前章1-4 恐怖の開始
バチっと視線が合う。店の真ん中。釘付けだ。しまった。無数の眼が生子を睨む。自我を皮一枚で保ちつつもスマホを床に落としてしまう。聞こえるのは荒くも規則正しい自分の呼吸。1秒が何倍にも感じられる苦痛…。直感が告げる。やばい奴だと。私が一番焦っている。
「おぉい!お前ぇ!」
そこに、無謀にも勇敢な男性が一人。手には「さすまた」が。大した正義感である。しかし。
「…」
言葉が通じるわけでもない。分かると思うが、いま生子と男性が見ている者は人ならざる何か。映画でしか見たことのない世界が、ここにあった。残念ながら。男性の怒鳴り声を受けてそいつは、ぬらりと男性の方に向き直ってみせた。言葉こそ勢いがあった男性も腰がひけ、震えているではないか。
(見ているしか、できない……)
なぜこんな事になったのか。理由は誰もが知りたい。でもまず、この事態が無事に収まりますように。
しかし。待ってはくれない。さっきまで人型をしていたが四つ足の獣のような姿へと変貌した。スミロドンのように発達した犬歯があやしく輝く。
「そ、そんな事をしたって…!」
大した正義感だ。振りかぶってさすまたの「Y」の先端で思い切りぶん殴った。鈍い音をたててそれは命中する。虎(仮称)も数歩後退るのみで、これは決定打になってはいなかった。力任せに振りかぶるワンパターンの攻めが続く中で虎も僅かなスキを見逃さない。上段の構えからさすまたを振り下ろす時、前方がガラ空きになる。そこを前脚の爪を用いて彼の腹を着ていたYシャツごと切り裂いた。
相当爪が食い込んで切れたのか、ぶしゅあっと血が噴き出た。後ろによろめいて仰向けに倒れてしまった。
(ああぁ…)
商品棚の影に隠れている生子。逃げるタイミングを完璧に逃した。影から覗いてみれば、ぜぇぜぇと息も絶え絶えな男性に虎がのそりと歩み寄る最中であった。
「よs――」
あぁ、見てはいけないと生子は必死に息が上がりそうな自分を制しながら目をそらした。スマホがない!置いてきてしまったようだ。
いっぽう虎の方はというと。男性の首を思い切り噛み千切った。お分かりだとは思うが動物園から逃げ出した虎ではない。
そうして虎は、棚の後ろに何かを感じた。遺骸の隙間をゆっくりゆっくり歩みながら、まだ血が付着していない棚の前で止まった。ぐちゅりと瞳孔が縮まる。
(へぇ…!?何…)
押しつぶされそうな圧を後ろから感じる。さっきのヤツが私を仕留めに来たとピンとくる。棚を隔てて対峙している両者。心ばかりが急いで体が追い付かない。動けない。「どうせ歯向かった所で」という諦めと「でも何とかしたい」という矛盾が陰陽のマークの形をとって混ざらない。答えが出なければ動く事など到底出来そうになかった。
生子の生死が決まろうとしていた。