第七十話「失踪」
翌日二〇一八年六月十一日。ぼくに残された休暇もあと五日。久々に宮美と会って話がしたいと電話するも繋がらず、メールを送るが三日待っても返事がこない。彼女は今大学に通いながら大嶽総理の補佐官見習いとして働いている。同じ白金大学に通う星子に訊いても、最近はろくに学校にも来ておらず、連絡しても返事がないという。姉さんに訊いても知らないの一点張りだったそうだ。
テレビをつければ相も変わらずモリタケ問題。しかし今はそんなことはどうでもいい。大嶽総理の傍にいるはずの宮美が、いつまで経っても現れない。彼女の才能を見込んだ姉さんの伝手で大嶽総理の補佐官になったのだから、たとえば体調不良などで療養しているのなら姉さんがまったく知らないのは不自然だし、仮に本当に知らなかったとしても星子に宮美の安否を問われれば大嶽総理に事情を訊くなりするだろう。事故や病気による欠席ならばすぐにでも療養先の病院を突き止め、義妹であり宮美の友人でもある星子に知らせないのはおかしい。
となると、失踪? 一体なぜ?
何だか厭な予感がする。
居ても立っても居られないぼくは、姉さんに直接話を聞くことにした。
冬のボーナスで購入した純白のブガッティ・シロンに乗りこみ、東京の地下百メートルの秘密トンネルを時速二百キロで飛ばし、姉さんのいる第百五十四白金タワーへと向かった。
「姉さん。姉さんは、ぼくを信用しているかい」
最上階の会長室で優雅にティータイムをとっていた姉さんに、ぼくは単刀直入、開口一番に訊ねた。
「どうしたのですか。ヒデル。藪から棒に」
姉さんは眼をぱちくりと大きく見開いていた。神秘的な黄金の瞳が、十五夜に燦然と輝く満月のようであった。
「答えてくれ」
「無論信用してますよ。当たり前じゃないですか。弟を信用できなくなったら、姉として失格ですわ」
「姉さん。宮美が一週間以上も前から、音信不通になっているそうなんだ。何か知らないか?」
ぼくがそう訊ねると、姉さんの顔が明らかに曇った。
「やはり、話さねばなりませんか」
姉さんはため息まじりにそう言い、少し間を置いて、ぼくの眼を真剣な眼差しで見つめ、逆にこう訊ねた。
「真実を知る覚悟が、おありですか。ヒデル」
姉さんのその言葉には、何だかとてつもない重みがあった。
「あるよ」
姉さんに気圧されながらも、ぼくは首肯する。
「彼女、鷹条宮美は、ヘリオスの手に落ちました」
「何だと」
ぼくは耳を疑った。そして姉さんに詰め寄り、彼女の肩を鷲掴みにして、さらに訊ねた。
「ヘリオスの手に落ちたって、どうなったんだ。殺されたのか」
「落ちついてください」
姉さんは微動だにせず、落ち着き払った調子で言った。
「宮美の行方については、現在調査中です。彼女は接近してきたヘリオスの手先に洗脳され、ヘリオスの幹部と密かに会っていました。宮美が漏洩した情報の詳細は不明ですが、会うのをやめるよう警告したにも拘らず密会を繰り返し、尾行させていた機関の職員二名が、ヘリオスの兵士に銃撃されて死亡しました。宮美は《協力者》として、鷹条政権転覆の際に多大な貢献をしてもらいました。が、敵に回すにはあまりにも多くを知りすぎている。私としては、宮美に再度お会いしてきちんと話しあいたいところですが、まずは彼女が見つからなければどうにもなりませんね。しかし我々の仲間が犠牲になってしまった以上、何らかの形で落とし前はつけていただくでしょう」
姉さんはまるで冷たい鉄仮面でも被ってしまったかのような無表情で、そう言い放った。
「宮美の捜索、ぼくに任せてくれないか。姉さん。ぼくが彼女を探し出して、説得する。姉さんとも会って話をするように言ってみるよ」
しかし姉さんは首を横に振り、ぼくの提案を退けた。
「いいえ。それは他の者にやっていただきます。ヒデル。あなたには別の任務をお願いしたい」
ぼくは諦めずに食い下がった。「姉さん。宮美はぼくの大切な友人だ。ぼくにやらせてくれ。必ず連れ戻すと約束する。ぼくを信頼して、任せてくれないか」
頭を下げて必死で頼みこんだ甲斐があったのか、姉さんは無表情のまま数瞬沈黙した。次の言葉をぼくに言うべきか否か、考えているように見えた。
姉さんは懐に手を入れ、黒い下地に黄金の菊が描かれた扇子を拡げ、ぼくに向けた。姉さんの選んだ扇子の絵柄にはそれぞれ意味があり、姉さん自身の気分や相手によって変化する。菊の意味とは、すなわち――
「宮美がこちらの要求に従わない場合。彼女を殺す覚悟は、おありですか」
それは、ぼくの姉さんとしての顔ではなく……そう、ぼくを白金機関に勧誘した時の、白金グループ総帥としての、顔だった。
ぼくが言葉を失っていると、姉さんは扇子を口もとにあて、微笑んだ。しかしその笑みは、いつもの柔和で淑やかなものではなく、冷淡で情け容赦のない……言ってしまえば悪魔のような、笑みであった。
「姉さん。聞いてくれ。宮美はたぶん、そうだ、ヘリオスの連中に唆されて、騙されているだけなんだ。ぼくが彼女を必ず説得してみせる。だから」
姉さんを説得を試みるぼくの言を遮り、姉さんは続けた。
「ヒデル。ここは宮美の《暴走》を止めるのが至上命題です。それは、彼女の命よりも優先する。彼女はもはや、あなたの友人の鷹条宮美ではありません。彼女のせいで、すでに我々の同胞二名が命を落としてしまった。我々のもとへ戻るよりも、ヘリオスの尖兵として、我々と敵対することを選んだ。降伏しないのであれば、容赦すべきではないのですよ」
姉さんの圧に押されてぼくが黙りこんでいると、姉さんは痺れを切らしたように扇子をぴしゃりと閉じた。
「やはり他の者にやってもらいましょう。あなたには迷いがある。宮美の背後には、ヘリオスがいる。いざという時に引金を引くことを躊躇えば、命を落とすかもしれない。あなたはこの任務には不適格」
「わかった。もしもの時は、ぼくがこの手で、彼女の息の根を止める。これでいいかい。姉さん。ぼくにやらせてほしい。この通りだ」
ぼくは姉さんの足もとに平伏し、土下座をした。
姉さんは相変わらずアンドロイドのように無機質な無表情でぼくを見おろしていたが、やがて自らも膝をつき、ぼくの頭に手を置いた。
「頭を上げなさい。ヒデル。あなたの覚悟は伝わりました。良いでしょう。あなたに鷹条宮美奪還任務をやっていただきます。成果を期待してますよ。ヒデル」




