放棄村の玲ちゃん
日本の人口が九千万人を切って、地方放棄政策が進行している。僕が生まれた村も放棄村に指定されて、僕は家族と共に地方都市へ移り住んだ。十二歳のときだ。
僕の故郷の村は東北地方の山間にあり、農業と林業ぐらいしか産業はなかった。八つの集落からなる村で、人口は全集落を合わせても千二百人ぐらいだった。小学校での僕の同級生は栗林玲ちゃん一人だけだった。
玲ちゃんは元気な女の子で、僕と山や川で遊び回っていた。魚釣りをよくやったし、山菜やキノコ採りも小学生にして会得していた。僕の名前は森野真一。真ちゃんと呼ばれている。
放棄村に指定されると、一年以内の移住が勧告される。一年以内に移住すれば、一世帯当たり上限二千万円の移住補助金がもらえる。一年が過ぎれば、もらえなくなる。たいていの家族は移住を選択する。
放棄村では、一切の公共事業が行われなくなる。役場は消え、ライフラインも止まる。水道の供給も送電もなくなり、ガス事業者も撤退する。そこでは普通の人は生きていけなくなる。
放棄村や放棄町は全国各地でどんどん指定されていて、日本には無人地帯がしだいに広がっている。
ごく稀に移住しない人がいる。そういう人は自給自足で生きていく。玲ちゃんとおじいちゃん、おばあちゃんは僕たちの村で唯一の残留を選んだ家族だ。玲ちゃんの両親はずいぶん前に交通事故で亡くなっていて、祖父と祖母が彼女を育てた。二人は生まれ育った村から出て行くのを嫌がり、残留を決意した。
玲ちゃんは施設に移る手もあったのだが、彼女も残ることを選択した。子どもながらに悩んだ末のことだ。当時、僕は彼女とよく話し合ったから、彼女がよほどの決意で残ったことを知っている。彼女はおじいちゃん、おばあちゃんと離れたくなかったし、この土地が好きだった。
両親と僕と妹は人口七万人ぐらいの地方都市に移住した。父が移住補助金でマンションの一室を買った。住みよい街だったけれど、そこにも衰退の影はすでに忍び寄っていた。駅前の商店街には活気がなかった。そこに住みながら、僕は中学、高校、大学へと進学した。
僕はときどき玲ちゃんの家に遊びに行った。放棄村は三十キロぐらい離れていて、辿りつくのはたいへんだった。日帰りはむずかしかったので、たいてい土曜日に行き、日曜日に帰った。自転車で二十キロほど走り、途中から山道に入った。その山道もハイキングコースとかではないから、荒れ果てていて、蜘蛛の巣だらけだった。僕は街でしか手に入らない服とか薬とか釣り針とか包丁とかいろいろな物をリュックサックに詰め込んで、山道を登った。動物と出くわすこともある。熊や猪には要注意だ。
玲ちゃんとおじいちゃん、おばあちゃんはいつも歓迎してくれた。僕が持って行った贈り物を喜んでくれた。いつだかトイレットペーパーを持って行ったときは、玲ちゃんから「水で洗っているからいいよ。今度からこんなかさばるものはやめて、別の物を持って来てくれたらうれしいかな」と言われたことがあった。「トイレットペーパーもありがたく使わせてもらうけどさ」
おじいちゃんは猟師で、ライフルで鹿や猪を撃ち、僕に肉を食べさせてくれた。弾丸は街まで買いに行っているようだ。狩猟免許を持っていない僕には弾丸を買うことはできない。獣の解体の仕方を、おじいちゃんは玲ちゃんに教えていた。獣を獲る罠の仕掛け方も伝授していた。
要するに玲ちゃんたちは狩猟採集生活をしている。飲料水は湧き水だ。人間がいなくなって、村では動物が大繁殖している。たった一人の猟師のおじいちゃんは撃ち放題で、肉にはまったく不自由していない。畑は動物に荒らされて、維持がむずかしいようだ。玲ちゃんとおばあちゃんは熱心に山菜やキノコを採っている。
僕が玲ちゃんに会いに行くのは、彼女たちを助けたいからという理由だけではない。野生的な生活が楽しいからだ。放棄村で週末を過ごすのは、僕にとって趣味のアウトドアライフのようなものだった。
玲ちゃんは浅黒く日焼けしていて、髪の毛も雑に短くカットしているだけで、野生児そのものだけれど、表情は明るくて、元気だ。街暮らしでお金に不安のない大多数の人たちより、楽しそうに見える。
