第三十二話㋓ 炎の記憶(四日目)
目が覚めると、スカーレットの体になっている事を速やかに確認する。
「良かった、やっぱりスカーレットの体か……」
「何が良かったのですか、エカルラトゥ様」
「ふぉ!」
ベッドから飛び起きナタリーに向き直る。
ついつい声を出してしまったようだ。
「いや、あははは……」
「不埒な事はだめですよ?」
「あっ、はい……」
変に誤解されたけど、ヴァーミリオン夫妻から逃げたかった、という理由の方が心証は悪くなりそうなので、誤解を甘受する。
ナタリーの準備してくれた紅茶を飲むと、ヴァーミリオン夫婦の顔が浮かぶ。
人は逃げると罪悪感が浮かぶんだな、今後紅茶を飲むたびに思い出しそうだ。
なんとか紅茶を飲みながら心を落ち着かせて、今日の予定を考える。
街の見学だけみたいだ。比較的楽な予定だ。
ちょうど親善交流も折り返しになる日だから、休日込みなのかもしれない。
だが買う本については妥協できなさそうだ。
かなりスカーレットが入れ込んでいる。きっとこれが目的で親善交流に参加したのかもしれない。
ゆっくりとナタリーとの朝を堪能していると、扉がノックされる。
ナタリーが対応に行くと、扉を開けたままこちらに戻ってくる。
「お嬢様、マリアンヌ様から午後にお茶会のお申込みが来ていますが、どうなさいますか?」
マリアンヌ・ジラールか、舞踏会で踊った相手か……。
「逆にどうした方が良いかな? 親善交流なのだから行く方を選びたいのだけど、少し自信が無い」
所作等は体が覚えているから問題無いが、会話スキルが……あっ、スカーレットもそこまでお茶会になれてないか。
「大丈夫ですよ、お嬢様も慣れていませんから」
「じゃあ参加しようかな、ナタリーも手伝ってくれると嬉しい」
「わかりました」
扉へと向かい、使いの従者に返事をして帰ってくる。
これで昼からお茶会の予定が入ったが、夜に何も無いからゆっくりできる時間はある。
まずは街の見学だ。主にスカーレットの目的である書物の購入と、魔法関係の物の購入だな。
集合場所の馬車乗り場へと向かう。
すでにリオン達とフレイヤも来ていた、どうやら俺達が最後だったみたいだ。
そこに集まっていたのは近衛騎士もいて、その中にはジェレミーもいた。
「今から街を見て回ってもらうが、親善大使一人に対して近衛騎士が一人護衛につく」
第二王子の側近のトリスタン・ロレーヌが何故かこの場をしきっているみたいだ。
団長はどうしたのだろうか。
ジェレミーに顔を向けると、こちらの視線に気づいたのか苦笑いしている。
「グループで行動するつもりですが、その場合は?」
「こちらの人数の変更はせずに追跡するように振舞おう、それでいいかね?」
「わかったよ」
リオンが取り仕切っているトリスタンに聞くが、まだトリスタンは自分の名前さえ皆に名乗っていない。
「では街を見て回るが良い」
そう言い放ち王城へと戻っていく。
団長と同じくらいの技量だったはずだが、嫌な感じで帰っていったなと思う。
「まあそういう事なのでよろしく頼む、俺がスカーレットさんの担当になった」
ジェレミーが近づいてきて俺に言う。
「よろしく」
ちょっとフランクすぎたかもしれないが、大丈夫だろう。
後輩のルイスがジェレミーの砕けた喋り方を聞いて、顔が青くなっていく。
「スカーレット、今日は私が付いて回るから、大人しくして欲しい、後フレイヤもついて回るからね」
フレイヤが俺に軽く会釈する。
どうもフレイヤはリオンにべったりな気がする、好意でもあるのかもしれない。
俺から見てもリオンは良物件だ、均整の整った鍛えられた体に、綺麗な顔に柔らかい口調、しかもモデスティア王国の中でもかなり強い。
という事は三人で行動か、従者も含めたら六人、護衛も含めたら九人か、多いな……。
馬車は結局別れて乗る事になりそうだ。
「まずは書店に行きますね」
「そうだと思ったよ、じゃあスカーレットが先導して欲しい、私達はついていくよ」
ナタリーが御者と話をして行き先を決めている。
相変わらず主人の先の事を考えて行動しているナタリーは凄いと思う。
行き先が決まり馬車で書店へと向かう。
ナタリーと二人きりなら良かったが、ジェレミーも馬車の中にいる。
監視のためとはいえ、淑女の馬車に乗るのはありなのだろうか。
