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第4話


「こっちだー。こっちー!!」

「バカかてめぇ敵チームだろぉが!!」

「ちっ、バレたか」

「にゃろう…」


ぽーんぽーん、とボールが次々にあれよあれよと回されていく。昨日とは違い、初めてチームをわけてみたからみんな最初は戸惑っていたみたいだけど、どうやら3ゲーム目にもなると慣れたようだ。

今日も今日とて快晴。

サンサンと嫌味なくらいに射した日差しがじりじりと肌を焼いていく感触。川に入っているから暑くてたまらないわけではないが、もう少し控えめに照っていてくれてもいいと思うのは俺だけだろうか。きっと俺なんだろうな、うん。だってみんな日差しなんて気にしないとでも言うように水球に夢中になっている。ボールを回して、ゴールに投げて、それを阻止する手が伸びる。上がった水しぶきに目をかばえば、あっという間に目の前にあったはずのボールは誰かの手に渡っていてしまった。


「トモさん!!ボーっとしてないでボール取って下さいよ!!」

「ごめんて。次はちゃんとするから」

「はっ、俺のチームが負けるわけあるかよ、いくらトモヤがいるからって」

「ハジメ…その言葉あとで後悔するぞ」


そして。

昨日あんなに悩んでいたのが嘘だったみたいに、ハジメは普通に楽しんでいた。仲間と連携プレーを為して、すばらしい一致団結で俺たちのチームに立ちはだかってくる。そんなハジメも加わったせいか、昨日とは比にならないくらいの盛り上がりを見せていた水球は、ゲームの展開が早すぎる。俺、正直ついていけてない。

だがしかし、あそこまでハジメに宣言されてしまうと俺も黙ってやられるわけにはいかないのだ。ボールを奪ったのがハジメだったってのがすげぇ悔しいし。

一度水に頭を突っ込んで、ゲームに集中する。昨日あれだけハジメにえらそうに言っておいて俺が集中しないでどうするよ。がむしゃらに遊ぶんだろ、何も考えず体を動かせ。そう言い聞かせて、ゲームに参戦。ちょうど近くにいた奴にボールが回ってきたからそれを奪うと俺は形勢逆転と言わんばかりにゴール近くにいた仲間にボールを回した。


「さっすが、トモさん!!」

「トモさんひでぇっすよ!!」

「ひどかない。これは勝負だろ」


今ので、ハジメももう少しやる気になったらしい。敵対心の視線がギラギラこちらに向いているのが分かる。こりゃもう駄目だな。今日も夕方くらいには体がボロボロになっているはず。まぁそれはみんな…もちろんハジメを含めたみんなもだろうけど。


「ガンバレー!!」


ゲームに参加していないカヨを始めた女の子や小さな男の子が声援を送ってくる。さすがにこの激しすぎるくらいの激しい水球に女子供は参加はできないらしい。ケガすると危ないしね。が、しかし。見ていてこれは楽しいものなのだろうか。

少しそれが心配になって声援を送る子供達に視線を向けてみると、誰も彼も笑顔だ。どうやら楽しいらしい。プレーしている友人に自分を重ねて見ているでもしているのだろうか。

ゲームが始まったのは俺が来てすぐ。家を出たのが午後十二時くらいだったから…いったい遊び初めてから何時間くらい遊んだのだろう。今の時間も全然分からない状態だ。一時頃、この場所に顔を出せば待ってましたとばかりの歓迎。腕を引っ張られ、背中を押され、やるんだろ?なんてハジメに言われれば断る事も出来なくて。

そろそろみんなの体力も限界に近づいてきたのか、さっきから動きが鈍い。もちろんそれは俺もだが、ハジメはまだまだ遊び足りないらしい。昨日は本気を出していなかったから…という理由だったが、元々基礎体力が高いらしく体力有り余るといった感じだ。まったくもって体力バカとしかいいようがない。でもやっぱり、昨日の提案は間違ってなかったんだと自負し、ひとり微笑む。


