第四十話㋓ 暴虐の赤(七日目)
「エカルラトゥ様、朝です」
アリアの起こす声が聞こえる。
目を開け、周囲を確認しながら、精神が入れ替わった事を自覚する。
体をほぐし、アリアが入れてくれた紅茶を飲みまったりしていると、アリアが神妙な顔で席に着く。
「どうしたんだ?」
「エカルラトゥ様、昨晩の試飲会の折りに、フィル様達が蒸留酒に竜種の劇毒を盛っていました」
「え…… 本当なのか? この状況でなぜそんな事を……」
「私も一晩考えましたが、敵国として貴族たちに危害を加えたかった、くらいしか思いつきませんでした」
「もしかしたらだが、毒で死なない程度に苦しんでいる貴族や商人達に、のちのち連絡を取り、解毒薬を餌にして良いように動かす予定だったんじゃないか?」
「竜種の劇毒に解毒薬があるのです?」
そういえばあっちの件は一切話していないはず、聖女の件もあるから下手に話せない。
「あるかわからないな……解毒魔法すら有ると知られていなかった毒だからな」
「……もしかして、何か知っているのですか?」
「いや……」
ジト目でアリアが見てくる。
目力が強くて正視できずに目を逸らしてしまう。
「何か隠していますね? さあ白状してください!」
どうやら逃げられないようだ。元々隠し事など俺には土台無理な話だったのだ。
なんとか聖女の事をぼかして、アロガンシア王国の竜種の劇毒事件を話す。
「……」
話し終わるとアリアは目を瞑り、何かを考えているのか一切動かない。
しばらくの間無言で時を過ごしていると、考えがまとまったのかアリアが言葉を発する。
「エカルラトゥ様は、スカーレット様の味方なんですよね?」
「そうだな、あの二人には世話にもなったし、行動には一部を除き賛同もしている」
「では二人で亡命しませんか? アロガンシア王国の行動に一切賛同できません、一人の女性を国を使って囲い込もうなんて……」
「アロガンシア王国は母国ながら度し難いとは思っているが、傾国なんて言葉があるんだ、一人の女性を巡って国が傾いたり戦争へと傾く事は歴史にもあるだろう」
「だからギデオンのやった事を許せというのですか?」
アリアが第二王子を敬称付けずに呼び出した。
どうやら俺が思っている以上に、ギデオンのやった事に対して怒りを感じているようだ。
「そうじゃない、国を捨てるほどでは無いと言いたいんだ」
「もう国に対して守りたいという気持ちが湧いてこないのです」
「もしモデスティア王国に亡命したとして、アリアの両親や兄妹達は納得出来るのか?」
「両親達の事を考えると決意が鈍りますが、すでに騎士になりたいと宣言した時に、家を捨てる覚悟をしました」
名門貴族の令嬢が、結婚せずに騎士となると言い出せば、勘当されてもおかしくは無い。
結果許されたのだろうが、アリアはそれほどの覚悟をして騎士になった訳か……。
「だとしても考え直せと俺は言う」
「何故ですか! そもそもエカルラトゥ様は王家の血筋なのに、王位継承権を貰えなかった国にどうして仕える事が出来るのですか?」
「昔はただ流されて生きていただけだが、今は両国の関係を良くしたいからここにいる。たしかに亡命すれば、ナタリーやスカーレットに大手を振って会いに行ける、が両国の関係はどうなる? 見て見ぬふりをするのか? 泥沼になるのを傍から眺めて平穏に生活できるのか?」
「それは……」
「俺はアロガンシア王国の中にいるからこそ、戦争を回避出来るように動けると思っている。権力者達の命令は、時には不快に思う事もあるかもしれないが、ここぞの時に動ければそれで良い」
「……」
俺の言葉に多少は考える所があったのか、アリアは目を瞑り再び考え込んでいる。
正直言うと亡命したいという気持ちは俺にも少しはある、だがそうなれば後は指をくわえてみる事しか出来なくなる。
状況が悪くなれば、間者かもしれないという疑いも持たれるだろう。
亡命するにしても、両国の関係がある程度良くないと、平穏にはすごせない。