「今はエカルラトゥなんだろ? なんとなくわかるようになったわ」
「そうか……そんな事より、団長はどうしたんだ?」
「ああ、それか……特殊任務があるらしくて今はいないんだ。団長代理で先ほどいたトリスタンが仕切っている。あとはその腰巾着か騎士団動かしてるな。俺はお払い箱で危険なスカーレットの護衛ってわけだ」
どうやら今の騎士団の体制に不満があるようで、ぶっきらぼうに語ってくる。
「ちなみにチャンスがあればスカーレットを落とせ、って指示がでてるぞ」
「マジでか……」
それでスカーレットの馬車に乗り込んできているのか……。
馬車の窓から街並みを見ながら現実逃避する。
店に入るとナタリーが本棚から前日シリルに貰った書名の本を集めていく。
設置されている机に本を置いていくので、それを手に取り読んでみる。
間違いなく魔法陣関係の本だ。
「やっぱり魔法陣関係の本を集めるんだね」
「ええ、必要ですから……」
これは神経を使うな、ジェレミーだけなら助かるが、リオンとフレイヤまでいると、気疲れしそうだ。
自分でも何か良さそうなものは無いかと、見て回る。
【光源魔法について】を手に取る、かなり古い書物みたいだが、何か惹かれるものがある。
中身を見ると、スカーレットの知識にはなさそうなので、これも買っておこう。
ぱらぱらと流し読みした感じだと、空間に光源を作り、地下や夜に明かりとして使う魔法のようだ。
頑張れば俺にも作れそうだ、火を自在に出せるスカーレットには必要ない気もするが俺が読んでみたい。
リオンやフレイヤも何か良い本が無いかと探している中、ナタリーがシリルに教えてもらった本をすべて集め終わったのか声を掛けてくる。
「お嬢様、本をすべて集めて金額を計算してもらいましたが、お金が足りません……」
見ると全部で二十冊くらいある。本は高いからなぁ……。
ナタリーから金額を見せて貰うと、一冊分くらいだったので俺が買おうとした分を除けば全部買えそうだ。
「仕方が無い、これを諦めようか」
「良いのですか?」
「私が読みたいだけだからね」
「そうですか、わかりました」
「俺が出そうか?」
店の中で私達を見守っていたジェレミーが横から話に加わる。
「いいのか?」
リオンやフレイヤが聞いていないかを確認しながら聞き返す。
「ああ、スカーレットには色々助けてもらったからな、そのお礼として貰ってくれ」
ナタリーに必要な金額を素早く渡して離れていく。
今度ジェレミーに高い酒でも奢ってやろう。
「スカーレット様が言う通り、かっこいい方ですね」
「あ~、ま、まあね良い奴なんだよ……」
ナタリーがジェレミーを褒める事に少しだけ嫉妬心が沸き上がる。
買った本は馬車にのせて、宝石類が売っている店に向かう。
もうお金が無いがアロガンシア王国には何が売られているか興味があるらしく、ナタリーと話していのだ。
見たかった本人がいないのがあれだが……。
店に入り見て回るが、装飾品などを見てもよさが分からない。
「お嬢様、スタールビーがこの価格で売られていますよ」
ナタリーが少し興奮しながら言う。
近くに寄り見てみる、スカーレットの知識から比較すると三分の二ほど安い。
「でも買えないね」
「そうですね……安いというだけでモデスティア王国でも買えますから、ここで買う必要はないですから」
ナタリーと喋っていると、リオンが会話に参加してくる。
「もしかしたら宝石としての価値が主で、魔法の触媒としてあまり需要がないのかもしれないね」
「なるほど……」
宝石は使い方次第では消費してしまう。
ただの触媒として使うなら劣化していくだけだが、魔法を込めたりすると高価な兵器で一回で消費してしまう。
かなり勿体無い使い方だが、時と場合によるかもしれない。
魔力が無くなった時の緊急用の魔法として切り札に出来るからだ。
「……この価格なら一個くらいなら、私がゆるされている国のお金で買えるがどうする?」
リオンが俺であるスカーレットにそんな事を言う。
顔に出ていたのか、リオンが逆にびっくりしながら続ける。
「いや、そんなに驚かれても……別に私はスカーレットを邪険に扱いたいわけじゃないよ」
「ではお願いします」
「今日のスカーレットはやけに素直だね……」
リオンは自分の従者に手で合図をすると、購入の手続きに取り掛かる。
