第三十二話「裁定者」
新兵器《EMG》。いわゆる電磁銃。
膨大な電流から発生する磁力を利用し、二本の伝導体のレールで弾丸を急激に加速させて発射するというSF映画などでおなじみの架空兵器だが、最近ではアメリカの軍事企業大手ハルバード社が実際に開発を進めており、米軍に配備される予定となっている。
二ヶ月ほど前、ぼくは星や雲母と協力してハルバード社へ潜入した。そして開発途中の新兵器のデータをすべて持ち出すことに成功。入手したデータは白金グループの秘密兵器研究施設の江地村に渡され、ハルバード社よりも先に実用化された、というわけだ。
以前夕張の施設で江地村から聞いた話によると、このレールガンは五十口径の弾丸を秒速十キロメートル、一般的なライフルの十倍以上の超高速で飛ばすことができるという。
まともに人体に受ければ原型を留めぬほど木っ端微塵に吹き飛び、たとえ鋼鉄の装甲に身を包もうとその有り余る運動エネルギーによって破壊される。よしんば装甲を破壊できなかったとしてもダンプカーに撥ねられたようにふき飛ばされる。まさに無敵の兵器だ。
「二ヶ月ほど前にハルバード社の新兵器データが盗まれたという話は聞いていたけれど、やはりあなただったのね。ヒヅル」
積年の仇敵、という感じで高神麗那は姉さんを鋭い眼で睨みつけながら言った。その口もとは眼とは対照的に、笑っていた。
「お元気そうで何よりです。麗那。かつての我が恩師よ」
姉さんは相変わらず静かに微笑んでいたが、よく見ると眼が笑っていなかった。彼女はそのまま、高さ五、六メートルはありそうな高窓から飛び降り、全身で衝撃を吸収するようにしなやかかつ優雅に、着地した。
「ヘリオスこそ人類にとって真の災厄。私ひとりを殺すために千人以上の罪なき人々を平然と巻きこみ殺す。あなた方こそ、全人類の敵です」
玉座の上でふんぞり返っていた高神がようやく立ちあがり、腰に下げていた愛用の二挺のフルオート拳銃・グロック18を抜いた。
「ヘリオスの存在は必要悪よ。裁定者のいない世界では人間は際限なく堕落し、腐敗し、互いに憎しみあい、奪い、争い、戦い続ける。何者かが管理、支配し、恒久的な秩序と平和を築きあげなければならない」
「その大役、私が引き受けましょう。私にすべてお任せください。必ずや世界をひとつにし、すべての人間が争うことなく豊かに暮らせる《完全世界》を実現してご覧にいれましょう。全能なる存在による全人類の統治。それこそが《人工全能計画》の目的だったはず。我々の宿願である《完全世界》の実現をもって、《人工全能計画》は完結する。あなたは今のヘリオスが導く世界が素晴らしいと、本気で思っているのですか」
「そうは思わないわ。でもね、ヒヅル。あなたの理想を受け入れることはできない。完全とは則ち独善。《完全世界》とは、多くの屍の上に成り立つ楽園。あなたこそが全人類の敵よ。《人工全能計画》は白金暁人とともに死んだ。ヘリオスが犠牲の上に築いた世界秩序を、あなたに破壊させるわけにはいかない。死ね、白金ヒヅル」
先に動いたのは、高神の方だった。《人工全能》の姉さんに負けず劣らずの、年齢を感じさせない機敏な動きで距離を詰めるべく、大胆かつ果敢に姉さんに向かって飛びこんでいく。
姉さんは、防弾装甲で身を固めた兵士を木っ端微塵にふきとばしたレールガンの銃口を、何の躊躇いもなく高神に向け、引金を引いた。生身の人間があんなものをまともに受ければ、砲弾の直撃を受けたように粉々になるだろう。
