第二十九話「国会戦争」
十数人の議員から一斉に撃たれた議長は、一瞬で蜂の巣になり、全身のいたるところから紅い鮮血を噴出し、議長席の上で物言わぬ屍と化した。
議場のあらゆる場所に潜んでいた鷹条総理の兵隊は、全権委任法に反対した野党議員や、造反した愛国党の議員、《本物》の衛視たちにもその銃口を向け、次々に発砲。議場はあっという間に血の海と死体の山の地獄と化してしまった。国会の衛視たちは一般の警官とは違い、銃の携帯を許可されていなかった。誰も総理の兵隊たちを止めることはできなかったのだ。
ぼくには、何もできなかった。
総理の兵隊たちは一般人や議員、国会職員たちの中に潜んでいて、ぼくひとりで対処できる数ではなかったし、下手に撃てば犠牲者をいたずらに増やすだけであった。
『ヒデル。聴こえますか。私です。ヒヅルです』
耳に仕込んだ無線機から、姉さんの声がした。
「姉さん。議場に総理の兵隊が潜んでいた。議長を始め、多くの議員や衛視たちが殺されてしまった」
『ヒデル。鷹条総理は法と民主主義に背を向け、力による独裁の道を選びました。彼を野放しにしておけば、ヘリオスの支配する軍事政権が誕生し、日本は暴力と恐怖の支配する暗黒時代を迎えることになるでしょう。彼を止めるのです。雲母や周一、アルマのドローン部隊と、外に待機している警察義勇軍を国会に突入させます。あなたは鷹条総理を止めなさい。最悪、射殺しても構いま』
ふいに、背後からの殺気を感じ取ったぼくは、素早く身を低くした。
ぱあんぱんぱん。
いつの間にか背後に迫ってきていたスーツ姿の黒髪の女性が、ぼくを撃ち殺そうとしていたのだ。
「ち」
女性が発砲するより先に、ぼくは袖の下から仕込みナイフを突き出し、女性の心臓をひと突きにした。
「げぼ」
名も知らぬ刺客の女性は、口から血の泡を噴き、その場に倒れ、動かなくなった。
外で待機していた警察義勇軍が国会の敷地内に突入してきたのか、建物の外からも銃声が聴こえてきた。
「今一度、諸君に問おう。全権委任法に反対する者は、今すぐ起立せよ」
鷹条総理が、大きな声で叫んだ。
総理の兵隊が銃を向けているこの状況で、起立する議員は、誰もいなかった。
かろうじて生き残った反対派の議員たちは、すでにそのほとんどが議場の外へ逃げてしまっていた。鷹条総理はそのまま続けた。
「よろしい。全権委任法成立だな。では、ただ今を持って愛国党以外の政党の存続・結成を禁止する。そして我が国をふたたび偉大にするため、日本国を一度解体し、再編する。永年政権与党・愛国党の総裁として、ここに《日本帝国》の建国を、宣言する。より強く、より豊かで、秩序ある国を、この儂が築いてやろう」
「そうはさせない」
ぼくは二階の公衆席から議場へと飛び降り、鷹条総理目がけてワルサーを発砲した。
が、総理は素早く身を低くし、机の影へと隠れた。ただの政治家とは思えぬ身のこなし、そう、少なくとも一定期間軍に身を置いていた者の、訓練された動きだった。
「反逆者だ。殺せ」
総理が叫ぶと、周囲にいた愛国党の議員の何人かが、ぼくに拳銃を向け、発砲してきた。
ぼくは議席の影に身を隠し、這うように地面すれすれを素早く駈け抜けた。
敵の数が多すぎる。
こちらの武器は、隠し持った小型の自動拳銃ワルサーPPKと、袖の下に仕込んだ暗殺用のナイフだけ。
数十人の兵隊相手に戦うには、分が悪すぎる。
一度議場を出て、態勢を立て直さなければ。
……と思ったところで、ばたん、と、議場の扉が乱暴に蹴破られ、ドラムマガジン装備のAKMSカービンを持った地獄谷村正が飛びこんできた。
彼はそのまま、逃げ惑う議員や国会職員、一般人に、無慈悲にも七・六二ミリ弾のシャワーをおみまいした。
「ひゃっはアー。皆殺しだア」
悪魔のような笑みを浮かべ、地獄谷はきちがいじみた奇声をあげて銃を乱射し続けた。
まだかろうじて息のあった者、足が竦んで動けなくなっていた者、記者として命がけで職務を全うしていた者たちが、次々と悪魔の凶弾に斃れ、物言わぬ屍と化していく。圧倒的な暴力の前では、人の命など紙切れ同然という現実。