スカーレットも喜びそうだし、貰えるなら貰っておこう。
リオンの従者が購入手続きが終わるのを待つ。
ふと視線を感じその方向に目を向けるとフレイヤがこちらを凝視している。
「フレイヤ、なにあるのかな?」
「いえ……なにも」
何も無いと答えるが、めっちゃ見てくる。
スカーレットの顔に何かあるのかと思い、ナタリーに小声で尋ねる。
「ナタリー、俺の顔に何かついてる?」
「何もないと思いますよ」
今更フレイヤの事を気にしても仕方が無いか。
色々と謎の存在なのだ、どう扱えばいいかわからない。
「これで私達は部屋に帰りますが、リオン様達はどうされますか?」
「そうだね……フレイヤはどうするのかな?」
「私はあまり出歩きたいと思っていませんから、部屋に帰ろうと思っています」
「そうか、なら私も付き従おうかな」
リオンがフレイヤに向けて笑顔で答える。
その言葉を聞いたフレイヤも笑顔で返す。やはりこの二人の関係は怪しい気がする。
店を出て個別の馬車に乗り込む、当然ジェレミーもだ。
「ジェレミー、少し頼みがあるんだが」
「なんだ?」
「スカーレットの体で、俺の部屋まで忍び込めないか?」
「はぁ? なんでそんな事をする必要があるんだ?」
「鏡台を魔法で直そうかと思ってな」
「そんな理由じゃ危険を冒す事を了承できないな」
「……あの鏡台が母の形見だと知ったスカーレットが直そうって考えているんだ。だからと言ってこのまま時間だけが過ぎれば、スカーレットの心に棘が刺さったままになるだろ?」
「そういえば、スカーレットが壊したんだったな……なかなか無理難題をふっかけてくるな」
ジェレミーが少し考えてから返事をする。
「いっておくが見つかった場合、俺がスカーレットに手を出していると取られるぞ」
「……それくらいならいいんじゃないか、スカーレット自身はお前の事を結構気に入っているし……」
少し複雑な気分だが事実だ。ナタリーを見るとこちらを見つめ返してくる。
「ナタリーすまない……勝手に決めて……」
会話中に何も言ってこなかったが、この体はスカーレットの体だ、大事な事は相談してから決めたいが……。
「そうですね……不安はありますが、お嬢様も結構頑固ですから、いずれ行くと言い出しかねません。ですのでエカルラトゥ様の時に行った方が安全の可能性が高いと思います」
「ああ……そう考えると、今のうちに行った方が全然得策だな」
スカーレットが強引に向かう事を想像したのか、ジェレミーが俺の提案を肯定する、当然俺も行きたいと強く思った。
「夜に向かう方が楽だよな?」
「そうだな、見張りをタイミングを見計らってどかすから、その時にこの部屋から出てくれ、後は宿舎まで行くだけだからお前なら何とかなるだろう」
ここで生活してるわけだし、地図は頭に入っている。
細かい時間をジェレミーと詰めながら馬車は王城へと向かう。
部屋に戻るとお茶会の時間まで暇になる。
買ってきた読めそうな本に手を伸ばし、読んでみる。
当然自分が選んだ光源魔法だ。
最初は簡単そうだと思ったが、意外に難しそうだ、でもスカーレットの体だと読んで理解すると出来てしまう。
本当に高性能な頭と体だ。
意識に覚えさせようと何度も呼んでいると、ナタリーに呼ばれお茶会の準備をする。
お茶会用の服に着替え、化粧もして部屋で待っていると、マリアンヌの使いが訪れ馬車へ案内される。
ジラール子爵の屋敷に着くと、庭園に通される。
どうやら外でのお茶会のようだ。
「スカーレット様、お待ちしておりましたわ」
「今日はお呼びいただきありがとうございます」
マリアンヌに会釈をして、お茶会の場所へと案内される。
どうやら舞踏会の時に、踊った令嬢が数人来ているようだ。
紅茶が皆に配られ、一口サイズのお菓子が添えられている。
「殿方に話しかけるのは、わたくしたちには少々難度が高いのです……でもモデスティア王国のお話も聞いてみたいという気持ちもありましたの」
「それで私に……というわけですね」
「ええ、女性同士ですから、またとないチャンスと思いましたの」
マリアンヌが今回お茶会を誘った理由を話してくれる。
入れてくれた紅茶を飲むが、やはりヴァーミリオン家の紅茶には劣る。
今着ている服の話から、モデスティア王国で流行っている服に嗜好品。
