第四話㋜ 戦争への対処
意識が戻ると、ぽよんぽよんな感触が両頬に感じる。
会議中だったと思い出し、がばっと起き上がる。
すると目の前には上半身裸の侍女のナタリーがいた。
どうやら両頬の感触はナタリーの胸の感触だったらしい。
その私よりも豊満な胸を持つナタリーを見ると、魅惑の胸は何故か血だらけだ。
「どうしたのナタリー!」
と、ナタリーの肩を掴もうとすると、自分の口元が濡れている事に気付く。
一体何が塗ってあるのかと思い手を当てると、どうやら自分の鼻血が垂れているようだ。
「お嬢様は鼻血を出して倒れたのですよ? あまり急に動かないでください」
そう言いながら他の侍女が準備した濡れタオルで、ナタリーが自分の事を後回しにして、私に付いた血を拭ってくれる。
何故こんな事に、と考えるが何もわからない。
エカルラトゥの体に居た時の記憶は思い出せるが、今となってはあれは夢ではないのだろうか。
「お風呂に、と思いましたが体を拭くだけにしましょうか」
そう言いながら、ナタリーがこちらの体を拭いてくれる。
「ありがとうナタリー」
ナタリーにお礼を言うと、情報を整理する。
私がエカルラトゥになっていたという事実は、正直確認出来ない。
夢を見ていた、と考える方が自然だ。
だが記憶は無いが、この体の時間も経過しているし、なによりコリデ砦を攻めるという話が気になる。
これが事実で、もしコリデ砦を占領されると、その後の展開はかなりきつくなるだろう。
コリデ砦は自然を味方にした天然要塞みたいなもので、どちらの国からも攻めにくく守りやすい。
もし攻めの拠点にされれば、王都までの進軍経路を考えると、かなり大変な戦いになるだろう。
両国の現状の関係を鑑みると、ただの夢だと捨て置けない、可能であれば権力のある人に上申しておきたい。
どうやって説明するのか、という問題も出てくるし、他人には言えない。
溜息を吐きながら自分自身を見ると、体は拭かれ服も着替え終わっていた。
「ありがとう」
手伝ってくれた侍女達にお礼を言うと、会釈をして出ていく。
ナタリーは横に控えたままだ。
まずは精神の入れ替えなどの魔法があるのか、書庫の本に何か記載が無いか確認しようと脱衣所から出る。
のだが、体の節々が痛い、何故痛いのか考えるがわからない。
「ナ、ナタリー体の節々が痛いのだけど……」
「それはそうでしょう、普段あまり運動しないお嬢様があれだけ筋トレをすれば筋肉がびっくりしてしまいます」
「え? 筋トレ?」
ナタリーは首を傾げながらも、懐にいれていた紙を見せてくる。
「お嬢様が、少し筋力を上げたいと、私と共にこちらのメニューをお作りになられましたが……」
ナタリーの見せてくれた紙には、確かに私の字で朝と夕に筋トレするメニューが書かれている。
唖然としていると、ナタリーが感極まった感じで言う。
「あれだけ、運動などしなくても大丈夫と仰っていたのに、自ら鍛えたいと仰られた時は、このナタリー少々感極まりました」
うるうるとした目をこちらに向け、そんな事をのたまう。
マジか……もうやらないと言える状況じゃない、というか追い込まれた気がしないでもない。
突然エカルラトゥの筋肉質の体が頭に浮かぶ。
これ絶対あいつが原因じゃないだろうか、夢かとも思ったけど現実な気がしてならない。
でもそうなると、コリデ砦の話に信憑性が増してくる。
そちらも気になるが、まずは書庫で調べてから、その後に父に話してみるかな……当然エカルラトゥの事は内緒でだが。
そもそも元に戻ったのだし、気にしても仕方が無い。
書庫に入ると、さっそく関連のありそうな文献などを簡単に読み漁っていく。
夕方まで、がっつり読んでいると、ナタリーが筋トレメニューが書かれた紙を見せながら近づいてくる。
マジか……と思いながら部屋に戻り動きやすい服に着替え筋トレをする、きついがナタリーが応援してくるので止められない、なんでこんなことに……。
筋トレのさ中にナタリーの方を良く見ると、何故か木剣を準備している。
先ほど見たメニューに素振りが入っていたことに、今更ながら気が付く。
「何故私がこんな事を……」
そう呟きながら頑張って終わらせていく。
木剣をナタリーから貰い、素振りしてみると、おもったより体がスムーズに動く。
素振りを見ていたナタリーが顎に手を当てながら言う。
「お昼にも思ったのですが、お嬢様には剣才があると思います、剣の振りにあまり無駄がありません……私が知らない間に、どなたかに習ったのですか?」
「あ~騎士が剣を振っているのを見ていたのが原因じゃないかな? たまたまお手本にしている人が凄い人だったのかも」
ナタリーに嘘を言ってしまった。あれがたとえ現実だとしても、今となっては夢だ。
男に肌を見せたとナタリーに教えるのは事を荒立てるだけだ。
犬にでも噛まれたと思い、記憶を封じたほうが私的にもナタリーにとっても良い事だろう。
そもそも目が覚めた時の鼻血は、絶対ナタリーの裸見て興奮したからだろうし。
まあ男なのだからしょうがないとは思いはするが、思うだけで許せる訳ではない。
いつか国交が再開されて、会う事があればナタリーに土下座させてやる。
当然私にもだ、エカルラトゥ時の記憶から考えると、クールな感じだったが、ナタリーの裸を見て興奮とか全然自制出来て無い。
絶対私の体触ったり、見たりしているのは絶対だ。それに私にあいつのあれを触らせやがって、絶対許さない会ったら即行で燃やす。
何てことを強く決心する。
