第四十一話「千里馬」
凄まじい音とともに無数の銃弾が、ぼくたちのいる勝利マンションの101号室を襲った。窓はすべて雨戸で閉ざされていたのだが、無論そんなものは銃弾の前では紙切れ同然であった。
十秒ほどの銃撃が止むと、部屋の中は先ほどまでとは打って変わってボロボロの廃墟と化していた。ほぼ全壊し床に飛散した窓ガラス、ずたずたに引き裂かれたカーテン、無数の弾痕が刻まれた壁、真っ二つに折れたテーブル、破壊されたテレビ、穴だらけになった金勇浚や金東建の肖像画。
「逃げ場はないぞ、同志羅勝元。《党》はすべてお見通しだ。お前をスパイ容疑で逮捕する。家族も一緒にだ」
無数の弾丸を受けて崩壊した雨戸の向こうから、短髪の若い男性が叫んだ。
「宋赫。くそ、《千里馬部隊》か」
顔見知りなのか、羅勝元が苦々しい顔で彼の名前と所属を解説するように言った。《千里馬部隊》に関しては、ぼくも事前情報で知っている。朝鮮人民軍の中でも選り抜きの精鋭を集めた特殊急襲部隊。日本で言うSATのようなものである。
「星蓮。無事か、星蓮」
羅勝元はキッチンでお茶を淹れていた妻の名を叫び、彼女の元へ身を低くしながら慎重に、向かった。
そしてすぐに谺する、彼の絶望の喚声。
「ああ。星蓮」
愛する彼の妻は、無残にも弾丸の雨によって全身を貫かれ、赤い肉塊と化していたのだった。
「あ。あ。あう。くそ。ちくしょう。よよ、よくも、星蓮を」
まるで相手を呪い殺さんとばかりに憎悪に満ちた眼を宋赫へと向け、羅勝元はわなわなと震えながら喚き散らした。直後そのまま這うようにして床を走り、リビングのクローゼットを開けた。中にはアサルトライフルやロケットランチャーといった物々しい兵器が、ずらりと並んでおり、羅勝元は突撃銃AK74と短機関銃VZ61スコーピオンを手に取った。
すぐに千里馬部隊の一斉射撃が、ふたたびぼくたちを襲った。絶え間なく続く銃弾の嵐が、ぼくたちに反撃の隙を与えない。そしていつ敵の援軍が来るかもわからない。羅勝元が《党》に寝返った可能性は消えたが、おそらく無津呂を陥れた真犯人が、羅勝元のことを《党》に密告ったのだろう。とにかく、まずは敵の包囲網を突破して、安全な場所まで逃げなくては。
羅勝元はぼくにスコーピオンを手渡すと、自身はAKを両手に構え、敵に向かって弾幕を張った。
いつの間にか隣にいた東雲忍美が、特徴的な三つの楕円マークの描かれた車のキーを、ぼくに差し出した。
「先輩。駐車場に黒のカローラがあるっす。うちが煙幕を使うんで、その隙に美煐ちゃんを連れて裏側の窓から車まで行くっすよ」
「了解。羅さん、真茶、援護を頼む」
「わかりました」
「任せておけ」
真茶は自信に満ちた顔で愛銃VSSのコッキングレバーを引いた。
忍美が大きな黒い癇癪玉のようなものを数個、千里馬部隊の連中に向かって投げると、ぱんという炸裂音とともに濃い灰色の煙が発生した。
「今っす」
ぼくは美煐を抱え、短機関銃を構えながら裏窓へ向かって走り出した。
羅勝元が後方の宋赫たちに弾幕を張り、足止めをしている間に、忍美がいち早く裏窓に到達。外で待ち伏せしていた敵兵ふたりの銃撃を煙に紛れて躱し、両手で何か黒っぽい物を投擲した。
敵兵ふたりはそれぞれ首と胸もとを押さえてぐえっと呻き、地に崩れ落ちた。後で見ると、それは棒状の手裏剣と判明した。
忍美が裏窓から顔を覗かせ、状況を確認する。裏窓を抜けると駐車場は眼の前にあるのだが、敵も当然そこは折込み済みで、すぐさま潜伏していた敵兵たちがAK74の集中砲火を浴びせてくる。
ふたたび忍美がポケットから煙幕を取りだし投擲すると、同時に真茶がVSSで弾幕を張りつつ、外へ飛び出した。ステルスドローンの正確な位置をも探りあてる真茶のその驚異的な聴覚は、視界の悪い場所でその真価を発揮する。
煙によって視界を奪われた敵兵は、一方的に真茶の無音銃VSSの餌食となっていく。
これが初とは思えぬほど息のあった連携だった。
「うっ」
後方で殿を務めていた羅勝元が、腹のあたりを押さえて呻き、片膝をついた。
直後、水を得た魚のようにますます激しくなる後方の宋赫たちの一斉射撃と、進撃。