化粧に使っている物や装飾品、その値段などを聞かれ、分かる範囲で答える。
分からない事に関しては、ナタリーに質問して、令嬢たちに丁寧に答えていく。
今はただの情報だが、両国での商売が活性化すれば、手に入れる事が出来るかもしれない。
しかもその情報は、令嬢達よりもその親達がもっとも恩恵を受ける事が出来る情報になる。
女性同士の他愛のない会話で、他の貴族に先んじて動けるのだ、その差はでかい。
それに、この情報を生かすには、両国が歩み寄らなければならない。
この場にいる令嬢達は穏健派だ。戦争でも私腹は肥やせるだろうが、それを是としていないのだ。
当然両国の親善の為に、俺達が相手の国に行っているのだ、親善の為なら情報の出し惜しみなどはしない。
女性の視点から必要そうな情報を得た令嬢達は、スカーレットとの親交を深めたついでに得た情報に満足しているのか、全員が満面の笑みだ。
こちらも親善の為に動けたという満足感がある、気分は上々だ。
何杯目か分からない紅茶を飲みながらまったりしていると、マリアンヌが聞いてくる。
「スカーレット様は、お好きな方がいらっしゃるのですか?」
紅茶を吹きそうになるのを我慢して飲み込む。
そうだ、女性は色恋の話が好きだったね。ちょっと油断していた。
「ええっと……」
言いよどんでいると、他の令嬢が追撃してくる。
「リオン様と親しい感じで会話しているのをお見受けしましたが、リオン様が本命なのですか?」
「まあ!」
マリアンヌが反応する。それに倣って他の令嬢も小さな感嘆の声を出す。
勘弁して欲しい。
「いいえ、リオン様はわたしの親友の兄ですので、比較的会った回数が多いだけですよ」
「そうなのですわね……最初の反応からするとお慕いしている方がいるとお見受けしましたのに……」
マリアンヌが俺の反応で推測してくる。
確かに俺には好きな人がいる。思わずナタリーに目線を向けてしまう。
でもスカーレットの気持ちは分からない。
なんとかこの話題を逸らそうと、色々話をしてうやむやにした。
最後が大変だったが、良いお茶会だったと思う。
部屋に戻ると今度は俺の部屋に行くミッションが待っている。
予定が無い日だったはずなのに、結構ハードな一日になっている気がする。
動きやすい服に着替え、ナタリーと会話をする。
「見つかる危険度が上がるからナタリーは待っていて欲しい」
「それは了承出来かねます」
やっぱそうなるよね……。
一緒に来てもらった方が良いのかな、判断に困るな。
「わかった、俺が先導するから付いて来て」
「わかりました、気づいていらっしゃらないので言いますが、お嬢様は音を遮断する魔法をお持ちですよ」
「え? ああ、あるね……」
もしもの時はその魔法を使って気配を消そう。
部屋の中で合図が来るのを待っていると、扉が一回ノックされる。
合図の十分後に部屋の外にでると、いままで見張りが立っていた所には誰もいない。
どうやら大丈夫のようだ。
ナタリーに目配せをすると、急いで騎士団の宿舎へと向かう。
この時間に出回る人は少ない。いるのは見張りだけだ。
それゆえに動きが分かる、俺の仕事でもあったのだ何も問題は無い。
見張りがいる場所を確認しながら、イレギュラーが無いかを判断しながら進み宿舎へとつく。
こっそりゆっくり確実に俺の自室へと向かっていると、後ろにいるナタリーに肩を掴まれる。
ドキッとしながらナタリーに顔を向けると、どうやら誰か近づいてきているみたいで、ナタリーがジェスチャーしてくる。
俺より気配察知が高いナタリーに少し驚愕しつつ、やり過ごそうと隠れていると、近づいてきていたのはジェレミーだった。
こちらが姿を見せるが、何も言わずに先導してくれるようで、俺達を通り越して俺の自室へと向かう。
ここまでくればもう安全だと自室に入ろうとするとジェレミーが小声で言う。
「俺はここで何も無いか見ているから、早く済ませてこい」
俺は頷きながら部屋に入り、久しぶりの自室へと入る。当然ナタリーも入った。
窓は戸も閉めてあるので、さっそく昼に覚えた光源魔法を使ってみる、仄かな光でほっとする明りだ。
スカーレットの魔法の火でも良いのだが、火事が怖いので地味に有用な魔法だ。
あとは安全の為に音を遮断する魔法を部屋にかける。これでナタリーと安全に喋る事が出来る。