高神は超人的な反射神経……というよりは、予め銃口の角度と姉さんの指に力が入るほんの一瞬の動きからタイミングを読み、レールガンの発射と同時に右へ回避。標的を見失った超高速の弾丸は、そのまま壁に衝突。トラックか何かが突っこんだような激しい音を轟かせ、壁に大きな穴を開けた。外はすでに日が沈んで薄暗くなっており、碁盤目状の照明に彩られた霞が関のビル群が見えた。下にいたデモ隊は地獄谷が銃撃したせいか、すっかり逃げ去ってしまい、何人かの怪我人と警察、救急隊が慌ただしく走り回っていた。
高神がグロック18で反撃するが、姉さんは素早くブラックメロン家二代目当主、ブラッドリー・ブラックメロン二世の黄金像の裏側に隠れた。
そしてそのまま高神ではなく、ぼくたちを囲んでいた装甲兵たちに向かって、ふたたびレールガンの引金を引いた。
銃身から青白い電流が迸り、銃口が眩く閃光する。
ぱああん。
弾丸が発する衝撃波と轟音が、ぼくたちの耳を劈いた。
瞬間、装甲兵のひとりが跡形もなく爆ぜ、さらに奥にいた数名の兵士も爆風で飛ばされ、壁にたたきつけられた。
装甲兵から解放された雲母は、地面に捨てられたイングラムを拾い、地獄谷とクローディアに向けて発砲した。
雲母に気をとられ体勢を崩したクローディアの隙を逃さず、ここを先途とぼくは彼女の服を掴み、床へと引きずり倒し、その腹部に掌底をたたきこんだ。
「う」と、クローディアが呻いた。
そう。叩きこんだのは掌底だけではない。袖の下に隠された仕込みナイフが、クローディアの腹部に突き刺さっていた。
「クローディアあ」
地獄谷が咆哮し、ぼくの顔面に強烈な蹴りを御見舞いした。
床を転げまわったぼくは、そのまま勢いあまって血染めのエレベーターの中に放りこまれた。
「くそが。殺してやる」
殺意の塊と化した地獄谷がM240の銃口をこちらへと向けたが、彼と交戦していた星がミニミ軽機関銃を拾い、反撃した。
身の危険を感じた地獄谷は素早く横に飛び、ブラックメロン家六代目当主、ジョージ・ブラックメロンの黄金像の影に隠れた。
「俺のこと忘れてんじゃねえぞ。裏切り者が」星が低く威圧的な声で言った。
ぼくは直ちに先ほど床に放り投げたMP5を拾いあげ、床でうずくまっていたクローディアにとどめを刺すべく引金を引いた。
しかし刹那、ががががとけたたましい金属音が響き渡り、大量の火花が散った。
防弾装甲に身を包んだ高神の精鋭兵士が、クローディアを庇ったのだ。
「いくら威力があっても、当たらなければ意味がないわ。銃なんて、人体に致命傷を与えるだけの威力があれば充分」
高神が自信に満ちた笑みを浮かべて言った。
全弾使い切ったのか、それとも高神には通用しないと悟ったのか、姉さんはレールガンを床に捨て、腰に差していた二挺の拳銃を抜いた。銀色の銃身に、金色の派手な装飾が施された特別仕様のデザートイーグルだ。姉さんの部屋に飾ってあるのを見たことはあったが、実際に姉さんが戦場で使うのを見るのは初めてだった。なおフルオート射撃可。
たたた。クローディアをかばった装甲兵が、右腕に仕込まれた機銃でぼくに反撃してきた。
ぼくはそれを《見て確認してから反応》し、急に身を低くして左へ飛び、ブラックメロン家七代目当主、ジェームズ・ブラックメロンの黄金像の裏に隠れた。我々《人工全能》の、おそらくは人間の限度を超えた驚異的な反射神経と身体能力は、銃の引金が引かれ、弾丸が発射されてから弾道を読み、回避することを可能とする。
ぼくは敢えて手持ちのMP5で反撃することはしなかった。星や雲母を巻きこむことを恐れた、からではなく、あのぶ厚い装甲には九ミリパラベラムはおろかライフル弾すら通用しないだろうと思ったからである。姉さんがレールガンで一掃してくれたとはいえ、まだ二体残っている。