「…なに笑ってんだよ」

「いや別にー」

「気持ち悪い。おら、休憩だってよ。お前ら体力なさすぎだろ」


ちょうど笑っていた所はハジメに見られてしまったらしく、苦笑いを浮かべてごまかした。なんだか少し照れくさそうにそっぽを向いて罵声を吐くあたり、昨日の事をまだ気にしているのか。それともまた違う理由なのか。ヤツ当たりにも見えなくはないその発言に、回りから否定の言葉が飛ぶ。


「ハジメがありすぎるんだよ!!」

「どんだけ体力あるんだよ!!」

「トモさんだってバテてんじゃねぇか」

「おいこら待て!!誰がバテてるって?」


失敬な。確かに少し疲れはしたが昨日ほどへばってはいない。現に今みんなのように座り込んではいないし、呼吸だってそんなに乱れてはいない。でもハジメはそれ以上に疲れた様子を見せていなかった。いったい普段どんな生活をしていればそんな体力がつくんだと尋ねてみたくなる。

カヨちゃんに飲み物をもらい、その手渡された水筒にそのまま口をつける。ん、と隣にいたハジメにそれを回せばなぜか渋い顔をされてしまった。


「…んだよ」

「…ちゃんとカップに移してから飲めよ」


とかなんとか言いつつも、ハジメもそのまま飲んでいる。人に言えた事か、なんて心の中で悪態付いているとカヨちゃんが妙に活き活きとした様子で身を乗り出してきた。


「さすがトモくんね!!ハジメちゃんのことうまく操縦するんだから」

「操縦?」

「こらカヨ。誰が操縦されてるって?」

「あら。だって現にさっき楽しそうに遊んでたじゃない。あんなハジメちゃん見たの初めてよ」

「…ふん」

「すねないすねない。いいことなんだから」


そっぽを向いたハジメをなだめるカヨを横目に、俺は小さく笑みを漏らした。兄妹じゃないのが信じられないくらいこいつらは仲がいい。まぁ、なだめられているその姿を見ればどちらが年上か分かったもんじゃないけれど。


「トモヤ…お前今すっげー失礼な事考えてただろ」

「気のせい気のせい」

「トモヤー!!」

「ほら、再開するってよ。参加するんだろ?」

「当たり前だろ!!」


ふん、と息づくハジメを見て、俺とカヨは顔を見合わせて笑った。

昨日のようなハジメよりも、やっぱり元気で明るい、でも素直じゃないハジメを見る方が安心する。昨日は元気もなくて、水球も楽しそうではなくて、無駄に素直だったからな。言い返さなかったし。

体力を取り戻したやつらが、早くさっきの続きをやろうと促してくる。どんだけ遊びに飢えてんだ、とため息もつきたくなったが俺はふっと笑った。中学生なんだから、このくらい元気があってもいいだろう。どちらかというと、俺たちが不健康な遊びをしていたんだから。家にこもって、外に出る事はなく四六時中テレビゲームに夢中になって。秘密基地なんてもんは小学生で卒業した。カナタはもうその頃からくだらねぇの一言で一蹴していたけれども。それでも無理矢理誘ってカナタと俺と二人だけの秘密基地を作ったのはいい思い出。なんであんなに楽しかったのに、この感覚を忘れてしまっていたんだろうか。

きっと、回りの環境が悪かったんだ。

東京にはこんなに思い切り遊べる場所は少ない。公園に行ってもすでに誰かに占領されていたり、不良がたむろしていたり。秘密基地を建てていても、雨が降った次の日には壊れてしまっていたり。仕方ないから、という理由で結局テレビゲームに夢中になって、それが繰り返されて、いつからか秘密基地なんてもんの存在さえ忘れてしまっていた。

…懐かしい。

そういえば、あの頃カナタと子供なりに一生懸命作ったその秘密基地は、今はどうなっているのだろうか。


「………」

「どうしたの?」

「いや、なんでもない。じゃ、参加してくる」

「行ってらっしゃい」


笑って送り出してくれるカヨに笑顔で応える。

すでに先陣切って川に飛び込んでしまっているハジメに習い、気持ちを無理矢理切り替えて川へと飛び込んだ。

…軽いホームシックに陥りそうになってしまった。

ホームシックって言っても、今の俺の家はここにあるんだが。

でも、俺が帰りたい家はここではない。

本気で、カナタに養ってもらおうかと考えていたところ、バシッと勢い付いたボールが俺の頭に直撃。犯人は誰だと疑う暇もなく、その飛んできたボールを掴むと、俺は力一杯そのボールをなげつけた。

