第四十二話「二十億」
真茶がアクセルをベタ踏みしてファミリアを急発進させ市街地へ躍り出ると、ほぼ同時に《千里馬部隊》の乗った軍用ジープが二台、追跡してきた。
「くそ。もっときびきび動け、このポンコツが」
真茶が苛立った様子でハンドルをがつんと殴り、クラクションが悲鳴のように鳴った。あちこちにがたがきている三十数年前のファミリアでは逃げ足に難こそあるものの、唯一の救いは遮蔽物の多い市街地の中ということだった。
しかし《千里馬部隊》の連中は市街地でも平然と発砲してきた。
「くそ。しつこいやつらだ」
ぼくもスコーピオンで応戦するが、いかんせん予備の弾倉まで持ってくる余裕がなかったため、すぐに弾が尽きてしまった。
「使え」
真茶が座席の脇に差しこんでいた愛銃のVSSをぼくに差しだした。
「ありがたい」
VSSを受け取ったぼくは、ふたたび《千里馬部隊》の乗る軍用ジープ二台に向かって発砲した。静音仕様とはいえ、大口径の九ミリライフル弾の破壊力は抜群で、スコーピオンでは傷ひとつつかなかった、おそらくは防弾仕様と思われる敵のジープのフロントガラスに大きな蜘蛛の巣状の亀裂が走った。
運転席に座っていた宋赫が急ハンドルを切り、彼の乗ったジープはビルの合間の側道へと入りこんだ。後ろにいたもう一台のジープの助手席から、兵士がAKを構えて発砲してきた。
「伏せろ」ぼくは叫んだ。
防弾仕様でも何でもない八十年代マツダ・ファミリアの車体は、たちまち無数のライフル弾によってたこ殴りにされていく。窓ガラスは割れ、天井やドアに複数の弾痕が刻まれ、その度に美煐の絶叫が車内に響き渡り、真茶がうるさい静かにしろと怒鳴る。映画や小説では、防弾仕様でもない車が弾丸を防いでいるような描写が散見されるが、あいにくここはまごうことなき現実世界、貫通力に優れたAKの五・四五ミリライフル弾は、一般車の車体などいとも簡単に貫いてしまう。それでもぼくたちが怪我ひとつ負っていなかったのは、ひとえに荒れ狂う激流のように車を縦横無尽に走らせる真茶の運転技術と、強運の賜物であった。俊敏で予測不可能な動きをする獣を正確に狙い撃つのは、近距離でも難しいものだ。
「とうとうこれを使う時が来たか」
ぼくはジャケットの左右のポケットからスマートフォンと、金緑色の小さな玉虫……を模した、最新鋭虫型光学迷彩ドローンこと《見えざる愛》を取りだした。まだ量産化には至っておらず、製作されたのは二台だけ。そのうちのひとつは先日ネオ夕張の実験場で使用したもので、アルマから《お守り》として借り受けたのである。
スマートフォンに予め仕込まれたドローン操作用の専用アプリを起動し、敵の顔情報をカメラで撮影しようと思ったがそんな余裕はなく、ぼくはやむを得ず手動操縦で敵に毒針を叩きこんでやるべく《玉虫》を敵のジープにけしかける。虫型どころかドローンの操縦自体初だが、《人工全能》であるぼくならすぐにコツを掴んで自由自在に操り、敵を殲滅できるはずだ!
