第九十話「引導」
「な、棗さん」宮美がごほごほと咳こみながら、丸眼鏡の男を上眼で見あげた。
「あんなことまで暴露しろと言った憶えはないよ」
棗と呼ばれた白金機関のエージェントと思しき丸眼鏡は、宮美を守るようにしてぼくの前に立ちはだかる。
やはりこの女、白金機関のエージェントとつながっていたのか。
『消えなさい』
サリーの〈ブーさん〉の右肩に装備された機関銃が、棗と宮美に向けられた。
――が、突如がちゃんと地面に落下し、転がっていく銃身。
『何事』サリーが叫んだ。
闇に紛れて駈けつけた、忍者のような格好をした黒ずくめの男ふたりが、まるでSF映画にでも出てくるような光の剣を、携えていた。
否、鍔口からかすかにシューとガスか何かが噴きだす音が聴こえる。地面に転がった機関銃の銃身の〈切り口〉が、赤く灼熱しており、おそらく高熱の炎で敵を焼き切る武器だろう。白金機関には、世界各地から優秀な科学者を集めて世界の最先端を行く近未来兵器を開発している研究所が存在すると聞く。
『小癪』
サリーの両脇にいたパワードスーツ二体が、腕に内蔵された機銃を黒ずくめの男に向ける。
しかし黒ずくめの男たちの動きは獣のようにすばやく、パワードスーツ二体は瞬く間に心の臓(つまり中に乗っているパイロット)に炎の剣を突き立てられ、その動きを停止した。
黒ずくめの男ふたりは、そのままサリーの〈ブーさん〉を襲撃するべく狙いを定めた。
だがそんな暴挙はこの聖戦士パエトンが許さない!
新しい大型拳銃を二挺構え、人間を超越した動きと超反応で黒ずくめの男ふたりに正義の鉄槌ならぬ十二・七ミリ弾を射出する。
ただでさえ超人的なぼくの身体能力に、ハルバード社による肉体強化手術が加われば、鬼に金棒。
軽い。軽い。身体が、軽い。
ぼくの弾丸は連中にかすりもしなかったが、サリーの〈ブーさん〉が脚からジェット噴射して空中に逃げる時間を稼ぐことはできた。
『パエトン。離れなさい。邪魔よ』
サリーが空中から叫んだ。
すでに〈ブーさん〉の口が、鰐の如く大きく開かれていた。
身の危険を感じたぼくは、すばやくふたりの黒ずくめの男たちから離れた。
『〈マジカル・ミラクル・オラクル・ビーム〉!』
直後、ブーさんの口から直径二メートルの巨大なレーザー砲が放たれ、辺り一帯の道路を焼き払った。
あまりの高温に道路のアスファルトは完全に融け、ドロドロのマグマのようになっていた。
黒ずくめの男ふたりは、影も形も残らなかった。
『きゃはははは。これが正義の光よ。思い知ったか。きゃは。きゃはははは』
空中で静止していたサリーが興奮気味に哄笑する。
「サリー。危ない」
ぼくが叫んだ頃には、もう遅かった。
どかあん。
すっかり慢心していたサリーは、森の中から放たれた一発のロケット弾をもろに受け、自らが焼いたドロドロのアスファルトの地面の上に叩き落とされてしまった。
ブーさんの山吹色の体毛に融けたアスファルトがべっとりと貼りつき、もはやマスコットというよりどこぞのホラー映画のゾンビ然とした雰囲気を醸しだしていた。
『くそ。よくもやってくれたわね。卑怯者。隠れてないで出てきなさい』烈火の如く吼えるサリー。
さすがはハルバード社の開発した最新鋭パワードスーツ、と、ぼくは胸をなでおろす。戦車すらも破壊する対戦車ロケット弾の一撃を受けても無事とは恐れ入る。今度ハルバード社の株を買っておこう。
しかし安心するにはまだ早い。
