第六十二話「大義」
『待たせたな。隊長』
最新鋭ステルスヘリコプター、《朧》。
白金機関が極秘裏に開発した奇襲兵器だ。今回の任務でぼくたちが日本から北朝鮮への物資輸送に使用していたステルス潜水艦《凪》によって運ばれ、元山の沖から敵のレーダーをかいくぐってここまでやってきたというわけだ。
流線型のシルエットを持ち、ローター音をほとんど発さずに優雅に空を舞う、大方攻撃ヘリとは思えない外観のヘリの操縦席で、大仏がぼくに親指を立てた。
ぱぱぱぱぱ。
ヘリの前方に搭載された三十ミリ機関砲の一斉掃射により、地上にいたラブアンドピースの兵士たちが次々と体を引きちぎられ、薙ぎ払われた。彼らの乗っていた軍用ジープまでもが、原型を留めぬほどぼこぼこにたたきつぶされ、爆発炎上した。
「くそ。何だ、あれは」
オフィーリアが悔しそうに顔を歪ませ、吼えた。
「勝負ありですね。オフィーリア。それとも、まだ次の手があるのでしょうか?」
姉さんは涼しい笑みを浮かべてそう言い、そのまま振り向かずに茂みの中で身を潜めていた敵の兵士を銃撃、射殺した。
「無いのなら、武器を捨てて投降しなさい。そうすれば殺しはしません。白金機関直轄の収容所なら、警備も完璧。投降後にあなたの命を狙うヘリオスの刺客も返り討ちですわ」
「ふん。もう勝ったつもりでいるのか。馬鹿め」オフィーリアが邪悪な笑みを浮かべて言った。「こちらには切り札があるんだ」
その時ちょうどタイミングよく一台の軍用トラックが、こちらへ向かってきた。車体には朝鮮人民軍のマークが描かれていたが、中に乗っているのはおそらく……
ういーん、がっしゃん、と、トラックの荷台の側面がパワーウインドウにより開かれた。
中に乗っていたのは、金暻秀によって捕らえられたはずの、白衣姿の白金グループ技術者たちだった。
そして彼らの背後で、肌の色とりどりの朝鮮人民軍すなわちヘリオスの兵士たち三人が、自動小銃を突きつけていた。
「こいつらの命が惜しくば、銃を捨てろ。そして兵を退け、ジャップどもよ。HAHAHA」三人の中でもとりわけ背の高い鷲っ鼻の白人兵士が、勝ち誇ったような笑みを浮かべて言った。
「形勢逆転ねえ。余裕こいてないで、有無を言わずに私を殺しておくべきだったわねえ。もっとも、その時には日本にこいつらのバラバラ死体が届いていただろうけどねえ。アッハッハ」オフィーリアがにんまりと嗤い、腰に挿していた拳銃を抜き、姉さんに向けた。
「失望しましたよ。ベレスフォード」
急に憂い顔になった姉さんは、深いため息をついた。
「《我々の恩師》はあなたに、このような人道に反した卑怯な戦いをしろ、と、教えましたか。彼女、高神麗那も、今ごろ此岸の辺で嘆いていることでしょう。教え子のあまりの不甲斐なさに、化けて出てくるかも」
もしかして姉さんとオフィーリアは、ヘリオス時代の知人同士なのかもしれない、と、ぼくは思った。姉さんの師は、かの元ヘリオス日本支部の高神麗那。オフィーリアも先ほど彼女の名を口にしていた。
「だまれ」
人質をとられているこの状況でなお説教を続けるヒヅル姉さんに、オフィーリアは牙を剥いた。
ぱあん。
オフィーリアのコルト・ディフェンダーが火を噴いた。
しかし姉さんは弾道を見切っていたのか、涼しい顔で微動だにしなかった。
「あなたのその行動に、大義はありますか。守るべき民の命を楯にとる、今のあなたに」
姉さんが、真摯な表情で、オフィーリアに問いかけた。
「馬鹿め。勝者こそが支配者だ。歴史も法律も勝者が決める。勝たずして、何が大義か。くだらない理想とともに死ぬがいい、白金ヒヅル」
