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白金記 - Unify the World  作者: 富士見永人
第二章「北朝鮮編」
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第三十六話「恋愛喜劇」

 ヒヅル姉さんが日本を掌握(しょうあく)してから三年。あれから日本は大きく変わった。

 日本の事実上の最高指導者となった姉さんが次に画策したのは、在日米軍の撤退だった。アメリカとはつまり秘密結社ヘリオスの総本山であり、米軍とは彼らの手先で、在日米軍が存在している限り、姉さんは常に喉元にナイフを突きつけられているようなもの。彼らを日本から追放したいと考えるのはごく自然なことだった。幸いアメリカの次期大統領候補に在日米軍の撤退を宣言しているプラトンという人物がおり、姉さんは彼に眼をつけた。ちょうどアメリカ国内の財政の悪化や限界近くまで進んだ格差の拡大が生んだ貧困の影響で軍事予算を減らして国内に回せという世論も追い風となり、《我々》が直接手をかけることもなくプラトン大統領は誕生し、在日米軍は撤退した。

 無論それはメリットばかりではなく、デメリットもあった。

 日本は中国、韓国、ロシアと領土問題を抱えている上、北朝鮮の核ミサイル開発問題という安全保障上の課題も抱えていたため、在日米軍の撤退によって領土や国防の面で脅かされる危険性があった。そこで姉さんは防衛予算を白金機関の《兵器開発局》へと回し、次々と新型の兵器を開発、防衛力を強化するとともに、優秀な諜報員や工作員を育成して各国、特に中国やロシアといった、アメリカに対抗しうる大国に送りこみ、親日勢力を支援するとともに、反日勢力を妨害または失脚させていく。さらに二〇〇七年のリーマン・ショック以降、国際社会でのアメリカの影響力が低下している隙に乗じ、ヒヅル姉さんの目指す《世界政府》の前身となる日本主導の新しい共同体《世界平和連合》を設立。平和と(うた)ってはいるが、要するに集団防衛のための軍事同盟である。

 同時に姉さんはヘリオスによる国連安保理を通じた制裁にも対応するため、もっと具体的に言えばエネルギー自給率を上げるため(実際にヘリオス=アメリカは日本が軍国主義に返り咲いただの極秘で核開発をしているだの根も葉もない因縁をつけ、石油やガス、ウランといったエネルギーの供給を停止しようとしたことがある。比較的関係の良好だったロシアに拒否権を使わせて阻止したが)、再生可能エネルギー事業の支援やメタンハイドレートの開発に投資した。さらに食料自給率も上げるために、和食回帰を国策として推進した。政治、経済、情報、そして民心のすべてを支配した姉さんにとっては、容易いことだった。

 世界各国で開発が進んでいるAIや自動化技術など最先端の技術開発も、白金エレクトロニクスやプラチナソフトといった白金グループの筆頭企業が中心となって推し進め、次世代飛行自動車の開発と全国民が空を自在に飛び回るための空中交通網を含めた《未来都市TOKYO》構想まで固めた。新産業の育成によって雇用が増え、日本はかつてのバブル時代以上の好景気となり、GDPはこの三年間で何と五十パーセント以上も増加、国民所得も四十四パーセント増加した。この未曾有(みぞう)の好景気を(もたら)した労働党政権(すなわち姉さん)を、長年デフレ不況に苦しめられてきた日本国民が支持しない理由はなく、支持率はとうとう九十パーセントを超えた。この姉さんの一連の改革は《日本革命ジャパン・レボリューション》と呼ばれ、日本経済再生の奇跡として日本史にも世界史にもその名を刻まれることとなった。

 現在ぼくは白金機関のエージェントだが、国家統合情報局秘密情報部副主任という肩書も与えられている。何だか長ったらしい名前だが、要するに今までと同じ諜報員(ちょうほういん)で、それが晴れて国家公認になったというだけ。主な任務は他国に潜伏して様々な諜報、工作活動を行うことと、日本に侵入して様々な諜報および工作活動を行うヘリオスや他国のスパイを逮捕、拘束、場合によっては抹殺する防諜活動である。

 とは言え、人工知能IRIS(イリス)による常時自動監視システムと、白金機関のエージェントを核とする国家統合情報局の敵と呼べるような存在は、少なくとも日本国内には存在しなかった。人工知能IRISは衛星を通して日本に接近する全ての航空機や船舶を監視しているし、日本各地に仕掛けられた高精度の顔認識システム搭載カメラと連動して、正体不明の人物がいれば国内のどこにいてもすぐにわかってしまう。これら一連のシステムは通称《全能眼(パーフェクトアイズ)》と呼ばれ、世界を征服した暁には、これが世界の隅々にまで導入される予定である。