「申し訳ございません、短絡的な思考だと言われても仕方がありません」
「俺も人の事は言えない、亡命したい気持ちは、少し前まで持っていた」
「そうなのです?」
「ああ、どうしても二人に会いたくなってな……」
ナタリーに会いたくて仕方が無かった時に、ふっと思いついてしまっただけだが、本気で考えたわけではない。
結局は姉に会いたいという気持ちと同じだった、今考えると少し依存していたのかもしれない。
「そういえば話すのを忘れていましたが、アンジェリカ様より縁談の話がきています」
「はぁ!?」
「スカーレット様がお茶会の席で言われたそうです。しかも王領を少し割譲して、そこにアンジェリカ様が女大公となるそうなので、その婿としてです。のちのち国を介して縁談の話をするそうですよ」
「マジでか……」
「エカルラトゥ様は当然断るのですよね?」
若干アリアの顔がにやけている気がする。
話題の順番が作為的に感じるのは俺だけだろうか……。
「……ああ」
ここまで散々語っておいて、この話に飛び付ける筈が無い。
いやまあ受ける気は無いが、無いけど……勿体無いと思わなくもない。
それに女大公の婿となれば、国に影響力もあるし、両国の関係も良くなるように動けるかもしれない……が、そこに飛び込む勇気が俺には無い。
「はぁ……あとはフィルに聞きたいことが出来たな。まさか竜種の劇毒を盛る事に賛同するなんてな……」
「騎士として尊敬していましたが、正直がっかりです」
昔は俺もアリアと同意だったが、前にあった森林火事の事件からフィルに対して不信感を感じていた。
筋が一本通った先輩だと思っていたが、不信感から信じきれなくなってしまった。
まだ事実と決まった訳では無いが、ここまで来ると疑うなという方が難しい。
「今からフィルに問いただしにいくかな……」
「では私もついていきます」
つい呟いてしまった為に、アリアが付いてくることになってしまった。
一人で行ってはぐらかされるよりかは良いかもしれない。
フィルの部屋へと向かう前に、昨日あった出来事をアリアに聞く。
スカーレットが怒りに燃えていたと聞き、あちらでは一体何が起きているのかと想像すると恐ろしい、考えないようにしよう。
廊下へと出るがあいかわらず兵士が一人もいない、モデスティア王国には頭が下がる。
フィルの部屋に着き、中に通されると、目に隈をした青い顔のフィルがソファーに座っていた。
夜更かしでもしたのだろうか。
「なにかようか? こちらは荷造り中だが……それとも先日の命令違反について言及したいのか?」
「命令違反?」
もしかしてスカーレットが何か命令されて断ったのだろうか。
アリアに顔を向けても首を傾げるだけで理由は知らないみたいだ。
「もう忘れたのか、試飲会の時にお前が蒸留酒の毒見役を断っただろ!」
「ああ、なるほど……」
理由が合致したので、納得してしまい変な返答をしてしまう。
「何がなるほどだ! お前に付き合っている暇は無い、帰って荷造りでもしてろ!」
どうやらかなりご立腹のようで、邪険に扱われる。
「その前に聞きたいことがあるんだが……単刀直入に聞こう。何故毒を盛ったんだ? しかも竜種の劇毒なんて代物を……」
俺の言葉に反応したのか、一瞬肩が震えたのが見えた。
後ろに控えているアリアから、少し不穏な気配を感じる。
フィルは青い顔を俯かせながら呟く。
「何故知っている?」
「俺が何故知っているかはどうでもいい、俺は理由が知りたいんだ。わざわざ親善交流時に毒を盛るなんて、発覚すれば皆の命が無いんだぞ?」
「命令だからだ……」
苦虫を潰したような顔で答える。
少なくとも自分の意志で行った事では無いようだ。
「命令だからといって、騎士道……いえ、ご自身の尊厳を貶めてまでやる事ですか!」
アリアが叫ぶように言う。
「わかっている! それでも従わざるを得ない時だってあるんだ!」