かちゃ。
「あっ」
だが、そんな意気込みにあっさり水をぶっかけられたように、《玉虫》は敵の車にぶつかり、あっけなくばらばらになってしまった。光学迷彩を発動させた《玉虫》は想像以上に扱いにくく、ぼくの《全能反射》をもってしてもコントロールすることは難しかった。
一機二十億円の超精密機器を、壊してしまった。
「ぶははは」
何が可笑しいのか、隣で車を運転していた真茶がげらげらと笑い出した。そして哀れむような視線をぼくに向けて、言った。
「ヒヅル様に殺されるな」
「笑いごとじゃないよ。まったく」
ぼくは深いため息をついた。やはりこのドローンを自在に操るには熟練が必要らしい。今度アルマにじっくり時間をかけて教わるとしよう。
真茶が路肩に停車していた車を楯にして素早くファミリアを反転させ、敵のジープに向かってアクセルをベタ踏みした。
このまま正面衝突すれば御釈迦様にされるのは間違いなくこちらの方だが、無論そんなことを許すぼくではない。ジープの助手席から顔を覗かせていた敵兵に向かってVSSを素早く構え、引金を引いた。
VSSの九ミリライフル弾が敵の鼻っ柱をとらえ、顔面を上下左右に引き裂いた。頭部を失った彼はそのまま両手に持ったAKを道路上に落とし、窓からだらりと垂れ下がって生命活動を停止した。
運転席にいた丸刈りの男が何かを叫び、敵のジープはそのままこちらへ向かって急加速し、突進してくる。
それをすでに《音》で捉えていた真茶は、サイドブレーキを引いて強引にファミリアを反転させた。
がりがり。
助手席の扉を、敵のジープのバンパーがヤスリがけしていく。
すれ違いざまにぼくがVSSで《丸刈り》に向けて数回引金を引くと、一発だけが運転手の顳顬に命中。運転手不在となったジープはそのままビルの壁に正面から衝突し、ふたりの死者を乗せた濃緑の棺と化した。
「掴まれ」
突然真茶が何かを察知したように叫んだ。
ぼくはすぐさまVSSを引っこめ、天井についていたセーフティレバーを掴んだ。ほぼ同時に後部座席に乗っていた忍美が美煐の頭を守るように抱えこみ、前の座席に片腕でしがみつく。
ぎゃああああと響き渡る、タイヤの絶叫。
急旋回して真横を向く、ぼくたちのファミリア。
刹那、前方左の道より計ったようなタイミングで飛び出す、宋赫のジープ。
どうやらぼくたちのファミリアを、棺桶にするつもりらしい。
しかし真茶の超人的な聴力は、敵の襲撃のタイミングを事前に感知し、衝突を避けることを可能とした。相手は頑強な軍用車。まともに突っこまれたら三十年前の一般車ではひとたまりもなかった。
だが安心するのも束の間、ジープの助手席から《フランケン》がKPV重機関銃を構え、すでに射撃体制に入っていた。
もしここで助手席に座っていたのがぼくでなければ、ぼくたちは車ごと戦車の装甲をも貫通する十四・五ミリ弾の餌食になっていたかもしれない。
ぼくは《全能反射》でVSSを超スピードで構え、《フランケン》よりも先に、KPVの銃身に向かってフルオートで発砲していた。
「うわ」
VSSの九ミリライフル弾によってたこ殴りにされた銃身はくしゃくしゃに折れ曲がり、《フランケン》のKPVはただの鉄塊となり果てた。
彼がその鈍重な動きでAKを取り出して再び構えた時には、すでにぼくたちのファミリアは、彼らのジープが飛び出してきたビル間の小道に入りこんでいた。
「ちょっとお土産、と。きししし」
悪戯っぽい笑みを浮かべた忍美が、窓の外へ何かを投げ捨てた。
「何を投げたんだい」
ぼくがそう尋ねると、忍美は得意げな顔で、四方に針が鋭く突き出した黒い何かを見せつけた。昔何かの忍者漫画で見たことがある……たしか撒菱とかいう、地面にばら撒いて敵の動きを封じるアレ。
いくら敵のジープが戦車のように頑強であっても、悪路を縦横無尽に駈け抜けるタイヤを履いていても、数センチの鋼鉄の針には耐えられなかったのか、しばらくして巨大な風船が割れたようなけたたましい破裂音が谺し、ぼくは宋赫たちが罠に嵌り、追って来れなくなったのだと悟った。
人一倍耳のいい真茶が、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。