 高給激務のように思われる国家統合情報局だが、最近は主だった任務もなく、ぼくはしばらく休暇をとって白金グループ保有の温泉付き宿泊施設・白金高原ホテルで休養をとることにした。姉さんもちょうど時間が取れたということで、星子(せいこ)宮美(みやび)、最近よく行動を共にする国家統合情報局の棗光(なつめひかる)も誘い、ホテルを貸切にして一緒に行くことになった(アルマやティキも誘ったが、予定があわず断られた)。

「で、なぜあなたがここにいるんだ。姉さん」

「日々頑張って任務に励んでいる弟に、たまには姉らしく背中でも流して差しあげようかと。おほゝゝゝ」

 今ぼくの眼の前には、一糸(まと)わぬ姿となった姉さんが、いる。三年前の死闘で腹に受けた傷は、白金グループの最先端医療技術によって、痕跡すら残っていなかった。その白磁(はくじ)の如き美肌と、均整のとれた完璧なプロポーションの身体は、神秘的な白い髪や黄金の瞳と相まって、天上から舞い降りた女神のように美しい。

「いや。そうじゃなくて、だな」

 ぼくは姉さんから眼を逸らし、困惑したように言った。

「思えば六年前あなたと再会を果たしてから、(わたくし)はあなたに姉らしいことを何ひとつしてこなかった。お互い忙しい身です。こういう時くらい、上司と部下ではなく、姉と弟として」

「そういうことじゃなくて。ここは男湯だぞ、姉さん」

 ぼくの苦言に構うことなく、姉さんは(しと)やかに微笑んで言った。

「一向に構いませんわ。減るものではありませんし、殿方にとっては良き眼の保養になることでしょう。ほゝゝ」

「あれー。何だ、兄貴もいたの」

 突然割りこんできた星子の声に、ぼくは言葉を失った。

「ひあ。ヒデルさん。な、何で」

 星子の隣にいた宮美が裏返った声を上げ、すぐに脱衣場の方へと駈け戻っていった。

 星子と姉さんが一瞬アイコンタクトを交わしたのを、ぼくは見逃さなかった。

「ヒデルがどうしてもこの姉と一緒にお風呂へ入りたいと聞かなかったもので。おほゝゝ」

 姉さんがとぼけた調子で根も葉もないことを言ったので、ぼくは慌てて首を横に振った。

「言ってない。でっちあげだ」

「えー。あたしにはそんなこと言ったことないのにー。兄貴は甘えん坊だなあ」

 星子が姉さんに同調するように、わざとらしく言った。

「ねー」

「ねー」

 姉さんと星子は、まるで予め示しあわせていたように阿吽(あうん)の呼吸、完全に意気投合していた。

 建仁寺垣(けんにんじがき)の向こう側から、男性陣の話し声が聞こえてくる。となると、こちらが女湯か。これは姉さんたちが仕組んだ罠だったのだ。おそらく、ぼくが入浴する直前に、男湯と女湯の札を入れ替えていたに違いない。先ほどぼくを早く風呂に入るよう促していたのもその布石だったのだ。

 ぼくは露骨にため息をついて言った。

「これじゃぼくが女湯を覗きに来た変態みたいじゃないか。これから宮美にどんな顔して会えばいいんだ」

「あ、あの。私はその、気にしてませんから」

 ぼくたちのやりとりを聞いていたのか、脱衣場の奥から宮美が言った。

「宮美もいいって言ってるんだし、何の問題もないじゃんね。気にしすぎなんじゃない。兄貴」

 背後から忍び寄った星子が、後ろからぼくに抱きついた。柔らかいふたつの膨らみが背中に直に当たり、ぼくの心臓が垂直跳びする。もう星子も二十歳。足の大怪我のせいで高校を一年留年したので、現在大学一年生。来月、二〇一七年四月からは二年生となる。なお、星子と宮美は同じ白金大学に通う学友同士である。ふたりとも理由(わけ)あって白金学園高等部に編入してきたのだが、白金大学はエスカレーター式ではない。全国有数の名門私立大学で、入学するにはたとえ白金学園の生徒であっても難関試験を突破しなければならない。しかしそこは、姉さんが最高の家庭教師を雇ってくれたおかげで無事突破することができた(有名な予備校から引き抜いてきたらしい、「今やるの、今でしょ」と口癖のように言っていた)。

「お、おい。星子」

 ぼくが少し困った顔をすると、星子はその反応が面白かったのか、眼がいたずらっぽく笑った。

「よいではないか、よいではないか」

 白金タワーが崩落した時に粉々になってしまった星子の美しい足の傷跡も、三年もすれば白金機関の最先端医療技術によってほとんど消えていた。本人の懸命なリハビリもあって、すでに軽く走ったりできる程度には回復している。