「やめろ」
ぼくは地獄谷へ向けてワルサーを発砲した。
「おっとオ」
ぼくの存在に気づいた地獄谷は、フルオート連射中のAKMSの銃口を、そのままこちらへと向けた。
が、ぼくに敵の注意が集中したおかげで、議場から逃げ遅れていた人々の何人かは脱走することができた。
「逃がすか。反逆者は全殺しにしてやる」
総理が身を低くしながら、出口へ向かって脱兎のごとく駈け抜けていった。
それを追跡せんとするぼくを、当然ながら地獄谷が妨害する。
「もやしイ。ここで会ったが百年めだア。今度こそ逃さねえ。ぶち殺してババアに首を送りつけてやんぜ」
動物並の嗅覚でも持っているのか何なのか、地獄谷はぼくの完璧な女装を見破っていた。なお、彼の言うババアとはヒヅル姉さんのことだと思われる(失礼にもほどがある!)。
「まったく、野蛮な男ね。あなたは」
女装していたため、ぼくは無意識のうちに女性の声と口調で返してしまった。
「気持ち悪い声出してんじゃねえぞ、オカマ野郎がア」
地獄谷がふたたびAKMSを発射したが、多くの人間を射殺してきたこともあり、七十五発もの装弾数を誇るドラムマガジンもさすがに弾切れとなった。
無論弾倉の再装填の隙を見逃すぼくではなく、ワルサーの残弾を撃ち尽くす勢いで連射して弾幕を張りつつ、出口に向かって体を真横にして跳んだ。
床を転げ回り、埃や犠牲者たちの血に塗れながらも、ぼくは何とか議場からの脱出に成功した。
廊下もまた、逃げ遅れた議員や国会職員たちの死体がそこかしこに横たわる屍山血河の地獄であった。
ぼくは思わず、奥歯を噛み締めた。
たったひとりの力でできることなど限界がある。そんなことはわかっていたが、またしてもぼくは、鷹条総理のような暴力の信奉者から、星子のような無辜の民を守ることが、できなかったのだ。こんなことで本当に世界を変えられるのか。御菩薩池の地獄の訓練を耐え抜いてもなお、ぼくは無力だというのか。
弱い者はただ無残に蹂躙され、死ぬしかない。
そんなゴミ溜めのような世界の現実を、改めて認識した。
ぼくは中央塔方面へ駈けながら耳に手を当て、無線機越しに姉さんに報告する。
「姉さん。総理の暗殺に失敗した。やつは議場を出て中央塔の方へ向かった。地獄谷もいる。敵の数は少なくとも三十人以上。援軍を求む」
『アルマのドローン部隊が先行して議事堂内に侵入しています。しかし予想通り全方位ドローンガンが発動しているため、一部の改良ドローンのみがそちらへ向かっています。議事堂内の至るところに伏兵やトラップが仕掛けられているようです。先行して突入したドローンや警察義勇軍の方がやられました』
姉さんの声は冷淡そのものだった。戦場において指揮官は常に冷静に戦況を分析し、適切な判断を下さねばならないのだ。
『ハロー、ヒデくん』姉さんとは対照的な、雲母の陽気な声が聴こえた。『今議事堂に突入したよ。参院の本会議場の方にいるわ。星先輩も一緒。これから中央塔へ向かうね』
参院の本会議場は、ぼくのいる衆院の本会議場の反対側だった。どうやらぼくはひとりで中央塔まで強行突破しなければいけないらしい。
「やれやれ」
ぼくは大きなため息をつき、空になったワルサーの弾倉を再装填し、ふたたび撃鉄を起こした。
「逃がすか、こら」
背後から地獄谷が怒号とともに迫ってくる。
ぼくは道中で殺した敵から拳銃を奪い取り、二挺拳銃で応戦した。
「ぶっとびやがれ。オカマ野郎」
地獄谷のAKMSの銃口の下部に仕込まれた、銃口よりもひとまわり大きな《砲口》が、ぼくの方へと向けられた。
酒瓶からコルク栓を勢いよく引き抜いたような、ぽん、という発射音。
同時に、硝煙の尾を引きながら、ぼくの五体を粉砕すべく飛びこんでくる、破壊の死神。
まずい。
ぼくは咄嗟に窓ガラスを突き破り、外へ飛び出した。
GP30グレネードランチャーから放たれた榴弾が壁に炸裂、外壁もろとも粉々に爆砕してしまった。