝えてやれば、きっと三上も安心してくれる。
急に身体から力が抜けて、目の前が真っ暗になった。
直近のポイントが高い連載作品を厚めに更新するため、続きが読みたいと思った方はぜひ星5評価お願いいたします!
初めて読んでくださった日にポイント頂けますとランキングになる可能性が上がりハッピー&モチベアップです!