僕が高校三年生のとき、おじいちゃんが熊に襲われて死んだ。大学二年生のときにはおばあちゃんが重い病気になった。たぶん癌だったと思うけれど、おばあちゃんは病院に行くことなく死んだ。僕は一人ぼっちになった玲ちゃんに、放棄村から出て街で住まないかと勧めた。
「いいよ。今さら街には住めないよ。一人でもここで生きていく」
玲ちゃんは狩猟免許を取得した。僕も取った。僕が弾丸を買って持って行くと、玲ちゃんはすごく喜んでくれた。幼い柴犬を連れて行ったときは、もっと喜んでくれた。
「これで寂しくないよ!」と大喜びだった。
玲ちゃんは犬に正雄と名付けた。おじいちゃんと同じ名前だ。
正雄が成長すると、僕と玲ちゃんと正雄とで狩りをするようになった。狩りの後で、鹿や猪をナイフで解体する玲ちゃんの手際はとてもいい。僕は森で枯れ木を拾って来て、炭を作る。二人と一匹で新鮮な獣肉の炭火焼きを食べる。最高の贅沢だ。
僕が焼酎を持って来て、飲むこともある。いろいろな話をする。
「街の暮らしはどう」
「快適だよ。ずいぶんと時代の移り変わりは早くて、ほとんどの仕事はAIとロボットがやってくれるようになった。人間の仕事は激減したけれど、生活給付金がもらえるから、普通に生きていける。父さんと母さんも仕事をやめちゃったよ。僕も就職しなくても食べていける。たぶん仕事はしないよ」
「へぇ。そんなことになっているんだ」
「贅沢さえしなければ、遊んでいられる時代だよ」
「そいつはうらやましい」
「玲ちゃんも都市に来れば、生活給付金がもらえると思うけど」
「いらないよ。ここで生きていく。真ちゃんは今までどおり遊びに来てくれるでしょ」
「来るけどさ。だんだん道が荒れてきて、たいへんだよ。もう山道じゃないね。獣道だよ」
「道の整備までは手が回らないなぁ。ごめんね」
「玲ちゃんが謝ることはないよ」
僕が二十五歳のとき、日本の人口が八千万人を切った。僕の住んでいる地方都市がまるごと放棄都市に指定され、県庁所在地への移住が勧告された。移住すれば補助金も生活給付金ももらえる。この地方都市はライフラインも止まる。残る選択肢はない。僕は家族と共に移住することにした。
移住する前に玲ちゃんに会いに行った。
「僕の街は放棄都市になっちゃった。また移住するんだ」
「市でも放棄されるんだね」
「日本では札幌圏、仙台圏、首都圏、名古屋圏、近畿圏、広島圏、高松圏、博多圏に人口が集約される。その他いくつかの特別圏のどこかに住まないと、生活給付金がもらえなくなるんだ。集約化によって効率的な都市運営ができて、浮いたお金が生活給付金になるんだよ」
「なんだか私は取り残された原始人みたいだ」
「玲ちゃんみたいな人は日本の各地に点在しているようだけど、どのくらいいるのか政府も把握していないらしいよ」
「そうだろうね。おじいちゃんとおばあちゃんの死亡届も出していないし」
ちなみに僕は仙台圏に住むことになる。
「今までよりずっとここに来るのがむずかしくなるよ。今は自動車はすべて自動運転車になっているんだけど、それは圏内の道路と圏間を結ぶ高速道路しか走らなくなるんだ」
「真ちゃん、たまにでいいから来てよ」
「うん。まぁ、仕事もなくて暇だから、がんばって来るよ」
僕は自転車と徒歩で玲ちゃんの家に通い続けた。警官にここから先は危険です、と制止されることもあった。僕は警官の見張り場所を避けるようになった。そのうちに警察制度が改革されて人間の警官がいなくなり、衛星監視システムで僕の居場所を特定したAI警官が制止するようになった。
「この先は管理地域外です。お戻りください」
「それは勧告だよね。禁止ではないだろう?」
「禁止ではありませんが、この先で怪我をされても、救急車は行きません」
「承知の上だよ」
玲ちゃんの家に着くと、一週間ぐらいは宿泊するようになった。どうせ仕事もないのだ。街で時間をつぶしているより、ずっと楽しかった。ただし、許可も受けずに半月以上圏内で居住していないと、生活給付金がもらえなくなってしまう。ずっと放棄村にいるわけにはいかなかった。
あるとき正雄が死んで、玲ちゃんが泣きじゃくっていた。僕は雄と雌の柴犬を入手して、彼女に贈った。
