第六十五話「結婚」
朝鮮共産党本部の襲撃と金暻秀の失踪は朝鮮人民解放戦線によるクーデターである、と、表向きには報じられた。あの事件の後「我こそ朝鮮の王」と血みどろの権力闘争が勃発するも、一週間後何事もなかったかのように現れた金暻秀の手によって終息。ふたたび朝鮮共産党はひとつになり、国内の治安も回復しはじめた。
北朝鮮の核ミサイルは予定通り量産化が進められ、二〇一八年六月には予定通り五百発まで製造された。白金グループの技術力によってアメリカ軍の最新レーダーでも検知しにくいステルス仕様、および迎撃ミサイル回避システムを搭載し、いつでもどこからでも全世界を攻撃できるよう大型のトレーラーに乗せられ、同時に整備が進んでいた巨大防空壕兼兵器運搬用トンネル網の中に隠された。白金グループによる莫大な資金と技術は、もはや北朝鮮の国土全体をひとつの巨大な軍事要塞と化してしまった。
ヘリオス擁するアメリカは、中国やロシア、欧州諸国と一丸となって北朝鮮に対し経済制裁を強化、米韓合同軍事演習も幾度となく繰り返していた。しかしちょうど同時期にシリア内戦、すなわちロシアやイランの支持するアルアベド政権と、米欧の支持する反政府組織による代理戦争が激化し、アメリカ現大統領のプラトンもそちらを重要視せざるを得ず、対北朝鮮政策は後手に回った。なお、日本も表向きは北朝鮮は世界の敵であるとして経済制裁の一員に加わっている。白金グループによる北朝鮮支援はあくまで最高機密である。
日本から北朝鮮に帰国した金暻秀は(そういえばあのクソ軟派野郎、よりにもよって姉さんに「俺の妻になれ」などとぬかしやがった。四流国家のボス猿風情が、世界の頂点に立つにふさわしいぼくの偉大なる姉さんに求愛するとは。身の程知らずも甚だしい)まるで借りてきた猫のように姉さんに従順になり、姉さんの方針通りまず平和路線一辺倒の韓国を《朝鮮半島の非核化》というカードを巧みに利用して懐柔、南北首脳会談を三度にわたって開催し、米韓の分断を謀った。作戦は無事成功し、北朝鮮は史上初となる米朝首脳会談をシンガポールにて開催することとなり、朝鮮半島の非核化の見返りとして経済制裁の解除を勝ち取った。
核兵器公開処分では、国際原子力機関の査察団の眼の前で二百発もの核弾頭、大陸間弾道ミサイルが解体、処分された。これにより、朝鮮半島に完全なる非核化が実現した。しかしこれには裏があって、北朝鮮で製造された本当の核弾頭、ミサイルの数は、廃棄された二百発の倍以上の、五百発。表の核兵器製造工場で造らせたものが二百、秘密地下製造施設で造らせたものが三百。廃棄されたのは表の工場で製造した物だけで、裏の工場で造られた本当の核戦力に関しては、地下の秘密兵器庫に未だに保管されている。
戦略核兵器は、持っていることを他国に示さなければ、抑止力として機能しない。表向きは日本も北朝鮮も《核なき世界》を目指すと公言しているが、我々が隠れた核保有国であることは知る人ぞ知る、というわけだ。そしてもし秘密核兵器の存在が公になったとしても、国際社会から制裁を受けるのは北朝鮮であって、日本すなわち我々ではない。そして北朝鮮の最高指導者・金暻秀は、朝鮮半島の非核化に貢献したとしてノーベル平和賞を受賞、北朝鮮は平和の使者として、そして裏では隠れた核保有国として、日本が主導する《世界平和連合》に加盟した。つまり事実上の軍事同盟である《世界平和連合》のすべての加盟国は、北朝鮮の保有する秘密核兵器のいわゆる《核の傘》に守られるわけだ。
北朝鮮統治の要である金暻秀が裏切らぬよう、我々は彼を一度日本へ連れ帰り、徹底的な《思想教育》を施した。詳しい方法は知らないが、白金機関にはごく一部の者だけが知る秘密の洗脳施設があり、そこに放りこまれた者はひとりの例外もなく姉さんの忠実な下僕になるらしい。事実《思想教育》以後の金暻秀はその政治手腕を失うことなく、しかし自ら率先して姉さんに忠誠を誓う理想的な代官となった。さらに万一金暻秀が裏切っても、核ミサイルが日本へ飛べば軌道を外れるよう工作されている上に、本物の発射ボタンは姉さんの手元にあり、ミサイルの格納庫自体も人工知能IRISによって二十四時間監視されている。侵入者が来れば、すでに実用化したAIロボット兵士部隊によって排除される。
犠牲こそ出してしまったものの、北朝鮮属国化計画は無事成功し、我々白金機関は次の段階である《白の清浄計画》を策定、着々とその準備を進めていった。
一方、日本国内で最近ある問題が発生していた。
野党に転落した愛国党による国会での激しい糾弾、そしてその様子が一部メディアによって連日報じられていた。日本のメディアはそのほとんどがヒヅル姉さんに買収されており、労働党に対して不利益な報道は控えていたのだが、ここ最近になって掌を返したように労働党、殊に姉さんの忠実な代官である大嶽総理が「友人の経営する学校に対して便宜を計ったのではないか」と糾弾し続けている。疑惑の学園である森本学園と竹井学園の頭文字をとって《モリタケ問題》と呼ばれるようになり、国の舵取りよりもあくまで《モリタケ》が優先、さらには閣僚のセクハラ、公金を使ったキャバクラ通いなども取り沙汰されるようになり、野党は愛国党の主導によって国会審議を欠席するようになった。
