第五十話「摩天楼」
どうする?
こちらの戦力は三。
ぼくと忍美と、そして決して浅くない傷を負った真茶。
対して、向こうは七。
ナサニエル・ブラックメロンは非戦闘員だとしても、人間離れしすぎた戦闘能力を持つ《戦隊》五人に、宋赫、そしてオフィーリア。彼女の実力は未知数だが、秘密結社ヘリオスのエージェントが弱いとは思えない。
形勢は、こちらが圧倒的に不利。
ここは真茶の言う通り一時的に撤退し、方々に散っている《解放戦線》の連中を集めるか、あるいは白金機関に増援を要請するべきであろう。
「後ろだ。ヒデル」
真茶が叫んだ時には、もう遅かった。
突破口を模索していたぼくは、いつのまにか背後に現れた桃色に、両腕を拘束されてしまった。
「あなた可愛いわね。私の好みだわ。セックスをしましょう。今。ここで。私と」
桃色の豊満な乳房が、無遠慮にぼくの背に押しつけられた。あまりに唐突な求愛に、ぼくの頭は真っ白になり、思考停止してしまった。
「はあ?」真茶が頓狂な声をあげた。
「やれやれ。性欲に溺れてしまうのは相変わらずか」ベンツの中で、ナサニエルが頭を抱えてぼやいた。
なるほど。あまりに意味不明の展開に、とうとう作者がネタ切れしてやけっぱちになったのか、と、一瞬考えてしまったが、ナサニエルのひと言で理解した。どうやら彼らはまだ試作品であるようだ。
とは言え、今はこの発情した雌犬をどう制するか、である。《解放戦線》の連中が死んだ今、ぼくと真茶と忍美だけで美煐を救出し、この場を離脱するのは容易ではない。
「うふん」
桃色はぼくの体を力ずくで反転させ、先ほど黄色にしたように濃厚な接吻をした。
「むぐぐ」
思わず呻いてしまうぼく。必死で抵抗しようと全身の筋力を総動員し、彼女を振り払おうとするものの、万力のような力で押さえつけられ、敵わなかった。ぼく自身細身ではあるものの、腕力に関していえば、機関の中でもぼくに腕相撲で勝てる者は指折り数えるくらいしか存在しなかった。しかしぼくを押さえる彼女の腕は、その細さに反して大木のようにびくともしない。靴に仕込んだ毒針で刺してやろうかと思ったが、そんなぼくの思考を読んだのか、桃色の脚がぼくの脚に絡みついた。
「繁殖、繁殖」
淫乱桃色は、ぼくの両腕を右手のみで鷲掴みにした。ものすごい力で握られみしみしと骨が軋み、腕に激痛が走った。そして彼女は次に空いた左手でぼくのスーツの襟を掴み、無理やり引っ張った。ボタンがぶつんぶつんと四方八方に飛び散った。
「う。お、おれ、もう我慢できない」
その情熱的な全身タイツの色とは裏腹にずっと無表情だった赤色が、突然かっと眼を見開き、タイツの下半分をおろした。そこには一升瓶もかくやというほどに膨れあがった陰茎が月の光に照らしだされ、不気味な光を放っていた。
瞬間、真茶が音もなく放ったVSSの九ミリ弾の群れが、赤色の顔や胸、腹を貫いた。彼はそのまま体のあちこちから自身の衣装と同じ色の体液を放出し、地面に仰向けに倒れ、絶命した。いくら《超人種》とやらでも、ライフル弾を多数撃ちこまれれば死ぬようだ。
「レッドお」
どこかの香港映画俳優に似た黄色が突然泣き喚き、真茶を呪い殺さんとばかりに怨嗟に満ちた凶悪な視線を向け、両手に持ったヌンチャクを縦横無尽に振り回し始めた。
「何だよ。戦場で暢気にフルチンで突っ立ってんのが悪いんだろ。この色きちがいども」
真茶がすでに肉塊と化した赤色を指さし、嗤った。
「貴様は! 万死に! 値する!」
怒り狂った黄色は、人間を超越した獣のような動きであちゃあと叫び一気に真茶との距離を詰めたが、そこは彼女も暗殺率百パーセント、百戦錬磨の殺し屋。不意さえ突かれなければ、たとえ相手が獣であろうと対処は可能。
そう、相手がひとりなら。
真茶の背後には、逃げ道を塞ぐように巨体の緑色が、そして横からは日本刀を振りあげた青色が、迫っていた。
いくら真茶が超人的な聴覚と身体能力を持っているといっても、所詮彼女は人間。《人工全能》でもなければ、《超人種》でもない。人間を完全に棄てた化物三人の同時攻撃によって、今度こそ彼女は、窮地に追い詰められていた。
「うちを忘れてもらっちゃ困るっすねえ」
忍美が李の八九式小銃を拾い、フルオート射撃しながら突っこんできた。
「ミーに任せるネ」
青色が先ほどと同じように真茶の眼前から消え、一瞬で忍美の背後まで移動していた。
その動きはおそらく五人の改造人間の中で最も速く、そして視界の悪い夜の闇の中で、人間の眼に補足できるものではなかった。
「悪即斬!」
忍美が常人レベルのエージェントであれば、おそらくこの場で胴体を真っ二つに切断されていただろう。
だが彼女は反射的に前へと転身し、致命傷を免れた。
「うっ、く」
しかし衣服の背中が大きく裂け、露わになった忍美の美しい背中には、赤いひと筋の線が、右の肩甲骨から左の腰にかけて長々と横断していたのが、夜眼にもはっきりと見えた。
「その線は次第に太く、そして下に向かって無数の縦線を新たに彼女の肌に描きながら、拡大していった……なーんてね」
先ほど正雄を叩き殺した時と同じく、地の文の如き台詞を口にした緑色が、巨大なハンマーを野球の打者のように横に振りかぶりながら、凄まじい勢いで忍美に向かって突進していく。
「くそ」
真茶が忍美を援護するべくVSSを構えたが、烈火の如くヌンチャクを振り回し、変幻自在、縦横無尽の攻撃を続ける黄色によって阻まれた。
「カッキーン! ホームラン!」
背中に重傷を負い、碌に動けなくなっていた忍美を、緑色のハンマーが、容赦なく薙ぎ払った。
ごしゃ。
厭な音が、谺した。
「高く打ちあげたアー! センター宋赫、諦めたアー」
ギャグなのか、真剣なのか、緑色は野球実況さながらの台詞を、熱狂的に叫んでいた。
そして夜空高く打ちあげられた忍美は、勢いよく十数メートルも離れた革命マンションの壁、先ほど黄色によって埋没した李のすぐ横に叩きつけられ、第二の赤い花火を描いた。
体中の骨が砕けてしまったのか、忍美はもはや立つことすらままならず、地面に倒れこみ、茫然とした顔で口から血を垂れ流し、空を仰いでいた。
「ディス・イズ・トドメ!」
休む間もなく振りおろされる、青色の日本刀。
「あっ」
ぼくは短く呻いた。
忍美の胸の真ん中に聳え立つ、月明りを浴びて銀色に輝くその刀は、さながら夜空に佇む摩天楼のようだった。