「ありがとう、真ちゃん。これで犬を増やすよ」
玲ちゃんは大喜びした。
彼女が喜んでくれて、僕も嬉しかった。
彼女の今後が心配だった。
圏内での暮らしは、僕が初めて地方都市に移住したときとは激変している。人間は政治、経済のすべてに渡って、AIに依存していた。仕事をする人間はいなくなっていた。
ところで、僕は玲ちゃんと遊ぶのを至上の喜びとしていたが、街で友達がいないわけではない。元仙台市長を父に持つ伊達道宗という男と大学で知り合い、交流を続けている。伊達は政治家になるつもりだったが、市長や議員などの職業もなくなって、彼も一般遊民の一人である。
彼とときどき酒を飲むが、「つまらない。人生がつまらない」というのが口癖だ。
「AIが作るゲームや映像や小説を楽しんでいるだけでも、暇つぶしはできるじゃないか。おまえはサッカーチームにも入っているし、十分楽しく生きているように見えるけど」
「すべては暇つぶしさ。おれは全身全霊をかけて仕事をしてみたいんだ。おれが全力を出せばどれほどのことができるのか試してみたい」
「おまえが全力を出したって、そこいらのAIの1パーセントの仕事もできやしないよ」
「つまらない。人生がつまらない」
彼はぐいっとビールをあおる。このビールだって安くてなかなか美味いのだが、彼はいつも少し不満そうなのである。
「おまえは何やら楽しそうなことをしているようだな。管理地域外に行って、何をしているんだ?」
僕は玲ちゃんと放棄村で過ごしていることをあまり口外しないようにしている。危険だからやめろと言われたり、変人に見られたりするからだ。でもまぁ、長いつきあいのこいつには話してもいいだろうと思い、故郷の放棄村で幼馴染が狩猟採集生活をして暮らしていることと、ときどきそこへ行って遊んでいることを説明した。
「面白そうだ。それは面白そうな人生だ」
「たいへんだぞ。並みの人間じゃできない。彼女は生活給付金をもらっていないんだぜ」
「AIに養ってもらっているのが、おれは我慢ならないんだ。ぜひその放棄村に連れて行ってくれ」
「自転車で圏内を50キロ、動物がうろうろしている廃道を40キロも走り、その上獣道を10キロ以上這い登ってやっと到着する場所だぞ。おまえに行けるのか」
「圏内は車で移動すればいいだろう」
「なんで自転車を持っていくのか、いちいちAIに説明したりするのがめんどうくさいんだよ」
「いいぜ。体力には自信がある。サッカーをしているからな」
「圏外に出ると救急車は来ないし、熊が出没する。命の保障はできないぞ」
「かまわない。おまえの幼馴染に会わせてくれ。人生の教えを乞いたい」
伊達は真剣なようだ。
「到着するのに12時間以上かかるし、何泊かしてくることになる。でかいリュックサックを用意してくれ。道中の飲み物と食料と多少の着替えを詰め込むんだ。あと、彼女への贈り物を持って行くと、喜ばれると思う」
「何を持って行けばいいんだ。まさか装飾品とかじゃないだろう?」
「当たり前だ。山では手に入らず、生活に役立つ物なら何でも喜ばれる。おれは今回は弾丸と醤油の一升瓶を持って行くつもりだ。そう言えば、前回会ったときに、しっかりした靴が欲しいと言っていたな」
「サイズはいくつだ」
「24センチ」
「24センチの女性用トレッキングシューズを贈れば、喜ばれるか」
「ます間違いなく喜ぶだろう」
1週間後、僕と伊達は放棄村に向かった。獣道を登ったり、藪漕ぎをしたりするのを何時間も続けるのは、サッカーとはまったく別の体力と精神力を必要とする。伊達は放棄村に着いたとき、「死ぬかと思った」とつぶやいた。
玲ちゃんは見知らぬ人物を見て警戒していたが、僕の友達で、悪いやつじゃないと紹介すると、1段階警戒レベルを下げたようだった。
伊達が女性用トレッキングシューズのカラフルな物とシックな物の2足を贈ると、彼女はすっかり笑顔になった。
翌日、玲ちゃんと僕と6匹に増えていた犬は、伊達を連れて狩りに出た。鹿を1頭仕留めた。ついでに山菜を摘んで玲ちゃんの家に帰った。
家はしっかりとした木材で建てられていて、建て替えることなく使われている。
伊達は湧き水を飲み、獣肉と山菜を食べる生活がすっかり気に入ったようだった。
