第八十七話「強化」
数日後。ぼくはハルバード社の秘密地下研究施設に連れていかれた。
いや、連れていかれたという表現は適切ではない。
ぼくは自らの意志で、サリーの〈改造手術〉の提案を快諾したのだ。
あの〈悪魔の太陽〉を相手にしても、彼女を守れるように。
ハルバード社の地下研究施設は、常軌を逸していた。
見たこともない生物、下半身が熊のように肥大化した男、腕が四本に増えた女……
アメリカの法も及ばぬ、この治外法権の世界は、まさに〈魔界〉と言ってもよかった。
改造手術とやらに失敗すれば、ぼくも彼らのような〈成れの果て〉と化して、この施設で永遠に過ごすことになるのだろうか。そんな不安が、頭の中をよぎった。
いや。きっとサリーは、そんな危険な手術は受けさせないだろう。彼女は唯一無二の聖女。そんなことがあるはずがない。
無骨な金属製の台の上に寝かされ、ぼくを待ち構えていたのは、ふたり。
ひとりは黒装束を着た二メートルを超える白髪交じりの壮年の男。怪しげな瓶底眼鏡と魔女のように尖った鼻、ぼーぼーに伸びた髭がいかにもマッドサイエンティストという具合だった。
そしてもうひとりは、サリー。
「大丈夫よ。パエトン。私がついてるから。ずっと手、握っててあげる」
サリーは慈母のように優しくそう言うと、ぼくの右手をその白く美しい手で、握った。
「あなたには莫大な報酬を払ってるわ。メンゲレ博士。失敗したら、わかってるでしょうね」サリーが険しい顔で念を押すように言った。
「失敗などありえません。サリー様。私にすべてお任せください。必ずや、あなたの〈騎士〉様を、人類最強の男に仕上げてみせましょう。前人未到のプロジェクト〈人工全能計画〉は、この私の手によって完成される。ぷひ。この手で〈神〉を造る悦び。ぷひひ。この素晴らしいプロジェクトに関われるなら、たとえこの場で貴女に殺されようと本望。ぷひゃあ」メンゲレと呼ばれた男は、興奮気味に笑い始めた。
「真面目にやりなさい」サリーがメンゲレの右頬にばちんと強烈な平手打ちをお見舞いし、ヒステリックに叫んだ。
「ええ。やります。やりますとも。ぷひひ」
かくして我が身はこの奇人変人の手に委ねられることとなった。
メスで身体を裂かれ、ドリルで骨を削られていたが、麻酔を使っていたのか、ただ己の身体をごりごりと弄り回される不気味な感触だけが、伝わってきた。
「どう。痛みはない? パエトン」
「大丈夫だよ。麻酔使ってるし。もっとも使っていなくても、ぼくには耐える自信があるけどね。あはは」
サリーが時々話しかけてくるたびに、軽口をたたくぼく。しかし内心は不安でいっぱいである。何せこのきちがいじみたマッドサイエンティストに命運を委ねるしかないのだがら。麻酔で感覚が麻痺しているはずなのに、どういうわけか右手から伝わってくるサリーの手の温もりだけが、ぼくの心を支えていた。
「そ。よかった。あなたには強くなってもらわなくちゃ。マイクみたいに死なれちゃ、困るもの」伏し眼がちで悲しそうに、サリーはそう零した。
「サリー。マイクって」
「ううん。過去は過去。今の私の〈騎士〉は、あなたよ。パエトン。最強の男になって、私を守ってね」
「もちろんだよ。サリー」
「ぷひひ。切って刻んでくっつけてえ」
ぼくたちが見つめあう中、メンゲレ博士の奇声が手術室全体に、不気味に響き渡った。