煙の中から現れた千里馬部隊の、二メートルはゆうに超えるフランケンシュタインのような大男が、これまた彼の身長ほどもある大型のKPV重機関銃をこちらに向けて構えた。
「伏せろ」
ぼくは美煐の頭を抱えて地面に倒れこみながら叫んだ。
だだだだだだ。
先ほど部屋をめちゃくちゃに破壊した時と同じ、道路工事のタンパのような喧しい発砲音が響きわたり、《フランケン》の放った十四・五ミリ弾の嵐が、勝利マンションの鉄筋コンクリートの壁に風穴を開けていく。手加減を知らないのか遮二無二撃ちまくり、ぼくたちの前方の壁が一画丸ごと破壊し尽くされ、今にも天井が崩落しそうだった。
「羅勝元。貴様を逮捕する」
宋赫は凛とした低い声でそう言うと、眼の前で膝をついた羅勝元に《白頭山拳銃》の愛称で親しまれるチェコ・スロバキア製自動拳銃CZ75の銃口を、向けた。
観念したように、そして神妙に、羅勝元はぼくに……
否、ぼくの腕の中で頭を抱えて震えている娘の美煐に、一瞬だけ、優しげな視線を送った。
「娘を頼みます」
羅勝元の寸刻先の行動が、ぼくにはわかった。
「よせ」
ぼくの制止を無視し、羅勝元は床に落ちたAKを拾うこともなく、素手で宋赫に掴みかかろうとして……
頭を撃ち抜かれた。
「パパあ」
ぼくは彼が作ったわずかな時間を無駄にしてはならぬと美煐を連れて走り出そうとしたが、彼女が座りこんだまま動こうとしなかった。
「おい。どうした」即座に問うぼく。
「あっ。こ、腰が抜けちゃって」恐怖に歪んだ顔で許しを請うように美煐は言った。
「いいから来るんだ」
ぼくは泣き喚く美煐の襟首を大根でも引き抜くように強引に掴みあげると、スコーピオンで弾幕を張りながら消滅した壁の外へ向かって走り、すぐ横に停まっていた日産の古く赤いブルーバードの影に滑りこんだ。
足もとには額から苦無を生やした兵士の死体が転がっており、それを間近で見た美煐がぎゃあと呻いた。
すぐさま美煐の悲鳴を聴きつけて表口から回りこんできた敵兵ひとりがAKを乱射し、けたたましい音とともに赤のブルーバードを蜂の巣にしていく。
ぼくは《全能反射》で、敵が次の弾倉を装填する一瞬の隙を突いてスコーピオンを発砲した。
弾丸によって顔面を破壊された名も知らぬ敵兵は、後方のワゴンの窓にトマトを投げつけたような赤い花火を描いて斃れた。
弾幕を張りつつ、ぼくは一瞬だけ顔を出して周囲を確認する。前方には色とりどりの車の群れ、その一番奥に、ぼくたちが先ほど《ヒッチハイク》したマツダ・ファミリアが停車してある。そして反対側、後方の少し離れたところには忍美の言っていた黒のカローラ。しかしこちら側にはあまり車が停まっておらず、遮蔽物がほぼない。ぼくひとりならともかく、美煐を抱えてあそこまで連れていくのは無理がある。
車の影に身を隠した千里馬部隊の隊員ふたりが、ぼくたちの行く手を阻んでいる。背後からは隊長と思しき宋赫と、重機関銃を担いだ《フランケン》が、すぐそこまで迫ってきている。
「くそ。八方塞がりか」ぼくは舌打ちした。
が、すぐに前方に停車していたマツダ・ファミリアが動き出し、全速力で敵に向かって突っこんでいく。
ぐしゃ、ばきべきぼきと駐車していた車数台を巻きこみ、赤きファミリアは敵の隊員のひとりを文字通り粉骨砕身してしまった。
ファミリアの運転席に座った真茶が、こちらに向かって涼しい顔で親指を立てた。
もうひとりの隊員がすかさず真茶の乗ったファミリアにAKを構えたが、そんなことを許すぼくではもちろんなく、《全能反射》でスコーピオンから吐き出されたほかほかの七・六五ミリ弾に彼は顔面の二カ所を抉られ、地面に赤黒い脳漿を撒き散らして即死した。
真茶はすぐにファミリアをバックさせ、雲母にも負けぬ素早く正確なハンドル捌きでこちらへと急発進させ、ぼくたちの手前で急停車した。
「さっさと乗れ」真茶が運転席から尊大な態度で言った。
ぼくは腰の抜けた美煐を強引に抱えあげて後部座席に投げこみ、助手席に座った。
「東雲は」
ぼくが真茶に問うと、真茶は黙って顎で後部座席を指した。
「さっきからいるっすよ。せーんぱい」
美煐の隣にいきなり出没した忍美が、薄ら笑いを浮かべてそう言った。