黒木くんとメモ帳 その5
この章も終わりに近づいてきました
稽古場の扉をノックして中に入ると、南條先輩がふんぞり返って待っていた。
「待ち侘びたぞ! おぉ、まさか三上も入団希望だとは思わなかった! これは楽しくなるぞ……」
「こんにちは。でも、俺たちは――」
「いやぁこんなに嬉しいことはそうそうないな! アイスの当たり棒を拾った時くらい嬉しいぞ!」
それは嬉しいのか?
自分で当てる方がまだ嬉しい……っていうかどちらもそこまで幸福指数が高くないと思う。
「私たちは先輩に聞きたいことがあってきました」
「なんだ、そうだったのか。それならば遠慮せずに聞くが良い!」
俺がどれだけ話しても聞く耳持たずだったのに、三上が声をかけた途端、面白いくらいスムーズに会話が進んでいく。
自分だけ違う言語で話しているのかと錯覚してしまうな。
それはさておき、早く本題に入らねば」
「実はですね、美奈ちゃんが――」
「――なに!? それはいけないな! 我が劇団の宝の身に何かあってはいけない。急いで彼女を探さなくては!」
いつのまにか正式メンバーとして数えられていた渋谷。
真偽は定かではないが、三上の分かりやすい説明のお陰で南條先輩もことの重大さを理解してくれたようだ。
「それで、二人は一目散に私のところに来たわけか?」
「いえ、その前に徳本さんって人のところに行ってきたんです。あんまり言っちゃいけないんですけど、渋谷が出る予定のドラマに関係あるんじゃないかと思って」
「けど、美奈ちゃんの名前を出した途端に怒ってしまって、話を聞けなかったんです」
もっとゆっくりと距離を詰めて警戒心を解いてからの方が良かったのだろうか。
だが、あの状況でそんな時間はなかった。
今でもどうすれば良かったのか考えている。
「……あぁ、確かにあの人は思い込みが激しいし気難しいからな。基本的に機嫌がいいが、それでも自分に探りを入れてくる人間には激しく怒りを露わにする」
顎に手を当て、頷きながら答える先輩。
「まさしくそういう感じで怒鳴られてしまって……って、先輩知ってるんですか!?」
まるで知り合いかのような口ぶりに驚いて声が大きくなってしまう。
すると南條先輩は、さも当然のように言った。
「そりゃあ、演技のアドバイスを貰ってるし、何度か脚本を提供してもらったこともあるからな。言うなれば私の師匠のような人だよ」
「えっ……」
三上は希望を見つけたように目を輝かせる。
「あの、南條先輩の方から徳本さんに連絡をとっていただくことはできますか? 先輩が理由を説明してくれれば、きっと……」
「もちろんだ! 三上の頼み、渋谷の危機……それと黒木の願いとあれば聞き届けよう!」
「ありがとうございます先輩! 一瞬俺のこと忘れてましたよね!」
「ははは! 細かいことを言うな!」
高らかに笑いながら、先輩は徳本さんに電話をかけてくれる。
「……もしもし、南條です。いきなりなのですが、先ほど若い男が徳本さんを訪ねたと思うのですが……はい。実はですね、渋谷の名前を出したのは……」
二、三分のやり取りののち、先輩は通話を切ってスマホをしまった。
こちらへ振り返り、深く息を吸う。
「喜べ二人とも! 今から徳本さんに会えることになったぞ!」
俺、三上、南條先輩の三人がタクシーを降りたのはテレビ局の前。
車から降りて顔を上げると、つい1時間前に俺を怒鳴った男の顔があった。
「さっきの男の子だね。よく話も聞かずに記者だと決めつけて悪かったよ」
徳本さんはこちらへ駆け寄り、謝罪と共に右手を差し出した。
「いえ、こちらこそ急いでいたとはいえ、いきなりすみませんでした」
「しっかりしてるね、君」
俺も手を出し、固い握手を交わす。
「お世話になってます。こうして面と向かって会うのは久しぶりですね」
「南條くんも久しぶりだね」
最後に三上が降り、こちらへ到着するまでの短い時間、先輩と徳本さんは演劇関係であろう話をしていた。
「お待たせしました。初めまして、三上澪です」
「……三上さんね、よろしく。それじゃあみんな、とりあえず会議室で話を聞かせてもらおうかな」
「はい、お願いします!」
徳本さんを先頭にして後に続く。
入り口に立っていた警備員は彼の顔を見ると俺たちから目を離した。
局内は質素で、清潔感と移動のことだけを考えているようだ。
「……初めて入ったな」
「私もです。楽屋の扉に芸能人の名前が書いてありますね」
不安な心を紛らわすためか、俺たちは会議室に着くまでの間取り留めのない会話をしていた。
三上はあまりテレビを見ないからか、芸能人の名前にあまりピンと来ていないようだ。
「ここなら今空いているから、さぁ入って」
徳本さんが扉を開け、俺たちが入るのを待ってくれる。
それぞれお礼を言って会議室に入り、徳本さんが座るのを待つ。
「ははっ、礼儀正しいな。座ってどうぞ」
パイプに申し訳程度のマットがついた椅子に腰掛ける。
「徳本さんかなり顔色が良いですね。前まであんなに隈が濃かったのに」
「よく気付いてくれたね」
何気ない南條先輩の一言。
徳本さんはその質問が大層嬉しかったようで、両口の端を吊り上げる。
「実はね……ついに専属のマッサージ師を雇ったんだよ!」