フィルが机を叩きながら叫び返す。
その気迫には並々ならぬものがあった。
「……何か理由があるのか?」
俺の言葉を聞いたフィルは立ち上がり、窓のカーテンを開けてそこから見える景色を見る。
「この国は良い国だな……」
「ああ……俺もそう思っている」
「お前は急に穏健派になったが、理由があるのか?」
フィルが振り返り聞いてくる。
「簡単な事だ、モデスティア王国の人との出会いがあった、それだけだ……」
「そうか……俺もモデスティア王国の知り合いがいる。ニクス教徒は成人するとザインへと巡礼に行くのは知っているだろう? その時に出会った」
「なおさら命令通りに動く意味が分からない」
「ロベール家は代々ニクス教徒だ。聖女が嫁いでくるくらいにはその歴史は長く、ザインへの影響力も高く繋がりも濃い。それをギデオンに狙われた」
「あっちもこっちもそんなのばかりです、我が国ながら許せません!」
「どういうことだ?」
アリアがフィルの言葉を聞き、スカーレットの事件を思い出したのか怒りがぶり返したようだ。
なんとかアリアを宥めながら、フィルに続きを促す。
不思議な顔をしながら、アリアを見つめ、続きを話してくれる。
「母がお茶会時に毒を盛られ、今は起き上がれないほど重い症状がでている。竜種の劇毒をお茶会をする度に少しづつ盛られていたらしくてな……」
「解毒剤が欲しければ、素直に従えと言われたわけか……」
「そうだ……結局この身さえも毒に侵されてしまった、これも報いだな。それにかなり珍しい毒だ、本当に解毒剤があるのかさえも分かっていないのに、希望に縋ってしまった」
フィルの言う事を聞いていたアリアが俯く。
結局ギデオンの策略にからめとられた一人だと分かったからだろう。
「申し訳ございません、フィル様に酷い事を……」
「いや、やった事実は消せない。脅されて踊ったのは俺だ。罰があって然るべきだ」
アリアとフィルが暗い顔をしながら反省しあう。
それよりも、フィルと会った時から青い顔をしていた理由は毒のせいだったのかと思いつく。
「アリア、解毒魔法陣を」
「あっ! そうですね」
返事をすると、フィルの立っている床にゆっくりと魔法陣が形成されていく。
フィルが驚き避けようとするのを、手で押しとめる。
やがて魔法陣が出来上がり、フィルの体が緑の光の粒子に包まれ浄化される。
フィルの目の下の隈は消え、顔色も良くなる。
「これは昨晩の魔法陣……まさか解毒魔法が存在していたのか!」
「そうだ、しかも魔法陣化してあるから、元の魔法よりかは幾らか難度が下がっている」
この解毒魔法陣はかなり複雑だ。
スカーレットの体ならば楽々使えるが、自分の体だと難しい。
触媒になる塗料や血で床に描けば使える、というレベルだ。
アリアやスカーレットの様に、魔力をを使って魔法陣を描くのはまだまだ無理だ。
「いったい誰がこんな魔法を知っていたんだ!?」
フィルは俺の肩に手を置き、揺さぶりながら聞いてくるので答える。
「紅蓮の魔女だ」
「馬鹿な……紅蓮の魔女は今アロガンシア王国にいるだろ……いや、まさか……」
「それ以上は言葉にしないでくれ、聞かれても答えられない」
「そうか……不意にこんな事があるから、どんなに不幸な目に会っても神に祈る事を辞められない……たとえ心が弱いと言われても、縋っていると言われても、加護あったと感じれば自然と祈りを捧げてしまう」
そう言いながらフィルは膝を折り、祈りを捧げている。
こちらとしてもスカーレットの事を突っ込まれると困る。
しかし聖女の誓約がらみだと、楽に説明を回避出来て良いな。
しばらく祈っていたフィルだったが、突然立ち上がりこちらに向き直る。
「すまない、まずはお礼を言うべきだった。ありがとう」
「いや、気にしないでくれ」
「そうです、結局はスカーレット様のご配慮ですしね」
こちらの返答を聞き、何か思う所があるのか少し考えた後に呟く。