音を遮断する魔法を使ったのを感じたのか、ナタリーが普通の声量で呟く。
「ここがエカルラトゥ様の部屋なのですね」
俺の魔法の光で部屋が照らされ、ナタリーが俺の部屋を見回す。
スカーレットが鏡台を壊したときよりもまともな部屋で、今の俺の色というか、人となりが出ているのが少しだけ恥ずかしく感じる
「ああ、最近は結構色々と家具や本を買っていてな……」
ナタリーやスカーレットに会うまでは、この部屋は殺風景な部屋だった。
必要最低限の家具しか置いて無かった、暇なときは鍛錬しかせず、この部屋には寝る為に来ているだけだった。
人は恋ひとつでこれだけ世界の見方が変わるんだと今更ながら思い知る。
「そうですね、お嬢様に聞いていたエカルラトゥ様の部屋とはだいぶ違うようにお見受けします」
やっぱ俺の話はしているんだな、まあ当然か。
ジェレミーにも悪いし、早く鏡台を直そうと、部屋の端に纏めている残骸へと向かう。
「思った以上にばらばらですね……」
「ああ……少しくらいだったら家具職人に直してもらう事も出来ただろうが、一目で無理って言われるのは確かだ。スカーレットが作ってくれた木の家具を直す魔法が上手くいけばいいけど……」
スカーレットが覚えている魔法を体に任せて使う。
この魔法は家具の姿形をわかっていないと、ちゃんと整形出来ない魔法だ。
これが俺が自分でここに来て魔法を使いたいと思った理由だ。
スカーレットの頭脳なら覚えているかもしれないが、構造までは完全には覚えていないだろう。
それか俺と入れ替わっている時に、これを直すのもありだがそれは神のみぞ知る、だ。
鏡台の残骸が緑色に光り俺の思い描く鏡台へと戻っていく。
さすがスカーレット完璧だ。だが思った以上に魔力消費が激しい、きっと難しい魔法なんだと思う。
「綺麗に直りましたね、これがエカルラトゥ様のお母さまの鏡台ですか……」
「俺の母について知っているのか?」
「はい、お嬢様に少しだけですが……お優しい方だったんですね」
母の事を良く言われる事など今まで一度も無かった。少し気恥ずかしく感じる。
なんだろう、この心が温かく包まれていく感じ……。
「ナタリー、もし国を行き来できるようになったら、二人で会ってくれないだろうか」
気持ちが高ぶったのか、気づくとそんな事をナタリーに言ってしまった。
ナタリーも急だったので驚いているのか固まっている。
今更恥ずかしくなってきた、ほとんど告白しているようなものだ。
ナタリーは少し考えてから答えてくれる。
「エカルラトゥ様、その事をお答えする前にお教えしないといけない事があります」
なにやらナタリーの覚悟を感じる。
断られるかもしれない、と頭によぎるが、それでもまだ未来に可能性がある、答えを聞きたい。
「私はすでに結婚しています」
「え?」
聞き間違いだよね、うん聞き間違いだよね。
「すでに夫がいます」
「えええええ!」
改めて追撃してくるナタリーの言葉に驚き、叫んでしまう。
張っててよかった音の遮断魔法。
「で、でもスカーレットの記憶に……そんな記憶無いんだけど……」
もしかして俺を振る理由を作って言ってるのかもしれないし、本当に意味がわからない。
「その理由を話すには時間が掛かりすぎますから、いったん部屋へもどりましょう」
放心する俺の手を引きながらナタリーが扉をゆっくりあける。
「終わったのか、では戻るか……ってエカルラトゥはなんでボーっとしているんだ?」
「私が結婚している事をお教えしましたので……やはり部屋に戻ってから伝えれば良かったと反省しております」
「あちゃ~そっか……そらそうなるな、初恋だったろうし……」
ジェレミーとナタリーの会話が聞こえる。
今は何も考えたくない。と思っていると誰かに抱きかかえられるがそんな事はどうでもいい。
気が付くと部屋のベッドに寝かされていた。
「あれ……ここは泊っている部屋か……やっぱり夢だったのか」
ほっと溜息を吐いていると、ナタリーの声が聞こえる。
「夢ではありませんよ」
マジか……。
もう聞くしかないじゃないか……。
心を整理するために深呼吸をしてから、恐る恐るナタリーに聞く。
「……それでスカーレットが知らない理由……か」
そこが解せない。なぜスカーレットに隠す理由があるのだろうか。