ぱあん。
今度は幾分精確に狙ったのか、姉さんが《全能反射》でほぼ同時に半身になり、弾を避けた。
「あなたに、世界の指導者たる資格はありません」
姉さんが抑揚のない声で断じるも、オフィーリアは余裕の笑みを崩さない。
「そんな説教で私が人質を解放するとでも思ったのか。どこまでもめでたい女だ。じきにお前たちは死ぬ。せいぜい最後にくだらない戯言でもほざいてろ」
「人質を撃てば、ヘリの機銃であなた方を全員抹殺します」
痺れを切らしたのか、姉さんは凍てつくような殺気と声で恫喝した。
オフィーリアは一瞬沈黙したが、すぐにただのハッタリと高を括ったのか、げらげらと下品に哄笑し出した。
「とうとう化けの皮が剥がれたか。お前の大義とやらも所詮偽物だったわけだ。やれるものならやってみろよ。ほら。どうした。はよやれ。できないのか」
脅しは通じないと判断したのか、姉さんは違う提案をした。
「オフィーリア。あなたに決闘を申し込みます。私が勝てば人質を解放しなさい。あなたが勝てば、私を煮るなり焼くなり好きにすればいい。この首が欲しくて、わざわざ人質を取って私をここへ呼び寄せたのでしょう? これはチャンスですよ」
「馬鹿か。映画や小説じゃあるまいし、現実の戦場で、しかも圧倒的に優位に立っている状況で、そんな無意味な決闘を受ける間抜けが、この世にいるものか。勝利を目前にして人質を見捨てられない甘ちゃんのお前らこそ、世界の指導者たる資格はない。戦場では善人は負けるんだよ」
オフィーリアの言う通りだ、と、ぼくは思った。ぼくがオフィーリアの立場だったら、やはり決闘の申し入れなど断るだろう。しかしすでにヘリオス側の兵士はその多くが死に、《朧》の三十ミリ機銃の銃口はオフィーリアたちに向けられている。にもかかわらず圧倒的優位と嘯くのは、ぼくたちが人質を見捨てるわけがないという確信があるのか、まだ何か奥の手を隠しているのか……もしくは、単なるハッタリか。それはわからないが。
状況を鑑みるに、今は二者択一。
オフィーリアに屈するか、一か八かの賭けに出るか、だ。
後者を選択した場合、人質の誰か、あるいは全員が死ぬ可能性は高い。
ナサニエルの改造人間の実験に付きあわされた時も美煐が人質に取られていたが、あれはぼくたちを逃がさないための足枷で、「美煐の命と引換えにぼくと真茶の首を差し出せ」なんて要求されていたら、美煐の命は諦めざるを得なかっただろう。美煐はすでに殺された、と、割り切るしかなかっただろう。
そう。五人の技術者たちは、白金機関の人間ではなく、あくまで表舞台、白金グループ傘下の企業で働く一般人だが……
彼らは、すでに殺されたも同然である。
彼らの命は尊く、救出に最大限努力せねばならないのは言うまでもない。
しかしながら、彼らの代わりに、姉さんが死んでいいはずがない。
姉さんがいなくなったら、それこそ我々白金機関の《完全世界》計画は破綻する。
脳裏に浮かぶ、唯一の解決策。
このぼくが、姉さんに代わって、汚名を着るしかない。
白金機関の最高指導者であり象徴である姉さんではなく、一兵卒であるぼくの《暴走》によって人質ごとオフィーリアたちを仕留められれば……
ぼくが罪を被れば、姉さんは白金機関の《大義》に背くことなく、すべてうまく行く。
姉さんは今後も、白金機関を導いていかねばならない。
姉さんに、人質殺しの汚名を着せてはいけない。
忖度せよ! ぼくがやらずに誰がやる!
「死ねえ」
ぼくは叫びながら、オフィーリアに突撃した。