「そうか……昨晩に会場を包んだ魔法陣の意味が分かった。この国に竜種の劇毒を盛られてしまった者は居ないんだな……」
「ああ……全て無かった事だ」
フィルの顔に影が消え、何かを吹っ切ったような顔で言う。
「ギデオンの命令を熱心に聞いているのはニコルだ。なにやら間者を使い暗躍しているらしいが、俺も良く知らない」
「わかった、後は帰ってからだな……」
あまりここで揉めるのはまずい。
フィルとは違い、ニコルの性格は見た目以外は全然知らない。
追い詰めすぎて、下手に動かれたらそれこそ目も当てられない。
「俺達も荷造りする為に部屋に戻るか」
「了解です!」
アリアが元気に返事をする。
どうやらフィルへの騎士としての不信感が払しょくされた事で機嫌が良くなったみたいだ。
フィルの部屋を後にして、自分たちの部屋に向かおうと廊下を歩いていると、ニコルが廊下に立っていた。
「エカルラトゥさん、おはようございます」
人懐っこい笑顔を向けて、礼儀正しく挨拶をしてくる。
これで腹黒いというなら、人間不信になりそうだ。
「ああ、おはよう、廊下に立ってどうしたんだ?」
「エカルラトゥさんにご相談に行こうと廊下にでたら、こちらに向かってくるのが見えたもので……」
その顔は表情豊かで、人の警戒心を取り除く力がある。
「それは構わないが……」
「出来ればエカルラトゥさんだけだとありがたいのですが……」
そう言いながら、俺の後ろにいるアリアに目を向ける。
「わかった。アリアは荷造りしていて欲しい」
「了解です」
アリアは軽く会釈をして部屋へと戻っていく。
「では僕の部屋で話しましょう、どうぞ」
すぐそばにあるニコルの部屋に入り、ニコルの侍女に席に案内される。
侍女がそのまま紅茶を用意してくれる。
「それでどうしたんだ?」
「あのですね……今日で親善交流も終わりじゃないですか? でももう一日滞在したいのですよ、やり残したことがありますから」
「それは俺じゃなく、フィルとモデスティア王国に言う事じゃないのか?」
ニコルに答えながら出された紅茶を口に運び、喉に流し込む、どうやらヴァーミリオン家の紅茶のようだが……いつもと違う。
何故か動悸が激しくなり、冷や汗がとめどなくあふれてくる。
体も怠くなり、思い通りに動かない。
「いえ、エカルラトゥさんが亡くなってくれれば、まだ滞在できるとおもいますので」
そんな事を言いながら、屈託のない笑顔を向けてくる。
「うそだろ?……これも、ギデオンのめいれい……なのか?」
「そうですよ、しかし凄いですね、まだ動けるなんて……さすがエカルラトゥさんです」
これはほぼ致死量に近い、体中が悲鳴をあげているのが良くわかる。
竜種の劇毒ならアリアが居れば解毒魔法陣を使ってもらえたが、帰してしまった。
当然俺が使うには、触媒か血を使って床に魔法陣を書かないと使えない。
そんな事をしている間に、止めを刺されて終わってしまう。
折角フィルにニコルが裏で動いていると教えてもらって、この体たらく、油断しすぎにも程がある。
取りあえず、ニコルだけは止めないといけない。
俺が死ぬのは構わないが、俺の死を使って何かやられるのだけは看過できない。
闘気の炎を全気力を振り絞って纏い、立ち上がる。
「やる気みたいですね、おい!」
そう言いながら俺から素早く離れ、従者用の部屋から、覆面の男が四人出てくる。
纏っている闘気は上質で、達人に片足突っ込んでいるのが身のこなしでわかる。
気配を隠すのが上手いのか、それとも油断しすぎていたのか全然気づかなかった。
「その程度で……俺の相手になると……思っているのか?」
なんとか声を出しながら虚勢を張る。
「ええ、知らないと思いますが、この数か月この者たちはエカルラトゥさんの訓練を盗み見ていました。それを加味するとお釣りがくるそうですよ」
「そうか……そう思ったのも仕方が無いか……俺は一年ほど前まで……暴虐の赤と言われていたんだぞ?」
「それが何か?」
