嘆きの地下牢
「くらいよ…。やだ…。たすけて…。」
光が届かない場所。そこでは、幼い少年のような声と、雫が硬い石に当たり弾ける音だけが響く。閉じられた空間では、その数少ない音は逃げ場を失ったために反響を繰り返して、何かが這いずる音を掻き消してしまう。
デリアン王国の都、ホンゴスチン。ヒルーツ大陸において最も力を持つ大国の都には、“モノ”が集まる。それは、人であり、食べ物であり、情報である。
そんなホンゴスチンの酒場である“ランゴ”で、二人の男がある情報を酒のつまみに飲んでいた。
「へ~、“嘆きの地下牢”ね~。」
「そうそう。なんでも、カウィ地方の領主の館にある地下牢には幸福を呼ぶ神様が捕まってるんだとよ。」
「はぁ?何で幸福を呼ぶのに、“嘆き”なんて言う変なもんが付いてんだよ?」
「そりゃ、お前。捕まって無理矢理幸福を呼ばされてんだろ?神様だって嘆きたくなるってもんだ。」
「なるほど。そう言えば、カウィ地方の領主っていや、商才の塊みたいな男だろ?どうせ、商売敵の嫉妬からの根も葉もない噂だろ?」
「いや、俺も最初はそう思ってたんだ。」
「ほう。つまり証拠があるってことか?」
「ああ。実はな…。」
そこで、一人が周囲を気にする素振りを見せ、耳を貸せと手を招くようにその右手を振る。二人は互いの頭を寄せ、続きを小声で話しだす。
「俺はな、実は一昨日の夜、そのカウィ地方の領主の館の近くを通ったんだ。」
「へ~。そりゃタイムリーなことで。」
「へへ。そうそれでな。明かりが少ない夜道をな、フラフラ~と歩いていたんだ。」
「明かりが少ない夜道をか?相当夜遅くだな?」
潤沢な資源な、領主の商才もあって、カウィ地方は夜道には街灯が街全体を照らしている。ただし、夜の時間が進み、日を跨ぐ頃にはその明かりも消えるのだ。つまり、男が歩いていたのは日付が変わった頃だと言うことである。
「いや、一昨日も飲み過ぎまして?」
「おいおい。金は大丈夫か?」
二人は近づけていた頭を離し、声量を戻して話し出す。
「はは、大丈夫ですよ。これでも稼いでるんでね。」
「そうか、そりゃ良い事を聞いた。どうだ?羽振りが良いなら、ここは奢ってくれねぇか?」
「おいおい、そりゃ、きついぜ旦那。旦那だって、最近大きな仕事をするんでしょ?」
「それはそれ。これはこれだ。」
「はは。そりゃそうか。」
何が、そうなのだろうか?
「それより、続きを話せよ。」
「ああ、そうだった。そうだった。」
二人はまた、頭を寄せ合い小声に戻す。
「で。俺が、夜道をフラフラ~としているとな。」
「それは、聞いた。」
「いや、これからが面白いんですぜ。」
「面白いのかい?」
「ええ、面白いですよ。なんか、カサカサって、音がねしたんですよ。」
「ふむ、カサカサってな?」
「ええ。でな?音がした方を見ると、そこには大きな大きな屋敷があったんでさ。」
「そりゃ、領主の屋敷じゃねぇか?」
「そうでさ。カサカサって音がした方を見ると、領主の屋敷だったのよ。」
「そりゃ、領主の屋敷にある庭園の草木が、風で揺れた音じゃねぇのか?」
「ええ、最初はそう思ったんですがね?カサカサって、音がね鳴ってるんですよ。」
「だから、風で揺れてんだろ?」
「いや、風は吹いてねぇんですよ。」
「ほう。そりゃ不思議だ。」
「ええ。不思議だなって、思って眺めていると、キャーっていう女の声が館からしたんでさ。」
「おい、そりゃただ事じゃねぇな?」
「そう思うでしょ?」
「なんだ?ちげぇのか?」
「ええ。俺もそう思って、その場から逃げ出して翌日聞いたら、鼠が出たんだとよ。」
「ネズミだ?」
「ええ。なんでも見回り中の侍女が、暗闇の中動くネズミを見て、悲鳴を上げたんだとよ。」
「ほう。ん?」
「どうしたんでさ?」
「で?結局“嘆きの地下牢”って何なんだよ?」
「へ?」
そこで、二人は頭を離し声量を戻す。
「だから、結局“嘆きの地下牢”って何なんだよ?」
「えっえっと…。はは。」
「まさか、デマっていう訳じゃねぇよな?」
「いや~、酒が回り過ぎて忘れちまった…。」
「おいおい…。」
「すまねぇ。」
「はぁ…。まぁいい。おい、マスター二人勘定だ。」
そう言って、男は二人分の酒代を払い、二人は酒場を出た。
「面目ねぇ…。」
「気にすんな。」
二人は店の外で分かれた。
その翌日、カウィ地方の領主の館の外で、一人の侍女と一人の通行人が死んでいるのが発見された。
さらに翌日、地下牢に隠れていた領主の一人息子が保護された。それ以外の人間は、ゾンビとなって領主の館の内部を徘徊していた。
後に、地下牢に隠れていた領主の一人息子の鳴き声と、領主の館の内部を徘徊していたゾンビとなった人々の呻き声、元からの噂から、“嘆きの地下牢”事件と呼ばれるようになった。
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