「これこそ人生だ。おれが求めているものだよ」
この1回だけではなく、伊達は毎回僕と一緒に放棄村に通った。玲ちゃんや犬たちともすっかり打ち解けて、僕たち3人は仲間になった。伊達は玲ちゃんを尊敬して、師匠と呼んだ。
「おれは給付金をもらう生活をやめる。ここで暮らそうと思う」とある日伊達は言い出した。
「単におれがここで暮らすだけじゃない。おれはここにコミュニティを作ろうと思う。仙台圏での暮らしにうんざりしていて、山暮らしに適応できそうな男と女を選んで、小さな集落を作るんだ」
政治家の息子はこういう発想をするのか。僕は楽しい遊び場が変質するのが少し嫌だったけれど、玲ちゃんはどう思うのだろう。
「もちろん師匠の許可が得られればの話だけど」
「別にいいよ。ここは私の私有地じゃないから。ここで生きていけるのなら、やってみれば」と玲ちゃんは言った。「ただし、私は世話なんかしないよ。伊達くんもここで暮らすと言うのなら、独り立ちしてね」
伊達はややびびったようだった。
「師匠は村の再興に協力してくれないのか?」
「勝手にやって。邪魔しないけど、協力もしない。めんどくさいから」
「村人ができたら、交流ぐらいするよね?」
「人づきあいなんて忘れちゃった。楽しければ、するわ」
僕はここに移住するつもりはなかった。
「僕は仙台圏の暮らしも気に入っている。ときどき遊びに来るぐらいがちょうどいい。住むつもりはないよ」
「真ちゃんが住んでくれるのが一番うれしいんだけど」
「いいとこ取りするみたいで悪いけど、今の生活を続けたい」
「いいわ。真ちゃんは今までどおり家に泊めてあげる」
話の大筋は決まった。
伊達は行動を開始した。元仙台市長の息子で政治家志望だっただけあって、彼には行動力がある。
まず、放棄村の廃屋を一軒選んで、自分が住めるように改築した。廃屋はすっかり植物に侵食されて、動物のねぐらになっていたが、基礎はまだしっかりしていた。彼は大工道具を持ち込んで、作業をした。僕は手伝ったが、玲ちゃんは伊達がどこまでできるか試すように、見守っているだけだった。半年ほどかけて、伊達の家ができた。
彼は狩猟免許も取得して、自力で狩りをするようになった。
そして放棄村に移住できそうな人を選定した。AIに養われる暮らしに飽き足らなくて、自然の中での暮らしに憧れている人はけっこういた。伊達はその中から、慎重に放棄村に移住できそうな人を選び、話をもちかけた。
希望する人を彼は放棄村に連れて行き、自宅に泊めて、山の暮らしを体験させた。こんな暮らしは無理だと思う人もいたし、ここで住みたいと考える人もいるようだった。
伊達は生活給付金をもらうのをやめてでも移住したいと言う男女を二十人ばかり選び出し、移住の準備を始めた。このころには僕は彼とは一定の距離を取り、玲ちゃんと遊んでいた。
肉を食い、酒を飲みながら、玲ちゃんと話をした。
「伊達の移住計画は成功するかもしれないな。あいつは本気だし、やると決めたら、すごい力を発揮する男だよ」
「そうみたいね」
「村が復活するかもしれない。効率を求めて大都市に集約し、縮小するばかりだった人間の生活圏が、ほんのちょっとだけだけど広がる。これはすごいことだよ」
「案外、日本や世界のあちらこちらで起こっていることなんじゃないかしら」
玲ちゃんはそんな洞察をした。
「何の情報もないからわからないけどさ。こういうことがどこか別の場所で起こっていても、不思議じゃないでしょう?」
「そうだね」
さらに何年かが経過した。伊達たちは山に定住し、狩猟採集生活をしている。もはや放棄村ではなく、小さいながらも立派な村だ。動物避けの柵を立てて農業を始める人もいたし、鍛冶に取り組む人もいた。玲ちゃんも村の人と馴染んで、楽しそうに暮らしている。とてもよかったと思う。
日本統治AIは村の存在を知っているはずだが、生活を妨害したりはしなかった。もちろん村人に生活給付金はくれないし、一切のサービスを提供しない。完全に放置していた。
僕は35歳になった。
相変わらず毎月1週間ほど玲ちゃんの家に泊まり、遊んでいる。
彼女と結婚し、この村に定住しようかな、と考えるようになっている。