第六十四話「戦後処理」
「ふん。連中め。尻尾を巻いて逃げおったか」
党本部ビルの正面玄関から、金暻秀が威風堂々とAKを担いで出てきた。そして姉さんに歩みよると、馴れ馴れしくもその肩に手を置き、こう言った。
「いい腕だな、白金ヒヅル。ちょっとやそっと鍛えただけの半端者の動きではない。数多の戦場をくくり抜けてきた、歴戦の勇士の動きだ。気に入った。お前は素晴らしい女だ。どうだ、この金暻秀の伴侶にならんか。そして世界を我らの手に」
金暻秀が、姉さんの腰に手を回し、顔を引き寄せ、野性的美男微笑を浮かべた。
「私の夫となる覚悟が、おありですか」
姉さんが眼を細め、意味ありげに微笑んだ。彼女の後頭部の太陽を模した髪飾りが、一瞬妖しく輝いた……ような気がした。
ぼくはすかさず胸ポケットから一本の黒いペンを取り出し、先端を金暻秀に向け、クリップの裏に仕込まれた秘密のボタンを強く押した。
「なっ……貴様」
ヘリオスを撃退して気が緩んでいたのか、完全に虚を突かれた金暻秀はすぐに白眼をむいて、地面にへたり込んだ。彼の首から、細長い銀色の針が生えていた。そう……これは《兵器開発局》が生み出した、ペンに偽装した麻酔針発射装置である。
『隊長。平和だ。人質が耀徳収容所にいるという情報を、朝鮮人民軍の将校から得た。これより、確認と救出を』
無線機から平和の声が聴こえてきた。そう。彼女は別働隊として堀田や《解放戦線》とともに、捕らえられた技術者たちの所在を密かに調査していたのだ。
しかし、技術者たちは先ほど全員殺されてしまった。
「平和。堀田。残念ながら、人質はたった今、全員殺された。助けられなかった。ふたりとも速やかに帰還」
『ヒヅル。ヒデル。在韓米軍基地からB2がそっちに一機、向かってる。ドローン防空網が捉えた。気をつけて』
ぼくの声を遮り、無線機からアルマが言った。姉さんを日本から引きずり出して仕留める千載一遇のチャンスを、みすみすオフィーリアが逃すはずはなく、《我々》は連中が多少荒っぽい手段、たとえば戦闘機や爆撃機による空爆、ミサイル攻撃なども行ってくるかもしれない、というリスクに備え、衛星による監視はもちろんのこと、予め千体の虫型ドローンを平壌上空に飛ばし、防空網を築いていたのだ。高いステルス性能を持つ米軍の最新鋭爆撃機B2は、北朝鮮の旧式レーダーで捉えることは不可能。だが航空機である以上、どうしても熱は出る。千体のドローンに仕込まれた熱感知センサーの大群をかいくぐることも、また不可能。
「ありがとう、アルマ。平和、《十六式》はあるか」
『もちろんあるよ。読み通りだな、隊長』平和が朗らかな声で言った。
「頼んだぞ」
日本軍事技術研究本部と白金重工が共同で開発した最新鋭地対空ミサイル、正式名称・十六式携帯地対空誘導弾は、ドローン防空網から送られてきたデータとリンクし、上空一万メートルを飛ぶ航空機をも捕捉する。
平和たち別働隊は、捕らえられた技術者たちの行方を調査しつつ、もしもの空爆時に備え、地対空ミサイルを持って待機していたのである。
『こちら、アルマ。目標の撃墜を確認』数十秒後、アルマから報告が入った。
「オーケイ。よくやった、アルマ、平和」ぼくはしたり顔でそう言った。
オフィーリアのやつ、撤収したと見せかけてぼくたちを爆殺しようと目論んでいたのだろうが、今ごろ失敗に終わったと知って吠え面かいているだろう。
その後、ぼくたちはステルスヘリ《朧》に乗って平和と堀田を拾い、北朝鮮元山の沖四百キロメートルの深海に潜伏させたステルス潜水艦《凪》まで無事に辿り着いた。後はこのまま日本へ帰るのみ。
「ありがとう。真茶」
ぼくは真茶に勝利の美酒ならぬ缶コーヒー、それも甘いと評判の《シュガーMAXコーヒー》を放り投げ、礼を述べた。
「何がだ」真茶は眉根を寄せ、独特の黄色い缶に詰められた激甘コーヒーを、一気飲みした。「美味いな」
「人質を取られて身動きとれなくなっていた姉さんを助けるために、動いてくれただろう。君がああしてくれなかったら、ぼくがオフィーリアを襲撃していた。そして今ごろ《機関の理想に背いた罪》で処罰されていたかもしれない」
いくら能力があろうと、白金機関の《完全世界》の理想を軽んじる者に対し、姉さんは厳しい。《完全世界》とはすなわち、殺された白金グループ技術者のような罪なき一般人が安全で豊かに暮らせる世界だ。人質、すなわち守られるべき一般人の命を軽んじる行為は、当然白金機関の理想に反している。もちろん白金機関には誰もが入れるわけではなく、機関の理想を軽んじる者、あるいはヘリオスや他国のスパイは、姉さんという最高の面接官によって振るい落とされるのだが、中には地獄谷村正のような例外もいる。彼は実に優秀な男だったが、組織に入り活動しているうちに次第に独善的になり、破落戸や犯罪者を人間失格と称して大量に虐殺したため、姉さん自らの手で粛清することになった。逃げられたが。
白金機関の理想に従い、最後まで技術者たちを救おうとリスクを冒した姉さんを無視して、言ってしまえば《総帥の御意思》に背いて、ぼくは人質の命を危険に晒し、オフィーリアを殺すべく一か八かの賭けに出ようとした。
たとえ弟のぼくであろうと、機関の理想に背いた者を姉さんは罰するだろう。賞罰を与える際に身内だけ依怙贔屓する人ではない。結果的に真茶が先に動いて代わりに汚名を被ってくれたおかげで、ぼくは白金機関の理想に背かず、処罰を免れたというわけだ。いや、白金機関の人間すべてが、姉さんにとっては等しく身内なのかもしれない。
真茶は無愛想な顔で淡々と言った。
「礼など要らんよ。私は殺し屋。敵を殺すのが仕事だ。私はただ自分の仕事をしただけ。お前たちとは違う」
「なあ。真茶。帰ったら、ふたりで食事にでも行かないか。ぼくが奢るよ。君のことを、もっと知りたいんだ」
ぼくの誘いに対し、真茶は無言で背を向け、中指を立てた。
「もう会うこともねえだろ」
それ以上何も言わずに立ち去る真茶を、ぼくはただ黙って見送った。つれないなあ。