彼らを、銃を使うことなく、無力化しなければならない。
『先輩、ヒデくん』
無線機から、雲母の声が聞こえた。彼女は壁を背にして立ち、ぼくと星に《あるハンドサイン》を送っていた。それは白金機関のエージェント同士で決められた暗号とは異なっていたが、すでに彼女と共に何度も死線をくぐり抜けてきたぼくには、彼女が何を意図しているのかがすぐにわかった。星も同様である。
長年の戦友同士の間でのみ可能な、阿吽の呼吸。
雲母はすぐさまその場を離れ、身を低くしてブラックメロン家八代目現当主、ハロルド・ブラックメロンの黄金像や石柱を遮蔽物にしつつ、星と交戦中の地獄谷へと向かって駈けだし、右手に持ったイングラムを発射した。
「ち」
その有り余る火力で星を押して有頂天になっていた地獄谷は、不意を突かれたのか、本能的に身を屈め、ごろごろと地を転がった。
激昂した地獄谷が、装甲兵たちに向かって吼えた。
「てめえら何やってんだよ。クソガキどもをちゃんと押さえつけとけ! その鎧は飾りか、ああん?」
「こう見えても君より年上なんだけどねー。油断して無様に地べた転がったからって、人のせいにしちゃだめだゾ。ぼ・く」
嘲るような半笑いを浮かべた雲母が、地獄谷を挑発した。
「殺してやるクソババア」地獄谷が低い声で言った。
装甲兵のひとりが腕に仕込まれた銃を雲母に向けると、ぼくは瞬時にMP5で彼の腕を狙い、フルオートで引金を引いた。
爆竹のように無数の火花を散らし、踊る装甲兵の腕。
装甲兵はすぐさま機銃の仕込まれた腕をこちらへと向けたが、銃は沈黙したまま。雲母への狙いを逸らせればと思って腕を狙ったのだが、幸運にも今の衝撃で機銃が故障してしまったらしい。
クローディアを守っていた装甲兵(彼を便宜上《騎士》と呼ぶことにする。クローディアの)が、ぼくに機銃を向け、発砲した。
同時に先ほど機銃を無効化した装甲兵(便宜上《片輪》と呼ぶ)が、ぼくに向かって飛びこんできた。銃弾の通じない鋼鉄の装甲でぼくに肉弾戦を挑むつもりだろう。あまり筋骨隆々になってしまうと、女性に変装する際に邪魔になってしまうため、ぼくは筋力に関しては必要最低限の訓練しかしていなかった。そのため、いくらぼくが《人工全能》でも、耐久力は生身の成人男性と大差ない。あんなロボコップをまともに相手していたら、たちまち撲殺されてしまうだろう。
『雲母先輩』
ぼくは小声で無線機に語りかけた。
刹那、先ほど雲母が背を預けていた壁が突然爆発し、《片輪》をふき飛ばした。
そう。先ほどの雲母の合図は、壁に爆弾をしかけたというサインだった。
白金機関には《兵器開発局》なるものが存在し、アクセサリーやガムなど、様々な物に擬態した小型の爆弾や、毒針発射装置、小型のレーザー、乗用車に搭載する小型の機関銃やミサイルなどを開発、製造しており、ぼくたちの諜報や工作、時には戦闘や暗殺といった仕事を支えている。
爆弾にふき飛ばされた《片輪》は五、六メートルほど離れたブラックメロン家五代目当主、デイヴィッド・ブラックメロンの黄金像に頭から衝突し、そのままぴくりとも動かなくなった。
ひしゃげて扁平になった彼の頭部、その口もとあたりの通気口と思われる細かい穴から、だらだらと赤黒い液体が溢れだした。ぶつかった時の衝撃で頭が潰れてしまったのかもしれない。
そして間髪入れず、ぼくと雲母は一瞬だけ眼をあわせ、アイコンタクトを交わし、同時に《騎士》に向かって飛びこんだ。見たところ装甲兵の武器は右腕に仕込まれた機銃のみ。