先ほどの黒ずくめの刺客が、さらに三人、ものすごい勢いでこちらへ迫ってくる。
今度の敵は炎の剣のみならず、短機関銃イングラムM11で武装しており、ぼくとサリーに同時に襲いかかってきた。
『ふん。まとめてあの世に送ってやるわ』
ふたたび、〈ブーさん〉の口が大きく開かれた――が、サリーがあの長ったらしい必殺技名を叫んでも、ブーさんの口からは黒い煙がごわごわと吐き出されるのみ。
『ちょ。何よこれ』
おそらく先ほどロケット弾を受けたショックで故障してしまったのだろう。
「サリー。ぼくに任せてくれ」
襲いかかってくる刺客のひとりの光の剣を超反応で躱し、その背中に弾丸を叩きこむ。
弾丸と言っても、拳銃弾ではない。〈改造手術〉によってはるかにパワーアップしたぼくのために特別に開発された、六十口径の象撃ち用ライフル弾をぶっ放す巨大拳銃、その名も〈聖天使の接吻〉。なお命名者はサリー。
ばきん、と、硬い物が割れる音がした。
おそらく敵の〈黒ずくめ〉は防弾アーマーで武装していたのだろうが、ぼくの新たなる愛銃が放つ六〇〇ニトロ・エクスプレス徹甲弾の前では紙屑同然。
事実〈黒ずくめ〉は我が〈聖天使の接吻〉によって防弾アーマーの亀裂から血を噴き出し、地面に頽れた。天使は天使でも、死の天使だがな!
残るふたりは、ぼくを無視して光の剣でサリーを狙ったが、無論ぼくがそんなことを許すはずがない。
いくら連中が人間離れした猫科の猛獣が如き動きをしても、ぼくにはすべて止まって見えた。
「見える。見えるぞ」
メンゲレ博士による改造手術を受ける前のぼくならば、これほどの手練三人を相手にすれば遅れまでは取らずとも、かなり手こずらされただろう。
だがしかし! 今のぼくにとっては、獅子が兎を狩るに等しい。
ぐちゃ。
ぼくのメガトン級の蹴りをまともに腹に受けた刺客は、背骨ごと内臓を潰されてヘアピンさながらに身体を折り曲げ、車に撥ね飛ばされたバイカーのように宙を舞い、ワッフル状のコンクリート壁に衝突、グロテスクな赤い花火を散らせた。
「貴様らごとき、我が〈聖天使の接吻〉を使うまでもない」
「お前、本当にヒデルなのか」棗が表情を強張らせた。「いや。お前はヒデルじゃない。山本や杉原を殺した、悪魔だ」
「山本、杉原? 知らんな。そんなやつは」ぼくの頭の隅々まで探ってみても、まったく憶えのない名前だった。おそらくぼくが殺した白金機関のスパイの誰かだろうが、そんなことはどうでもよい。「ぼくの名はパエトン。サリーの騎士だ」
「総帥。彼はもはや我々の仲間ではありません。情け容赦は命取りです。射殺の許可を」棗が鋭い眼つきをこちらへ向け、懐からベレッタを抜き、構えた。
「情け容赦だと。舐められたものだな」ぼくは棗を睨み返す。
だが直後、無線機ごしにヒヅルが何かを告げたのか、棗が眼を見開いた。
「何ですって。危険です。彼のことは、どうか我々にお任せを。あっ。ちょっと。お待ちください。総帥。我々にチャンスを」
山の南側の道から、一台の黒塗りの日産プレジデントがこちらへと接近してくる。
運転席には、背の高い中東系の女、ティキ・セラシエ。
そして――
「ヒデル。サリーに洗脳されていたとはいえ、あなたは我々の仲間を殺しすぎた。私は姉として、ではなく、白金機関総帥として、あなたを裁かねばなりません。あなたを殺さなければならないのなら、せめてこの私の手で、引導を渡します」
助手席から出てきた白金ヒヅルが、二挺の黄金のデザートイーグルを両手に持ち、神妙な面持ちで、そう告げた。