もちろん、ハジメに。


「ハジメーっ!!」

「ははっ、ぼーっとしてんのが悪いんだよ!!」


その怒号を合図に、ゲームが始まる。

水しぶきが舞い、歓声が上がる。冗談であろう口汚い言葉が飛び交えば、そこはもう戦場のようだった。負けじと声を出し、敵チームに応戦。ちらりと見たハジメは、やっぱり楽しそうだった。

仕方がない。

今更どうこう言った所で、俺の帰る場所はもうあそこではなくなってしまったんだ。あの地元にこだわる割には、カナタ以外会いたいと思えるダチはいないし、親父だってもうあの街にはいないんだから。もちろん、イチだって…。母親も今はここにいる。ばぁちゃんだってここにいる。ハジメだって、カヨだって、他のたくさんの友達がここではできた。

帰れない。帰っても意味がない。

それは分かっているのに、なんで俺は今でもあの街にこだわっているんだろうか。やはり思い出があるからか。なに、思い出なんてもん、こっちでだって作れる。そんな理由なら早々に諦めてしまえ。

いや。それだけではなんだ。

それだけではない…はずなのに、今の俺はそれがなんなのかが分からない。


「おらぁ!!」


声が上がる。

歓声がいっそう大きくなる。

楽しいのに、楽しくない。

ここを好きになったはずなのに、物足りない気がするのはなぜか。

あぁ、だめだだめだ。いくら考えたって今の俺には分かりはしない。考えるだけ無駄ってもんだ。それに、どっちが楽しかったとか、誰と遊んでいた時の方が楽しかっただとか、そんなの考えるだけ無駄だし相手に失礼ってもんだ。せっかくみんな楽しんでいるのに俺がそれをしらけさせてどうするよ。ハジメをやる気にさせた張本人だろ。集中しろ集中。


「………」

「ゴールだぁ!!」


勝ち気取りの声が上がる。

俺が見えていないのか。させるかよ。


「逆転するぞぉ!!」

「おーっ!!」


飛んできたボールをキャッチして、自分のゴール方へと大きく弧を描くように投げる。我ながらなかなかの飛距離だった。俺の本気を見た相手チームの覇気も上がり、味方チームのテンションも上がる。なにより、上がったのはハジメだろうが。


「逆転なんかさせるかよ!!」


現在の戦績は5-8。

巻き返せる可能性は十二分にある。

とりあえずやれるだけやってみようと、俺は一度頬を叩き気合いをいれるとボールがあるその方向へ泳いだ。



それから数時間後。

さすがに、キツかった。

日は落ちて、辺りは薄暗くなりつつある時間帯。いつもならば、すでにこの川には誰もいない時間であろうその時間、俺たち一同は屍累々という言葉がお似合いだった。というのも、未だに体力が回復せず岩場に体を預けて休憩中。さすがのハジメも息を切らして倒れ込んでしまっている。


「はっ、結局引き分けかよ…っ」

「引き分けばっかだな、俺たち」

「ばっか。あの喧嘩はお前の作戦勝ちだろ」

「へー。負けを認めるんだ」

「…次は負けねぇよ」


確かにあれは俺の作戦通りだったけれど、ハジメが素直に負けを認めるのは意外で、正直驚いてしまった。

くん、と鼻をならしてハジメがだるそうな体を起こす。そろそろ帰るか、なんてカヨに言うあたり、やっぱりこいつは子供達のリーダーとしていい素材だと思った。確かにそろそろ帰らなくては、ばぁちゃんが作ってくれる夕飯が冷めてしまう。いつもならできる前には帰り着いているけれど、今日は遊びに熱中したせいで間に合わない事は分かり切っていた。