先ほど仲間が爆弾でやられたせいもあってか、《騎士》は雲母に狙いを定め、機銃を乱射した。無論雲母を攻撃するということは、ぼくに対しては無防備に等しいため、先ほどと同じようにぼくは雲母に向かって伸びた腕を狙い、MP5を発射した。彼らはその圧倒的な防御力と引換えに動きは極めて鈍重なため、特定の部位を狙って銃弾を撃ちこむのは容易であった。《騎士》の機銃の銃口はあさっての方向へと逸れ、放たれた無数の鉛は壁を穿つ。しかし先ほどのように機銃の無力化まではできなかったようで、《騎士》はふたたび、今度はぼくに狙いを定め、右腕の機銃を発射した。
ぼくは《全能反射》によってそれを躱し、石柱の裏に身を隠した。
「チェックメイトおー」
いつの間にか《騎士》の背後に回っていた雲母。
その《騎士》の背中に置かれた彼女の手の平には、その装甲と全く同じ色をした灰色の半球状の固まりが、あった。
白金機関内では《擬態爆弾》という異名で知られるこの爆弾は、最新鋭の光学迷彩技術によってすばやく周囲の色に溶けこみ、任意のタイミングで敵を爆殺できる恐るべき兵器である。
距離をとった雲母が腕に巻いたスマートウォッチに触れると、《騎士》の装甲の一部と化した《擬態爆弾》がすさまじい轟音とともに炸裂。彼の腹部から上が、消滅した。
「くそ。役立たずどもが」
地獄谷が心底憎々しげに毒づいた。
高神が姉さんと互角の戦いを繰り広げ、装甲兵が全滅した今、彼はぼくと雲母と星の三人を同時に相手しなければならなかった。
「銃を捨てろ。おとなしく降伏すれば、あの金髪ともども命だけは助けてやる」
ぼくは地獄谷にMP5の銃口を向け、威圧的な声で言った。
加えて雲母と星が同時に銃を向けると、地獄谷は悔しそうに顔を歪ませてM240機関銃を床に放り投げ、両手を上げた。
これであとは高神を全員で鎮圧すれば、この血みどろの《国会戦争》も幕引きとなるのであるが、そうはならなかった。
ぞわり、と、ぼくの背中に走る悪寒。
突如全く別の方向から現れた、強烈な殺意。
ヴヴヴヴヴヴヴ。
巨大なバイブレーターか何かが動作したような、けたたましい機械音が、フロア中に響きわたった。
雲母が、何かに弾き飛ばされたように勢いよくふき飛び、宙を舞った。
「雲母先輩!」
ぼくはとっさに叫んだ。
正体不明の力によって弾き飛ばされた雲母は、体勢を整えることもかなわず、大理石の床にヘッドスライディングした。
「日本の帝王はこの儂だ。貴様ら薄汚いテロリストどもに、日本を渡してたまるものか。反逆者は全員処刑する」
拡声器を通したような、鷹条総理の、機械音声が聞こえてきた。
身長二メートル半はあるだろうか、エレベーターの前にいつの間にか、他の装甲兵よりも一際大きな赤い人型の鉄塊が、佇立していた。
その宇宙服のように丸い半球形の頭部の強化硝子の奥から覗く、好戦的な笑みを浮かべた鷹条総理の、禍々しい眼光。
右腕には、六本の銃身を持つ黒光りする米ゼネラル・エレクトリック社製電動機関銃M134。戦闘機などに搭載されているM61バルカン砲を対人用に小型化した《ミニガン》と呼ばれるこの小さな怪物は、七・六二ミリNATO弾を、秒間百発という桁外れの速さで発射する。そのあまりの破壊力のため、撃たれた者は痛みを感じる前に死ぬということから《無痛ガン》の異名でも知られている。
「痛ぅ」
地面に横たわっていた雲母が、頭を抱えて呻いた。
どうやら意識があるようだ。
五体も満足であるように見える。
「せんぱ……」
雲母が眼を丸くして、声を洩らした。
彼女が振り向いたその先には、彼女の代わりに胴体を引き裂かれ、無残に地面に横たわった……
星の、死体があった。