俺の言葉をどこ吹く風のように、笑顔で受け止める。
俺が二つ名で呼ばれていた頃を知らないのか、それとも誇張だったと思っているのか良く分からない。
正直に言うと、この力に剣技なんて関係ない、ただただ炎と熱をまき散らすだけだ。
意識がもうろうとするなか、闘気の炎を制御している力を投げ捨てる。
そもそも制御するのは意識を集中しないといけない、今はそんな事に意識を裂く気力なんて端から無い。
すると綺麗に纏っていた体の周りの炎が膨れ上がり、炎が周囲に飛び散りだす。
周りにある家具やソファーに火が付き、燃え広がる。
こちらの動きに呼応するように、覆面の男達はこちらを囲むように動く。
それに対応しようと、闘気に力を込める。
纏っている炎が膨れ上がり、俺を中心に部屋の中が赤色に段々と染まっていく。
「これが……あの二人に出会うまでの俺の日常だった世界だ!」
「一体何を言って……」
炎をまき散らす俺を見据えながらニコルが呟く。
「あちっ! ち、近づけないですぜ、ニコルぼっちゃん」
「ここまできて泣き言をいうな! もうやるしかないんだ、部屋の事は気にせず全力で戦え!」
いままで笑顔を崩さなかったニコルが、ようやく怒りの表情で覆面の男達に指示する。
魔法に精通している奴もいるのか、魔法を撃つ準備をしているのが魔力の流れでわかる。
他の者はこちらにナイフや剣を投げつけてくる。
毒のせいであまり機敏に動けない、投げつけられた剣やナイフをなんとか致命傷にならないように避けたり、無理な時は腕で受け止める。
水魔法を撃ってくるが、それは闘気の炎に阻まれこちらには届かない。
逆に蒸気が部屋に広がり、他の者が慌てふためいている。
どうやら魔法が効かないと分かったのか、防御魔法が使える二人が迫ってくる。
さすがにこの体調では、対処できない、相手が悪すぎる。
やれる事は、闘気の炎をまき散らすことぐらいだ。
後の事を一切考えずに、ため込んでいた闘気を一気に解放する。
部屋中に炎がほとばしり、まるでゆっくり爆発するかのように窓や家具を炎で吹き飛ばしていく。
こちらに飛び掛かって来た覆面の男も、ニコルも侍女も炎で吹き飛ばしていく。
限界が来たのか意識が消える中、ニコルの部屋が綺麗な赤色に染まっていくのが印象的だった。
やがて意識が戻ると、火の海の中に佇んでいた。
その火は俺を傷つけない火だ。他の者は知らない、考える余裕が無い。
壊れた扉からフィルと親善交流メンバーの数人がこちらを見ているのがわかる。
「一体どういうことなんだ!?」
火の海になっている部屋にはいれずに、フィルが声を掛けてくる。
「……毒を盛られた……後は……頼む」
それだけをなんとか声に出すと、目の前が暗くなり意識を失った。
気が付くと目の前には懐かしい母親が微笑みながら立っていた。
赤い長い髪に、切れ長の目だが、雰囲気は柔らかで意思が弱いが優しい母だった。
母が亡くなってもう十年立っている。
思い出の中の母の顔は、なんとなくしか覚えていなかったが、こうして対峙するとどこかスカーレットに似ている気がする。
性格は真逆だが、見た目と微笑む顔が凄く似ている。
雰囲気はナタリーに近いかもしれない。
俺は二人の事が、母親に似ているから好きだったんだなと思い知らされる。
そう思うと、母親から温かい感情が心に伝わってくる気がする。
俺はどれだけ母親の事が好きだったのだろうか、傍から見ればマザコンに確実に見えていただろう。
そう言われても後悔しないくらいには、母親の事が好きだったと言い切れる。
そんな母親が亡くなれば、生きる気力が無くなって、自暴自棄になるのも仕方が無い。
他人にほとんど関わらず、他人を傷つけても平然としていた。
やがて異能と言っていい、闘気の炎を纏えるようになれば、敵味方の被害なんて気にせず体を動かしていた。
考える事が億劫だったと言う事もある、体を動かせば無心になれたからだ。
とうぜんそんな俺に不名誉な二つ名を付けられる。