そんな事を考えていても、素振りを自然に出来る。
今朝にエカルラトゥの体で剣を振りまくったのが、何よりも雄弁に体に語られたのだろう。
その感覚ゆえに、エカルラトゥの動きがトレースできている。
こんな感覚も悪くは無いな、と素振りを終わらせ、夕方の筋トレが終わる。
夕食を優雅にしていると、父が帰ってきたようだ。
うちは公爵家だ、領地は王都に近いが通える距離ではない、当然王都に邸宅を構えている。
母は領地の邸宅に住んでいてここには居ない。
父も母も優秀なのだが、天然が少し入っているのか、二人とも物怖じしない。
昔に父と領地の邸宅から王都へと馬車で移動している時に、野盗に襲われた。
私は驚き、炎の魔法を全方位に放ってしまった。子供の頃から魔法には自信があったのだが、この時はタガが外れたのかかなり広範囲を燃やした。
その全方位魔法は無意識にコントロールしたのか、人にはあまりダメージが入らなかったが、服や髪が軽く燃えて、父の髪がちりちりになった。
ちなみに近くにあった森は燃えた。自分たちの領地で良かったと思った。
父は髪がちりちりになったが、自分達の被害がその程度で、私が野盗を撃退した事に喜び。
娘の魔法が凄いと喜び、記念と言いながら、髪がちりちりのまま登城していた。
何故そんな事に……と他の貴族に聞かれる中、娘が凄いと言いふらした。
それのお陰で話が広がって、私は怖がられるようになったのだ。
私に縁談が全く来ないのは、決して私のせいではないだろう。
昔は密かに慕っていた男の子もいた。
あの甘酸っぱい片思いの淡い恋心を胸に抱き、意を決して声を掛けると、泣きながら逃げられた時は本当に死にたい気分になった。
まあそんな事はどうでもいいだろう、父に近づきアロガンシア王国の事を聞く。
「どうしたんだい、政治の事などいつもは気にもしないのに」
少し驚かれたようだ、確かに政治は気にしないが、戦争となれば話は別だ。
大手を振って引き籠れない。
「まあ、そうだね和解策を提示はしているのだが、芳しくは無いね……返事はしてくれるのだが、どうも解決しようという意思を感じられない、もしかしたらなんらかの理由で引き延ばし策を弄しているのかもしれないね」
父がまともな事を言っている。
当然か、これでもヴァーミリオン公爵家当主だ。
私は今聞いた情報を、エカルラトゥの時に聞いた情報と照らし合わせる。
考えるまでも無く、和解策考えてますよ~からの奇襲で重要拠点を取り、今後の動きに勢いをつける作戦なのかもしれない。
父の前で悩んでいると、父がナタリーに耳打ちする。
「スカーレットはどうしちゃったの?」
「今日起きてから少々変なのです、変な気配をさせたり、急に身体を鍛えようとしたりと……鍛えられるのは願ってもないのですが」
聞こえているが、聞こえないふりをする。
否定しようとしても、その変な事をした記憶が無い、何言っても地雷を踏む気しかしない。
「そうか、スカーレットが本気になってくれれば抑止力にもなるから、父としては嬉しいのだけど……」
そう父がナタリーに言った瞬間に私が父を見る。
「それはどういうことですか?」
父は唸りながら腕を組み目を瞑りしばらく考え込む。
一時考えると、ふぅっと溜息を出し答える。
「そうだね、アロガンシア王国が開戦の準備をしている、かもしれないという情報があるにはあるんだよ、本当の情報なのか確証は無いけどね」
やはりあれは夢じゃなく現実なのだろうか、たとえあれが夢だとしても現実は戦争に傾いているのかもしれない。
説明のしようが無いが、父には気を付ける様に言えば何かしら手を打ってくれるだろ、父は私に甘いはず。
「抑止力とは言ったけど、スカーレットを戦争になんて絶対参加させないからね、たとえ王が命令してきたとしても殴ってでも止めるからね」
やっぱり私に甘々だな、と思いながらも、父の愛情を嬉しく思う。
でも、だからこそ言うべきだ。
「コリデ砦に気を付けてください」
「コリデ砦? それはまた何でかな?」
少しだけ俯き、やはり聞かれるよね、と思いながら答える。
「理由は分かりません、ただの女の勘みたいなものです」
私の言葉を聞き、父は考え込んでいる。
「わかったよ、配慮はしておくよ」
にっこりと笑いながら父は私室へと消えていく。
私も部屋に戻り、机に座るとナタリーが食後の紅茶を持ってくる。
「いつもありがとうナタリー」
「今日はめずらしい事だらけですね」
ナタリーがこちらをみて微笑む。
自然にナタリーへ感謝の言葉が出た、ナタリーの居ない生活を半日過ごしただけで、ナタリーの存在が、かけがえのない物だと思い知った。
以前からも姉のような存在だと思いはしていたが、ここまででかいとは思っていなかった。
紅茶を飲みながら、思考を巡らす。
私は邸宅に籠って魔法を開発したり、魔導書を書いて売ったりしながら暮らしている。
政財界に名は通っているが、完全な引きこもりの公爵令嬢になっている。
たまには旅に出るのも悪くは無いかな、と考えナタリーに聞いてみる。
「リャヌラの街に行こうと思うのだけど……」
「お、おひとりでですか?」
ナタリーが慌てる姿を久しぶりに見た気がする。
「ついてきてくれるとありがたいのだけど……」
「どこまでもついていきますよ」
微笑みながら返事をする。
そう、私自ら確認にいってやろうじゃない、と思いついたのだ。
決意を新たにして、慌ただしかった今日が終わる。
寝間着に着替え、いつもの柔らかいベッドに横になると、直ぐに意識が無くなっていった。