自販機
「……暇だな」
「暇ですね〜」
俺たちが通う大学のキャンパス内にある施設の中に、大きなビルのような建物がある。
この建物も校舎の一つであり、もちろん教場があるのだが、焦茶色の無機質な外観に、張り巡らされた窓ガラスと、おおよそ学び舎には見えない。
その内部も同様に異質で、小さい図書館や食堂、果てには空中庭園なんてものが設置されている。
しかし、お陰で生徒たちには、憩いの場としてしばしば利用されているのだ。
とはいえ、何を隠そう今をときめく大学生である。
なんでもできる気がしている年頃なもので、まとまった空き時間があれば、大抵の生徒は友達と学外へと、貴重な思い出を作りに行ってしまうものだ。
こんなに素晴らしい校舎だが、使用しているのは課題を減らすのが趣味の生徒か、友達のいないぼっちか、中途半端な空き時間を持て余した暇人くらいなものである。
そして、俺たちは「中途半端な時間を持て余した暇人」というわけだ。
本来の俺たちであれば、この時間は講義を受けているはずなのだが、以前娘の課金について悩んでいた教授は
「娘の課金を止めてきますので今日の講義はここまで!」
と、貴重な前期十五回の内の一回を開始五分で消費してしまった。
そのため、次の講義までの一時間ちょっとを突如渡された俺たちは、ビル校舎でまったり雑談をしているというわけだ。
俺たちがいる二階の大部分には、大小さまざまなソファや椅子が置かれており、同じように限られた大学生活を「有効に」使っている生徒たちが点在している。
「暇だな」
「暇ですね〜」
話題になりそうなものすら見つからない。目に入るものと言ったら、若干数の教室と、自販機だけだった。
そうそう特徴的のある生徒が現れてくれるわけではないし、俺の視線は自然と馴染みのある機械に吸い込まれてしまう。
横並びに三台置かれている自販機の中身は、大体同じようなものである。
まぁ、多数の生徒が買うことを想定しているのだし、ラインナップが平凡なものになるのは仕方ないのだが、やはり話題力には欠けるな。
……そういえば、三上が自販機で飲み物を買ってるところを見たことがない気がする。
そもそもカフェのような飲食店以外で飲み物を口にしている姿も見ない。
アイドルはトイレに行かないとは昔良く聞いたものだが、違う世界に住んでいそうな彼女達は、本当に身体の構造も違うのかもしれない。
よし、会話の内容としては下の下だろうが、全くの無言というよりはいいだろう。
俺としては、こうやってのんびり過ごす時間も心地よいのだが、一般的な女子というのは会話を好むものだと聞くし、どうにか興味を持ってもらえるように話を振ってみるぞ。
「み、三上は普段、自販機でどんな飲み物を買うんだ?」
いきなりすぎたし、直球すぎた。
こういうところで女性経験がないのが露呈してしまうんだよなぁ。
だが、そんな失敗とは裏腹に、彼女は微かに身体をこちらに向けてくれる。
「自販機ですか?」
どうやら、ギリギリだが合格点に達したようだ。
三上の優しさで大幅に加点されているという事は考えないでおく。
「えーっと……」
しかし、思いの外悩んでいるようで一向に答えは出ない。
やはり、俺の記憶の通りあまり自販機を利用しないようだ。
そのまま待っていると、やがて彼女は両手をぽんと合わせて、何かに気付いたような素振りを見せた。
「あ、最近だと、おでん缶買いました」
「おでん……缶…………?」
「おでんが入ってる缶です。美味しかったですよ」
「それ自体は……知ってるな」
おでん缶が何か分からないわけではなく、それを買う状況がわからない。
そもそもどこで買ったんだ?
おそらく大半の人がそうだと思うが、秋葉原以外に売っている場所を俺は知らない。
街中でこいつを売っている自販機を見かけたら得した気分になる、それくらいのレアアイテムなのだ。
「あれ、実は防災用なんですよ。こんにゃくが刺さってる串で食べれば手が汚れないのが嬉しかったです」
「意外としっかり採点してるんだな」
まぁ、三上は好奇心が強いし、テレビか何かで見て興味を持ってしまったんだろう。
これも彼女を理解する上では有益な情報には違いないのだが、あいにく俺が聞きたいのはもっとこう、普通の飲み物の話だった。
「普通の飲み物は買わないのか? 俺は最近、ブルーイーグルをよく飲んでるな」
「あ、そういう系統の話だったんですね。だったら……」
普通じゃない飲み物の話をする習慣があるのだろうか。
そもそもそんな話を習慣的にできるほど、特徴的な飲み物は多くないのではないか。
さまざまな疑問が浮かんでしまったが、そこに突っ込むほど野暮ではない。
「さつまいものジュースを買いましたね」
「謎の飲み物ばっかりだね!?」
桃とかりんごならわかるけど、さつまいものジュース?
そんなものがあることすら知らなかった。
「お茶とかミルクティーとかも飲むんですけど、自販機じゃなくてコンビニで買うことが多いです。コンビニにしか好きな飲み物が無くて」
「あ、あぁ! そういうことか!」
「……?」
良かったぁ〜!
ようやくの安心感というやつだ。
ひょっとしたらいつもファミレスで、飲みたくもないお茶を飲んでいるのかと焦っていた。
そうだな、考えてみればコンビニがあるじゃないか。
自販機でしか飲み物を買わないと思うなんて、発想がおじいちゃんか俺は。
「……自販機に強いこだわりがあるんですか?」
三上は不思議そうに首を傾げている。
……まずい、このままでは彼女に「自販機でのチョイスで人間を判断する男」だと思われてしまう。
自販機でのチョイスで人間を判断するってなんだよ。水を買ったら透明だから個性がなくて、エナジードリンクを買ったら生活習慣が乱れてると思われるのか?
そんなことはどうでもいいが、とにかく急いで訂正しなければ。
「そういうわけじゃなくて、普段三上が自販機を使ってる所を見ないなと思って」
「ふふっ……そういうことだったんですね。確かに、あんまり使わないかもです」
俺の返答が予想外だったのか、目を細めて笑う姿がとても可憐で、思わず目を逸らしてしまう。
「いや、コンビニに行くって選択肢がなんでか抜けてて、変なことを聞いたみたいなら悪かった……」
「いえいえ。興味持ってもらえて嬉しいですよ?」
両手の指を合わせてこちらの顔を覗き込む三上。
頬にかかる真っ黒な髪と、それとは正反対に白い肌のコントラストにどきりとする。
よくよく考えたら、結局のところ自販機での選択なんてなんでも良かったのだ。
今の俺の目的は、彼女と楽しく話をすることなのだから。
多少チョイスがズレていたとしても、むしろそういう所が三上の良いところだと思える。
そうだったなと、多少の満足感を胸に隣を見ると、いつの間にか本日のメモタイムが始まっていたようだ。
ただペンを走らせているだけだというのに、その動作一つ一つから上品さが伝わってくる。
ペンが自身の命を削りながら奏でる音はとても儚く、耳を澄ませなければ聞くことも叶わない。
その様はどこか持ち主に似ていて、気を抜くと三上はさらに手の届かない存在になってしまいそうな不安感をいつも感じている。
しかし、文字の産声が止むとともに、その気持ちもどこかへ消えてしまった。
書き終えたみたいだ。
「今日は何て書いたんだ?」
俺が尋ねると、待ってましたとばかりに三上は口を開き――。
「あ! 二人ともこんなところにいたんだ!」
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