他人の、仲間の痛みまき散らし、それを無視し続けたゆえに暴虐。
あの頃は全てがどうでも良かった。
母親への仕打ちに対して駄々をこねる子供の様に、周りに怒りをぶつけまくった。
それにアロガンシア王国を中から滅ぼせるなら、それでも良いとまで思っていた。
だが世の中捨てたもんじゃない。
たった二人との出会いで、世界を見る目が一変したのだから……。
目の前にいる母親に手を伸ばそうとすると、母親は悲しい顔をしながら遠のいていく。
思わず声を掛ける。
「かあさん!」
俺の呼ぶ言葉に微笑み返してくれるが、光が世界を包み込み、母親も見えなくなっていく。
眩しくて何も見えなくなり意識が飛ぶ。
やがて周囲が見えてくる。
そこにはアリアがこちらの顔を覗き込んでいた。
「エカルラトゥ様、意識はありますか?」
「ああ……」
アリアに生返事をしながら周囲を見ると、どうやら部屋のベッドのようだ。
「どこまで記憶があるのですか?」
「どこまで?」
何があったかよく思い出せない。
「あれから半日は立っています」
「あれから?……あっ! ニコルはどうなったんだ?」
「そうですね……命に別状はなかったのですが……火を見ると怯えるようになってました……」
「そうか……やった事は許せないが、加減が出来なかった。殺すにはまだ若すぎる」
ニコルに毒を盛られて炎をまき散らし、なんとか凌げたようだ。
死んでもおかしくない状況だった。
許せないという気持ちはあるが、ギデオンに脅されていた可能性も無くは無い。
「一目見た時はもう駄目だと思いましたよ。こちらに運ばれた時はボロボロの状態でしたし、血も流れすぎていましたし、それに竜種の劇毒でしょう? それをぎりぎりの所で耐えていたエカルラトゥ様の体は異常です」
「……」
体を動かせなかったからな、本当に急所を避けるのでいっぱいいっぱいだった。
部位欠損しなかったのが奇跡とも言える。
「カーマイン様と、セリーナ様が居なければ、きっと死んでいましたよ?」
「なぜそこでその二人が出てくるんだ?」
「丁度セリーナ様が、弟のカーマイン様に会いに来ていたらしくて、その時にニコルの部屋が爆発したみたいで、一緒に見に来たみたいです。その後倒れていたエカルラトゥ様をこちらに運び、診てくれたのです」
「爆発したんだな、昔のように炎をまき散らしただけだったが……」
どうやら魔力を制御できるようになったお陰で、闘気の炎を操作できるようだ。
あの時は確かに爆発して吹き飛ばせと、強く思った気がする。
「後で部屋を見に行きましたが、めちゃくちゃになってましたよ」
「必死だったからな」
部屋の事なんて考えてたら、きっと死んでいた。
アリアが何かを考えながら言葉にする。
「それにしても、あんなものを見せつけられるとニクス教を信仰してしまいそうです。セリーナ様の祈りに回復魔法を乗せると、奇跡のような回復効果がありました。みるみる顔色が戻っていきましたから」
「そういえば、スチュアート家はニクス教徒だったか……」
「ただ、セリーナ様も、カーマイン様もびっくりしていらしたので、いつも起きる事ではなさそうですけどね」
「二人にお礼を言いに行かないといけないな」
「見送りにくるそうですから、その時にでも」
「くしくもニコルの言うとおりに一日帰るのが伸びたわけか……」
「エカルラトゥ様が起きなければ、もっと伸びていたと思いますけどね」
「そうか……」
「少し何か食べますか?」
「いや、紅茶だけいただこうかな」
「わかりました」
アリアがいつもの紅茶を準備してくれる。
起き上がりベッドの上で、ヴァーミリオン家の紅茶を飲む。
心が落ち着く居ていく。体はまだ怠いが気分は良いようだ。
「もう寝ますね、さすがに疲れちゃいました」
「ありがとうアリア、ゆっくり休んでくれ」
アリアが微笑みながら侍女部屋へと戻っていく。
俺ももう少し体を癒すために眠りにつこう。




