第三十話「伏兵」
かろうじて爆死は免れたものの、無数の硝子の破片が身体中のいたるところに突き刺さり、飛散した瓦礫がぼくを集団で暴行、全身に激痛が走った。
落ちる!
と言ってもここは二階で、下には人間の群れという程のいい《クッション》があったため、ぼくは幸い転落による怪我は避けることができた。下にいたデモ隊のおじ様たちが「ぎゃあ」「痛い」と悲鳴をあげた(中には「姉ちゃん、大丈夫かい」と手を差し伸べてくれた髭の素敵なおじ様もいた)。
だがすぐさま地獄谷が、破壊された二階の廊下の窓から、容赦なくAKMSを乱射した。
地獄谷の放った弾丸の雨に、ぼくのクッションとなってくれたおじ様たちがなすすべもなく、貫かれていく。
「くそ。やめろ。このきちがい。人殺し」
ぼくは銃弾から逃れるため、必死にデモ隊の人々を足蹴にし、国会の一階正面ロビーへと飛びこみ、難を逃れた。
谺する、阿鼻叫喚。
恐慌状態となった人の群れは、とにかく銃弾の餌食になるまいと我先へ、我先へと、四方八方へ逃走を始めた。
外に残っていた警察義勇軍が反撃すると地獄谷の銃撃は止んだが、それでもデモ隊の混乱は収まらなかった。
「あっ。みなさん。落ち着いて。どうか、警察の指示に従ってください。あっ。ちょっ。押さないで。やめて。よして。ひぎゃ」
彼らを必死で鎮火しようとしている婦警の声が聞こえたが、無駄だった。
ぼくたちの役目は総理や地獄谷らを制圧し、この混乱に終止符を打つことだ。
一階ロビーに飛びこんできたぼくを、短機関銃MP5で武装した衛視が銃撃してきた。本物の衛視は銃を持たないので、もちろん総理の手先である。
ぼくが物陰から隙を窺っていると、入口の方からぱんぱん、と、数回の発砲音と共に、衛視たちがツイストを踊りながら胸や腹から紅い飛沫を撒き散らし、周囲の国会職員や議員同様に大理石の床に横たわるただの肉塊と化した。
「大丈夫か」
駈けつけた警察義勇軍が援護してくれたのだ。なお、ぼくは警察義勇軍の面々の顔はすべて記憶している。
「助かったわ。ありがとう。かっこいいお巡りさん」
女装していたため、ぼくは女性の声音で彼らに礼を言い、軽く投げキスをした。
警察義勇軍の大柄な坊主頭の若い男性は女性に免疫がないのか頬を赤らめ、「う、うむ」と、明らかに目線が泳いでいた。
ぼくと《坊主頭》は、ロビー中央の深紅の絨毯が縦断している豪華な階段へ向かって駈けた。
『ヒデル。階段の上で敵が待ち伏せしてる。数は三』
アルマの言う通り、階段を駈けあがると一般人や国会職員になりすました総理の兵隊が待ち伏せしていた。
が、潜んでいると分かっていれば、伏兵などただ壁や床に張りついている木偶に過ぎなかった。
ぼくは三人のうちの二人を一瞬で射殺し、素早く廊下を走り抜けた。
残りの一人が石柱を遮蔽物にして反撃してきたが、後ろからやってきた警察義勇軍の坊主頭に撃ち殺された。
坊主頭は憧憬の眼差しでぼくを見つめ、言った。
「大した腕前だな。俺は千葉県警薬物銃器対策課、鬼瓦銃蔵。君は、所属はどこだ? 銃対(銃器対策部隊)か、それともSATか?」
どうやらぼくを警察義勇軍だと勘違いしているらしい。
「朱井星子。荻窪署の交通課。階級は巡査ですわ」ぼくは適当な嘘でお茶を濁しておいた。
「驚いたな。こんなに頼もしい婦警さんがいたとは。自衛隊上がりか?」鬼瓦は眼を丸くして言った。
「ふふ。ご想像に任せるわ」
『ヒデル。総理は中央塔の四階に向かった』ドローンで議事堂内を監視しているアルマの声が無線機から聞こえてきた。
「了解。すぐに追う」
ぼくが耳に手を当ててアルマと話していると、鬼瓦が怪訝そうに眉を顰めていた。
「おい。誰と話してるんだ」
ぼくは唇に人差し指を当て、妖艶な流し眼を鬼瓦に向け、蠱惑的に「うふふ」と微笑んだ。ぼくのその仕草に鬼瓦は心臓が跳ねあがったのか、一瞬身体をびくりと震わせた。