 姉さんがぼくを諭すように言った。

「そうですよ。ヒデル。一緒にお風呂に入るくらい何ですか。(わたくし)たちは家族なのですから、当然のスキンシップでしょう。それとも、(わたくし)や星子とは一緒に入浴するのも(いや)だ、と」

「そういう言い方は(ずる)いぞ。姉さん。ぼくはただ」

「大体」

 姉さんはぼくの言葉を遮って続けた。

「女性との混浴程度で狼狽(うろた)えているようでは、白金機関のエージェントとしては問題ですわ。色香に惑わされるようでは半人前です。あなたには少し女性に対する免疫をつけてもらう必要があるようですね。この姉にすべて任せなさいな。おほゝゝゝゝ」

「ぼくは狼狽えてなどいない」

「お姉ちゃんの言う通りだよ兄貴い。健全な男ならここはむしろ喜ぶとこでしょー。妹としてちょっと心配だよ」星子がからかうような口調で言った。

「そうですわ。これは恋愛喜劇(ラブコメ)でいうところの淫靡なる幸福(ラッキースケベ)というものですわ。なぜ困惑しているのですか。姉として不安ですわ」

「人の話を聞いてください」

「それとも、あたしたち、もしかして魅力ないのかな。女として」

 星子が露骨に落胆した調子で言った。

「ああ。そうだったのですね。世界を変えるという使命のもと粉骨砕身するあまり、女性としての魅力を磨くことを怠ってきたツケなのでしょうか」

 姉さんも星子に同調し、ついにふたりは抱きあってあーんあんと泣きだしてしまった(わざとらしい、演技にも程がある)。

 もう面倒くさいので、仕方なくぼくは彼女たちを(なだ)めることにした。

「そんなことはない。姉さんも星子も、とても魅力的な女性だと思うよ。きっと素敵な男性が見つかるはずだ」

「ふむ。ヒデルにとっては我々はあくまでも姉と妹であり、欲情の対象ではないと」

 演技に飽きた姉さんが冷静に分析するような口調で言った。

「であれば、宮美。ヒデルを《教育》できるのはあなたしかおりません。どうか、ヒデルのためにひと肌脱いでいただけますか。姉として、お願いします。この通りです」

「な、何ですか、ひと肌脱ぐって。意味がわかりません」

 唐突に話を振られた宮美が、脱衣所の奥から戸惑うように言った。

「もー、ノリが悪いなあ、宮美は。こんなチャンス滅多にないんだよ? 恥ずかしがってないで、こっちおいでよ」

「そうですわ、宮美。恥じらってばかりいては人生損ですよ。自分がいつか死ぬ身であると自覚すれば、決断は容易になります。恥や外聞など本当はどうでもいいことには眼もくれず、大切なことに集中できるのです。今日が人生最後の日であっても、そこでおとなしくしているのですか」

「ちょっと何を言ってるかわかりません」宮美は至極真っ当な反応をした。

「兄貴も仕事一筋なのもいいけどさ、彼女くらい作りなよ。何だったらあ、あたしが立候補してもいいけど?」

 星子が再度からかうようにぼくの腕に抱きついてきたので、ぼくは観念したようにため息をつくと、この茶番に終止符を打つべく素早く彼女の腰に腕を回し、鼻と鼻が触れる程度にまで、顔を近づけた。そして可能なかぎりの爽やか美男子微笑(イケメンスマイル)を作り、星子の眼をじっと見つめた。

「あまりこの兄をからかうものではないな。星子。一応ぼくと君は、血の繋がってない義兄妹なんだぜ」

 先ほどまでの勢いはどこへ行ってしまったのか、星子は驚いたように眼を見開き、頰を赤らめた。そして、眼を閉じて、こう言った。

「あ、兄貴となら……いいよ。あたしは」

「おいおい。君には(そう)くんという恋人がいるんじゃなかったのか」

 星子は首を激しく横に振った。

「あ、あいつとはそんな仲じゃないし。浮気とかじゃないんだし」

「星子ばかり、ずるいです」姉さんが頰を赤らめながら言った。

「は、破廉恥(はれんち)な。兄妹同士で、な、何て破廉恥な。不潔です不潔」

 脱衣所の奥から宮美が小声で(ささや)いていた。

「さて」

 姉さんが突然駈け出し、建仁寺垣を思い切り殴りつけて破壊し、大穴を開けた。

 穴の向こうの男湯では、棗が鼻血を出して仰向けに倒れていた。

「殿方であれば女性の裸体に興味を持つのはごく自然なこと。しかし、相手の許可もなく勝手に覗くのは紳士としてどうかと思いますわ。少し、オシオキが必要ですね。おほゝゝ」

「理不尽……あまりに理不尽だ」

 棗が恐怖のあまり震えながら、裸の姉さんを凝視していた。

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