が、こちらも手持ちのメディアを使い、野党はあからさまな権力争い、倒閣を目的とした露骨な言いがかりで国会審議を停滞させている、などと反論。大嶽内閣の支持率下落に歯止めをかけた。
北朝鮮でオフィーリアと対峙した時、彼女は「日本に火種を撒いてある」などと意味深なことを言っていた。戦争は、すでに始まっている。戦争と聞くと、通常ミサイルを飛ばしたり爆弾を落としたりと人が大勢死ぬ実戦を想像するだろう。だが、現代では実戦は戦争における一形態に過ぎない。戦わずして勝つ、つまり実戦せずに勝つのが至上、と、孫子は言ったが、それは情報戦、あるいは経済戦で勝利することに他ならない。
そう。ヘリオスは、すでに日本、すなわち姉さんに対して、情報戦をしかけているのだ。白金グループの開発した最新鋭兵器で武装した自衛隊、AIによる堅牢な監視システム、そして《世界平和連合》、中でも新たに加盟国となった北朝鮮の隠し持つ核の抑止力。この三本の矢がある限り、日本の安全保障は揺るぎないものとなる。いかに世界最強の米軍といえど、正面から武力で攻めて日本を陥落させるのは容易ではないし、大義なき戦争を仕掛ければイラク戦争の時のように求心力を失うことになりかねない。そこでヘリオスは情報戦をしかけ、戦わずして勝つ作戦で挑んできたのだ。労働党に反旗を翻したメディア数社は、おそらく潜伏したヘリオスの工作員によって買収されている。ぼくが所属する国家統合情報局は、日本に潜伏したヘリオスの工作員を見つけだし、速やかに《排除》すること。この場合の《排除》には、殺しも含まれている。
今ぼくは、対北朝鮮工作部隊の指揮官としての任務を終え、二週間ほど休暇をとって北海道に旅行に来ている。ネオ夕張の《兵器開発局》に籠っているアルマに会いに行くという目的もあった。
羽田から新千歳へと向かう飛行機内のテレビ・スクリーンには、相も変わらずモリタケ問題で紛糾する国会の様子が映されていた。馬鹿馬鹿しい。一日三億もの運営費をかけて国会で審議する話ではない。国会は国の舵取り、国家の繁栄や他国からの侵略防衛のためにこれから何を為すべきか話しあう場で、国民を置き去りにして権力争いをする場ではないのだ。これを機にヘリオスや中国国家社会主義人民共和党(略して中国国民党)の息のかかった野党連中を排除して、姉さんを頂点とした君主制を敷いてはどうか。などと考えているうちに、ぼくはある違和感に気づいた。
宮美の姿が、どこにも見られない。いつもは秘書官として大嶽総理の傍につき、日本の将来を担う若手として政治の世界に身を置いていた鷹条宮美の姿が、なかった。彼女の身に何かあったのか……と考えたところで、ぼくは思考を中断した。考えすぎか。たまたま体調が悪くて休んでいるのかもしれないし、休暇でもとって旅行に出かけているのかもしれない。
時計の短針がちょうど十二を差そうとしていた頃、スチュワーデスがワゴンを押して機内食を持ってきた。
「ヒデル様。ご飯ですよ」
ぼくの隣、通路側の座席に座っていた美煐が立ちあがって弁当を受取り、ぼくの前の座席に付いている折畳みテーブルをセットして上に乗せた。慣れたもので、その動きは勤続年数の長いベテランのウェイトレスを彷彿とさせた。
「ありがとう」ぼくは美煐に礼を言うと、お絞りで手を拭いてから割り箸を割り、弁当を食べ始めた。「しかし、君までついてくるとはね」
「ヒデル様のお世話がワタシの仕事、だから」美煐は満面の笑みで照れることなくそう言った。その栗鼠のように愛くるしい童顔と屈託のない笑みは、どう見てもせいぜい高校生くらいの少女のそれであった。
「大丈夫だよ。自分のことくらいは自分でできるし、むしろこういう時くらい日常のことは自分でやるようにしないと、自分のことすら自分でできない駄目人間になってしまう。君もたまには休暇でもとってゆっくりと」
「ヒデル様と一緒に旅行したい。だめ?」
頬を薄っすらと赤らめ、くるんと丸く可愛らしい大きな眼を上眼遣いにして哀願され、ぼくは頬を掻いて顔を背けた。
「まあ、だめとは言わないけど」
「やった」
そう。昨年の九月、美煐が姉さんの恩寵によって脱北し、日本に移住し始めてから早九カ月。日本語がほとんどできなかったものの、白金グループ傘下の企業が経営する在日外国人向けの日本語学校に通いながら、激務で忙殺されている白金機関エージェントの身辺の世話をする使用人として、美煐は暮らしていた。姉さんの伝手で日本の永住権も獲得し(もっとも市民権、つまり国籍の方はあと九年三カ月日本で暮らないと得られない)、こつこつ真面目に勉強した甲斐もあって、そこそこ日本語も話せるようになってきた。上記の会話は朝鮮語ではなく、日本語によるものである。まだこちらが配慮してゆっくり話さないと聞き返されることが多々あるが。
二カ月ほど前、つまりぼくが対北朝鮮工作任務を終えて戻ってきた翌日に、美煐はぼくの専属使用人として配属された。
そして辿々しい日本語で、こう言ったのだ。
「おかえりなさい。ヒデル様。ずっと待っていました。ワタシと結婚してください」
いきなり花束を差し出されて求婚され、ぼくの思考は数秒間停止してしまった。




