自販機 その2
突然の声に驚き振り返ると、いつものごとくキラキラとした雰囲気を振りまきながら、渋谷がこちらに向かってきていた。
「やっほー」
黒い無地のTシャツに、同じく黒く、紫色のラインが入ったジャージパンツ。
俺が同様の格好をしてもだらけた風にしか見えないだろうに、彼女はそれを「ラフ」とか「ストリート」のような枠組みへと昇華させていた。
「今日は仕事休みだったんだな」
「それがね、予定より早く撮影が終わったのよ。だから、久しぶりに学校行くぞーって張り切ってたんだけど、早く着きすぎちゃったから自販機で飲み物買いつつ二人を探してたってわけ」
「もしかして、メッセージとか送ってくれてたか? 全然見てなくて」
暇だといいながら怠惰に過ごしているうちに、予想以上に時間が経っていたようだ。
仮にその間に渋谷が俺たちにメッセージを送っていたとしたら、なかなかに申し訳ないことをした。
「ううん! 次の講義の教場に行ってもいなかったら聞こうと思ってたけど、ありがとね!」
「ならよかった」
「むしろ探す手間が省けてラッキーよ。それより、二人ともここにいるなんて珍しくない?」
普段なら講義時間中だからな。
「今日は講義が早く終わったから、黒木くんとここでぼーっとしてました」
「早く終わったっていうか、もはや講義を受けに来てるか生存確認しにきてた感じだな」
「あはは、なにそれ?」
事の顛末というか、教授の孤独な戦いを説明すると、渋谷は両手を叩いて笑いながら、三上の横に座る。
「なぁんだ、こんなに時間あるんだったらみんなで次の講義サボってどっか行きたかったな〜」
「今週も教科書の内容なぞるだけだろうし、それも良かったかもな」
「あー、確かにそうですね」
毎週サボるのはよろしくないが、計画的なサボりならむしろ大学生の腕の見せ所だろう。
試験に出そうな回や出席を取りそうな回をうまく見極め、それを的中させた時の「してやった」感は癖になる。
「っていうか、暇人の巣窟にいるくらいなら、二人で遊び行っちゃえば良かったのに!」
「い、いや、まぁ……な」
そりゃあ三上とデートできれば嬉しいが、基本的に真面目な彼女に、わざわざ俺のために講義をサボらせるというのは避けたい。
……というより、彼女にとって、俺にそれほどの価値があるとは思えない。
そんなことは理解しているが、夢から現実に引き戻される感覚はあまり味わいたくはないのだ。
「ね、澪もそう思うでしょ? この間、駅前に新しくできたカフェ行きたいって言ってたしさ」
思わず冷や汗をかいてしまう。
渋谷は善意から言っているのだろうが、返答によっては一人の人間の心が死んでしまうぞ。
耳にするのも恐ろしかったが、少しだけ、苦手なホラー映画を薄めで見るようにそれを待つ。
「そうでした! すっかり忘れてました……」
予想外の答え。しかし、がっついていると思われないよう、ゆっくりと三上の方へ身体を向ける。
「へぇ。気になってるところとかあったのか?」
「駅前に白黒?モノクロ?のカフェができたみたいで、黒木くんと行きたいなって思ってたんです」
「そうそう。今流行ってるんだよ? 出てくるメニューもモノクロなの」
「二人とも流石だな。俺なんてカフェができたことすら知らなかったよ」
冷静に会話しているように取り繕ってはいるが「黒木くんと」という言葉に舞い上がりそうになっているのを必死に抑えている。
もちろん、これが友達に対する好意だというのは承知の上だが、それでもときめいてしまうし、顔が熱くなる。
だが、隠し通すのもこれが限界で、徐々に口の端が吊り上がっているのを感じでしまう。
彼女達が会話を続けている間に、どうにか気を逸らさなければ。
なにか、考えられそうなことは……。
そういえば、自販機で飲み物を買ったと言っていたな。
ふと見ると、彼女の手にはペットボトルが握られていた。
普段なら興味が湧くものではないが、話の流れもあるし、渋谷にも何を買ったか聞いてみよう。
「渋谷、それ、何買ったんだ?」
「ん? あ、ペットボトル?」
指をさす先を見て、渋谷は俺の問いを理解した。
手の中にあるのでラベルまでは認識できないが、飲料自体は透明だ。十中八九、水だろう。
おでん缶だったりよく分からん味のジュースだったりしたらどうしようかと思ったが、透明なら水か炭酸水くらいしかないはずだ。
よかった、俺の趣味がおかしいわけでは――。
「コーンポタージュ味の水だけど」
「はぁ!?」
「なに!? どうしたの!?」
思わず大きな声を出してしまった。
なんだ?最近の女子大生のブームは変な味の飲み物を買うことなのか?
「コーンポタージュ味の水を買うくらいなら、コーンポタージュを買った方が良くないか?」
「分かってないなぁ〜。なおちゃんは普段何飲むの?」
「え、エナドリとかが多いな」
「あぁ、ブルーナントカってやつ飲んでるもんね。確かに水とかエナドリなんかも美味しいけど、パンチに欠けない?」
「えぇ……」
しかし、混乱する俺とは反対に、三上は嬉しそうに軽く拍手をしている。
「それ美味しいですよね。程よい甘味です」
「そうなのよね〜。一発屋みたいな感じかなって正直ちょっと舐めてた。箱買いしよっかな」
謎の飲み物のお陰でトークに花が咲いていた。
カフェの件といい、俺だけが流行りに取り残されているのか?
いや待て、大切なことを見落としていた。
二人は別に、俺のチョイスが変だなんて一言も言っていない。
そうだ、偶々そういう日に当たっただけだ。
あるよね、いつも買わないものにチャレンジしたくなる日。大抵普段と違うことをした次の日は体調を崩すものだ。
うんうん。それが二人同時に表れるなんて、いやぁ不思議だなぁ。
そうして現実逃避気味に自分を誤魔化していると、三上が俺の肩を叩く。
「どうした?」
「黒木くん、そういえば今日のメモなんですけど」
「う、うん」
そうだそうだ。渋谷との会話ですっかり忘れていたが、今日の分を聞き忘れていた。
どんな内容なんだろう、また教授の娘さんの話かもしれない。
きっとそれだ、今日起こった珍しい出来事なんて他に――。
「黒木くんは、さつまいもジュースを飲んだことがない、です」
「えぇ! かなり珍しくない!?」
「そうですよね。びっくりしました。
……やっぱり俺がおかしいのか?