母さんに何か言われるだろうか。

…あまり期待はしていない。おしかりを期待するっていうのも変な話だが、あの抜け殻のようになってしまった母親があの状態でしかるとは考えにくい。

そんなことを思っていると、ハジメがぽつりと声を忍ばせて言った。


「今日は、天体観測中止だな」

「は?なんで」

「雨が降る」

「………」


再びくん、と鼻を鳴らすその様はまるで犬みたいだった。野生の勘…いや、長年ここでの暮らしで自然と身に付いたものなんだろう。雨が降った後のアスファルトが濡れたあの気持ち悪い臭いなら俺でも分かるが、さすがに降る前兆なんてものは分からない。ふと思いついたように空を見上げてみても雲はなくただ薄暗くなっているだけの空が広がっていた。

さんさんと輝いていた太陽はいつの間に沈んだのか。あれだけ遊びに夢中になっていればそれは気づくはずもないわけで、俺は不意に陰った自身の場所から再び空を見上げた。


「ほら、早く帰らねぇとびしょ濡れになるぞ」

「…まじかよ」


ゴロゴロと音をたてはじめる空。

慌てて子供達は帰り出す。

やばい、と思ったのも束の間、雲は大きな雨粒を降り注いだ。











ハジメの勘は大当たりだった。

雨が降った、という言葉では足りないくらいの大粒の雨が地面を叩く。古屋のこの家の雨漏りが少し心配になるほど。


「トモくん、早く食べてしまいなさい」

「あぁ、うん。ありがとばぁちゃん」


すでに母とばぁちゃんは食べてしまった後らしく、テーブルの上には俺一人分だけの食事が並んでいた。遅くなってごめん、と軽く頭を下げ帰ってきた俺は突然振ってきた雨で全身びしょ濡れで、食事よりも先に風呂へと促されたのだ。

雨で冷えた体は風呂に入った事でほかほかに。遊びすぎて空腹感ばかりを感じていた腹は一人分にしては多すぎないかと思うほどの夕飯で満たされた。

いつものことだが、風呂に入り夕飯もすませてしまえば俺は手持ちぶさたになってしまう。とりあえず居間を出て、自室に戻ったはいいがすることがない。

仕方なく、いつもよりも早い時間にカナタへと電話する事にした。

例え会話が続かなくても、カナタはだるい面倒臭いの理由で俺との通話は切らない。俺からの話題を待つか、自分から話題を振っかけてくるかのどちらかだ。絶対に自分からは切らない。チーム関係でなにかごたごたがあった場合は別だけど。それでも後でかけなおしてくれるのは、カナタは俺に何かと甘いからだと思う。

すっかり俺の部屋が定位置となってしまった子機を手に取る。昼間はばぁちゃんが充電していてくれているらしく、電池が足りないなんてことになったことはない。

窓を叩く豪雨の音をBGMに俺はその番号を押した。

カナタの番号だけはしっかり頭にインプットされている。それはいつなにかあった時のために、とカナタに抜き打ちで番号テストをさせられていたから。アイツは実の親よりも俺に過保護すぎる。

そんなカナタが大好きで、嬉しいと思っちゃう俺もどうかと思うけど。


「…あれ?」


切のボタンを押して、再びその番号を押す。それを何度か繰り返して俺は首をひねった。


「なんで…?」


つながらないのだ、1コールたりとも。

聞こえてくるのは女の人の声。電源を切っておられるか電波の届かない所に…の例のあれだった。

東京で電波がつながらないって…まぁ稀にあるけれども、それは本当に稀だ。滅多にない。そして、カナタが電源を切っているという可能性もかなり低い。そんなこと、かつて一度たりともなかったから。出ない事はたまにあったとしても、カナタの携帯からこの声が聞こえた事は初めての事だ。なにかあったのか…?