「ヴァーミリオン家では、必ず専属の従者が一人つきます。そしてその従者は必ず歳が少し上の者が任命されます。当然そのタイミングで子供を作らなければ、そんな事は出来ません」
「スカーレットが結婚して子供を産む少し前に、ナタリーは子供を作る義務が生じるわけか……それでいいのか?」
伴侶との結婚のタイミングと、子供を作るタイミングを縛られるのはやりすぎじゃないだろうか。
「傍から見るとやりすぎと思われるかもしれませんが、ヴァーミリオン家の従者は、従者の仕事以外は全て自由です。当然この件が嫌であればただの侍女として仕える事も出来ますし、もし私の夫として平民を連れてきてもヴァーミリオン家に入る事を良しとすれば、教育もされ迎えられます」
「スカーレットに隠す理由にはならないんじゃないか?」
「それはですね……お嬢様が学院卒業後に多くのお見合いの話がありましたので、そのタイミングで私は幼少の頃から懇意にしていた夫と結婚をしたのですが、いざ蓋を開けると一人目で色々とありまして……その噂が回ったのか全て辞退されてしまわれたのです。それが原因で私が子供を作るタイミングを外されまして……エルドレッド様は作っても構わないと言ってくれていますが、あの頃のお嬢様は本当に引きこもりすぎてて、目を離せなかった……離したくなかったのです」
子供を作ると従者の仕事が出来なくなる。
それでスカーレットと離れる事と、子供を作る事を天秤にかけて、スカーレットを選んだわけか……従者の忠誠心を考えるとヴァーミリオン家って凄いな。
しかしパーシヴァル・ダドリーの件が原因で、お見合いがすべて白紙になったのか、まあ全て燃やせばそうなるかもしれない。
「そして、今はこんな状況です、もっと離れられなくなってしまいました」
ぐうの音も出ない。俺が好きでやっている訳じゃないが、俺が原因の一つでもあるのだ。
しかも子供を作るタイミングを外した最大の原因は、火はあったが、非が無いスカーレットだ。
ナタリーからすれば、俺達二人は完全に疫病神も良い所だ。
「私が好きでお嬢様の従者をやっていると言っても、この件をすべて話せば好きでもない人と結婚しかねません。それだけは避けたいと思いエルドレッド様と相談の末、私の結婚は一旦棚上げして、お嬢様には内緒にしているのです」
スカーレットならあり得る話だ。
この話を聞いた今の俺でさえ、ナタリーへの罪悪感が沸いているのだ、スカーレットが聞けば俺の比ではないだろう。
「それとですが、エカルラトゥ様の私への愛は、多分親愛だと思うのです」
「……俺なりに考えた結果なんだが……」
違うのだろうか……よくわからなくなってきた……。
「あまりにも私との記憶を共有しすぎたのではないのですか? 私の話を聞いて罪悪感を持っていませんか?」
「たしかに罪悪感はあるが……それは俺のせいでもあるし……」
「そもそも何故罪悪感があるのですか? たしかに結婚したとは言いましたが、それは結局棚上げされています、結婚していると私が言っているだけで対外的にはまだ独身です。エカルラトゥ様の存在のおかげで私はまだ誰のものにもなっていないのですよ? 今こそチャンスだと思われないのですか?」
「……思わないな」
「やはり家族に近い愛を感じているのです。もしかしたら姉に恋をする弟のようなものなのかもしれません」
「……」
きっとこれは恋だったと思う。でも普通の恋ではなかったのかもしれない。
精神が入れ替わり、今の姿はスカーレットだ。しかも記憶があり、思い浮かべれば、ナタリーとの思い出が浮かぶ。
胸が締め付けられる、これは病なんだろう、本来ならこんな記憶は無いはずなんだ。
「完全に独り相撲だな……ナタリーとの思い出が頭に浮かぶが、そんな事は俺には起こっていないんだ、でも記憶があるんだよ……」
自覚しようとすると、信じられないほどの喪失感を感じ、自然と涙が出てくる。
そんな俺を哀れに思ってくれたのか、ナタリーが抱きかかえてくれる。
「エカルラトゥ様の幼少の頃を少しだけ聞いています。きっと私とお嬢様の記憶が眩しすぎて、今その記憶が身を焼いているのです。どうかこの先に貴方に良い記憶が出来る様に私が祈ります」
スカーレットの体だからか、涙を我慢できずにナタリーに抱きつきながら泣いた。