「助っ人よ。ドローンを飛ばして、議事堂内の様子を教えてくれるの。鷹条総理が武装組織を使って議長や敵対する議員たちを殺したみたいね」
「そんな。まさか、日本の総理ともあろう者が」
外にいた警察義勇軍の彼らは、議事堂内で起きた血の惨劇の主犯が総理であることを知らない。
「元々全権委任法なんてトンデモ法案を可決しようとしていたくらいだからね。否決された時は反対派を《粛清》して、力ずくで軍事政権を作るつもりだったんでしょう。彼を止めなければ、日本は暴力と恐怖が支配する独裁国家に成り果てる」
鬼瓦はしばらく呆気にとられていたが、周囲に散乱する議員や国会職員の死体を見て、何かを決意したように、そのぶ厚い顎で歯をぎりりと噛み締めた。
「俺には難しいことはよくわからない。だが、総理を止めなければ、この悲劇がまた繰り返されるってことだ。そうなんだろ?」
ぼくは鬼瓦の問いに、ただ首を縦に振った。
「なら、それを止めるのは俺たち警官の仕事だ」
鬼瓦は斃した衛視のひとりから奪ったMP5の弾倉を取り替え、ふたたびコッキングレバーを引いた。
「鷹条総理は中央塔の四階へ向かったみたい。追うわよ」
「ああ」
ぼくと鬼瓦は、中央塔の三階へ向かって階段を駈けあがった。
突如、ぱぱぱぱ、という騒々しい音とともに、ぼくのすぐ脇を横殴りの弾丸の雨が通過した。
「ぎゃはははは。弾幕は火力だぜエ」
上で待ち構えていた、体中にベルト弾倉を巻きつけた地獄谷が、狂ったように哄笑しながら、M240機関銃をぼくたちに向けていた。
「くそ。これじゃ進みようがない」
階段を背にして後ろからの襲撃に備えていた鬼瓦が呟いた。
あちこち割れた窓ガラスの向こう側から、微かにヘリのローター音が、聴こえてきた。総理が脱走用に手配したものかもしれない。
このまま中央塔の最上階から逃げるつもりか。
背後では鬼瓦がMP5で弾幕を張り、ぼくの背中を守っていた。
このままじゃジリ貧だ。
「姉さん。アルマ。中央塔で敵の襲撃に遭っている。援軍はまだか。このままじゃ総理に逃げられる」
無線機の向こう側から応答してきたのは、アルマだった。
『ヒデル。待たせた。ドローン部隊が二方向から村正を襲う』
窮地に立たされ半ば焦っていたぼくにとって、そのアルマの言葉は天からの福音のようであった。
「オーケイ。ありがとう、アルマ。大好きだよ」
『えっ。あっ。その。がんばって。死なないでね。ヒデル』
無線機の向こうから、アルマの何とも可愛らしい上ずった声が聞こえてきた。
ぼくは背後の鬼瓦に言った。
「鬼瓦さん。仲間が上の敵に一瞬だけ隙を作ってくれるわ。その瞬間に私が飛びこむから、援護をお願いできるかしら」
「わかった」MP5の弾倉の再装填を終えた鬼瓦が同意した。
「ち。ゴミ虫どもめが」という地獄谷の罵声が合図だった。
豪雨の如き弾丸の妨害は止み、虫ドローンの自爆と思われる、ぱあん、という乾いた炸裂音が何度か聴こえてきた。
好機と見たぼくと鬼瓦は、全速力で階段を駈けあがった。倒しても斃してもわらわらと群がってくる偽衛視たちは、鬼瓦が弾幕を張って止めてくれた。
階段を四段飛ばしで跳ねあがりながら、ぼくは刹那の目視で地獄谷のいる方向と目指すべき安全地帯を把握し、両手の拳銃を地獄谷へ向け……
ぞくり。
瞬時に、反対方向から尋常でない殺気を感じとったぼくは、反射的にそちらへ左手に持った拳銃(敵から奪ったスタームルガーP85)を向け、立て続けに引金を引いた。
この咄嗟の判断がなければ、ぼくは潜んでいた射手によって心臓を撃ち抜かれていたかもしれない。
たーん、という疳高い撃発音とともに、ぼくの左腕に灼熱した石油ストーブに触れたような、熱い痛みが走った。
「痛っ」
構わず全弾撃ちつくす勢いで、ぼくは左手のスタームルガーで弾丸をばら撒き、伏兵による追撃を阻止しつつ、派手に横っ飛びしながら、重厚なコンクリート製の受付カウンターの裏へと、滑りこんだ。