「………」


呆然として手元の携帯に目を落とす。

こういう時、どうすればいいのか分からない。

前に住んでいたところならまだしも、今俺がいるのはド田舎だ。東京とは遠く離れた田舎だ。心配になっても、カナタが今どこで何をしているかなんて知る事も調べる事もできやしない。

雨が戸を叩く。

風が窓を揺らす。

ごろごろと鳴る空は薄暗く、今日は唯一の癒しである星も見えやしない。月も、星も、空も、路も、すべてがすべて闇に包まれて、それが一層不安にさせる。

嫌な想像を頭を振って追い払い、せめてこの闇が見えないようにとカーテンを閉めてゴロリと布団に寝転がった。


「カナタ…」


もしかしたら集会なのかもしれない。

知らぬ間に、電源が切れてしまったのかもしれない。

どうにかこうにかポジティブに考えようとしても、浮かんでくるのはボロボロになったカナタの姿。かつて一度だけ、その姿を見た事がある。今までカナタよりも強いヤツがいるなんて思わなかったから正直その姿を見て喧嘩でやられたというカナタの言葉が信じられなかった。小さい頃から拳法やら武術やら護身術やらに手を出していたカナタ。親友の俺が自慢した所で何もないが、とにかくその強さは素人でも分かるもの。普段の目つきも恐ろしいと距離を置かれているカナタだが、喧嘩の時のその目つきはそれの比にならない。

でも俺はその一人しか知らない。

カナタが一度だけ負けたというそいつしか、カナタより強いヤツを知らない。でも今は味方同士…というか同じチームだからそいつと戦うなんてことはないんだろうけど、それでも心配になるのは俺が親友バカだからだ。

カナタはとことん俺に過保護だけれども、俺も十分負けていない自身がある。


「交通事故とか…ないよな…?」


…シャレにならん。

カナタはバイクに乗っているし、無免許で。俺がどんなに止めろと言っても聞いた試しはない。確かに下手な免許持っているやつよりもそのテクは惚れ惚れするほどだが、無免許には変わりないのだ。いつ事故を起こしていても不自然ではない。カナタだし。安全運転するヤツじゃないし。免許持っていても事故るやつは事故るし。

そう、イチみたいに…。


「………」


バカだ俺。

なんで今思い出したんだろう。

なんで今更、イチのことなんか思い出してしまったんだろう。

ただでさえ、カナタが今どこで何をしているか不安で仕方がないのに、まるでとどめを刺すかのようにイチのことを思い出してしまった。しばらく忘れる事ができていたのに。

俺にとってイチは、俺の精神安定剤のひとりだった。

ネガティブ思考な俺を支えてくれる中のひとりだった。

でも死んだ。

亡くなったのは、つい最近の事だ。


「………」


もう一度子機を手に取り、リダイヤルを押す。その声が聞こえてきては切を押して再びかける。

一体それを何回繰り返したんだろう。

気が付けば自室に戻ってから裕に二時間は経っていて、その事実が俺をまた愕然とさせた。

何度かけてもつながらない。

不安で仕方がない。

ついには幻聴さえも聞こえてくる始末。


「………」


これは、バイクの音だろうか。

豪雨の音に混じるバイクの音はカナタの乗っていたバイクのエンジン音にとてもよく似ていた。交通事故の予兆か?笑えねぇ……って。


「は!?」


思わず勢いつけて起きあがった。そのせいで激しい頭痛がした。

痛む頭をおさえて、かまわず俺は急いで玄関へと向かう。慌てたせいで廊下ですっ転ぶ。靴を履くのに時間がかかる。

ええい、まどろっこしい!!

焦れて、かかとの部分を踏んだまま俺は勢いよく戸口をスライドさせて外へと飛び出した。

外は相変わらずの豪雨。風が髪をなびかせて視界を遮る。雨がせっかくあたたまった体を再び冷たくしていく。雷が鳴る。ぬかるんだ地面に靴がはまり、じわじわと泥水が浸透していくのが分かった。

雨が容赦なく体を濡らす。服がべっとりと体に張り付く。光が見える。人影が見える。

あれは…。


「ありえねぇ…」


けたたましい豪雨の音に消え入りそうなその声は、しっかりと俺の耳に届いた。電話越しではないその声。俺よりも低くて、いつもだるそうで、それでも発する言葉は優しいその声。

ヘルメットを取ったその横顔は、闇に消えてもおかしくはないのに、俺の目にはしっかりとカナタの表情を写し込んだ。




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