「大丈夫か」
階段を駈けあがってきた鬼瓦が、MP5で《地獄谷》へ向けて、弾幕を張っていた。
「後ろだ、鬼瓦」
ぼくが叫んだところで、遅かった。
たーん。
鬼瓦の顔面が、《崩壊》した。
背後に潜んでいた謎の射手によって、後頭部にライフル弾を叩き込まれ、鬼瓦の下顎から上の頭部が、根こそぎ、吹き飛ばされてしまったのだ。
行き場を失った多量の真紅の液体がストロンボリ噴火の如く飛散し、足元の黄金の大理石の床にグロテスクな紅い花を咲かせた。しばらく立ち止まったままびくびくと痙攣していた鬼瓦の亡骸は、やがて膝から崩れ落ち、床にうつ伏せに、沈んでいく。
「くそ」
鬼瓦の冥福を祈る暇もなく、たーん、たーん、と、ライフルの撃発音が連続で数発、大きく重厚なコンクリート製のカウンターに弾痕を刻んでいく。
ぼくもカウンターの裏から、正体不明の伏兵に向かって反撃する。
が、残弾乏しく、ぼくのワルサーとスタームルガーはすぐに両者とも沈黙してしまった。
跳ねあがる心拍。
弾切れだ、くそ! こんな時に!
しかし敵のライフルはお構いなしに咆哮し、さらに複数の弾痕が新たに壁に刻まれた。
直後ぼくの脳裏をよぎったのは、顔面を吹き飛ばされた鬼瓦の傍に転がっているMP5。
だが、いかんせん遠い。
これを入手して反撃するには、カウンターから出て通路反対側の階段室へ飛びこまねばならない。
ぼくの弾切れを悟ったのか、《伏兵》はこちらに銃を向けつつ、林立する机や棚を遮蔽物にして少しずつこちらに接近してきた。
眩いばかりの金髪に、切れ長の鋭い眼に碧き瞳。
鬼瓦の頭を粉々にふっ飛ばした伏兵は、秘密結社ヘリオスの特殊部隊ラブアンドピースの手練、クローディア・クロウであった。
クローディアはその手に持った軍用セミオート狙撃銃H&K・MSG90をこちらに向け、様子を伺いながら本棚の間を縫うように素早く移動し、こちらへ接近してくる。
まずい。
ぼくの現在使用できる武器は、袖の下に仕込んだ暗殺用の仕込みナイフだけ。
一か八かで飛びこみ、彼女の放つ銃弾を被弾覚悟で致命傷だけは避け、その心臓にナイフを突き立ててやるか。
だが、クローディアは一番近くの本棚の影に潜み、こちらの様子を伺っているようだった。
距離が遠い。
これでは彼女の放つ初弾を躱せても、次弾でぼくは確実に仕留められるだろう。
さらに間の悪いことに、敵の偽衛視たちがぞろぞろとやってきて、ぼくは囲まれてしまった。
「姉さん。アルマ。聞こえるか。伏兵に襲撃された。警察義勇軍の鬼瓦は戦死。囲まれた」
ぼくが咄嗟に無線機で連絡すると、返ってきたのは慌てふためいたアルマの声だった。
『あっ。ヒデル。待ってて。今ドローンを』
言うや否や、地獄谷を襲撃していたドローンの一部が、クローディアに向かって飛んでいく。
が、複数のライフルの撃発音とともに、すべて木っ端微塵に砕け散ってしまった。
国会議事堂に仕掛けられた全方位ドローンガンを無効化する特別仕様のドローンは、国家保安委員会の本部で使われたゴキブリ型やモスキート型に比べて大きく、動きも鈍重であったため、狙撃の達人であるクローディアにとっては恰好の的であった。
「ナイスアシストだぜ、クローディア」
ドローンを蹴散らした地獄谷が、ふたたびこちらへ向けてM240による弾丸の嵐をお見舞いしてきた。
すさまじい轟音とともに、カウンターの石壁が削られていく。これが木製のカウンターだったら、貫通してきた銃弾によってぼくは今ごろ蜂の巣になっていたことだろう。
階段からぞろぞろと上ってくる、MP5を装備した偽衛視たち。
「勝負あったな」
ぼくの反撃がないので、地獄谷とクローディアはもはやぼくに戦闘継続能力がないと判断したのか、こちらへ銃を向けながら、じりじりと迫ってきた。