第二十八話「粛清」
国会前のデモ隊に撃ちこまれたロケット弾により、辺り一体は炎と煙と瓦礫と、そして肉塊と化した人々の山という凄惨な地獄と化した。
谺する悲鳴、恐慌状態に陥り、四散する百万のデモ隊の群れ。
四方八方すべて人で埋め尽くされていた国会前は、数百人の死傷者と、彼らを運ぶ救急車、そして暴徒と化した一部の民衆と、それを鎮圧する警官のみとなった。
最終的にこの爆撃による死者は六十二名、怪我人は軽傷者も含めると百八十五名という大惨事となり、《血の土曜日事件》として日本中を震撼させた。爆撃を行った犯人は逃走中で、政府は関与を否定しているが、国会前の邪魔なデモ隊を武力で鎮圧させるための蛮行であろう、と、多くの国民は思っているだろう。
この事件を受け、翌日政府は国会前でのデモ活動を禁止した。
謎のテロリストによるデモ隊への攻撃があり、数百人の死傷者が出てしまったため、犯人を特定し、捕まえるまでは国会前でのデモは危険であるとし、国民の命を守るための決断であるとのこと。
「詭弁だ」
ネットニュースを見ていたぼくは、憤激のあまりモノリス・タブレットを床に叩きつけた。しかしそこは白金エレクトロニクス謹製の耐衝撃タブレット。ビルの十階から落としても壊れないというその頑強さは、ぼく程度の細腕に投擲されたところでびくともせず、相変わらずニュースサイトの画面を表示し続けていた。
白金タワーが崩落して以降、ぼくは白金グループが都内に所有する第十八白金タワー(二十三階建て)で暮らしていた。ヒヅル姉さんやアルマ、宮美も同じビル内にいる。以前の白金タワーと同様、人工知能IRISによる隙のない監視システムと精鋭の警備隊によって守られた武装要塞だ。しかも今度は周囲に高層ビルが立ち並ぶオフィス街の一角にあるため、ジャンボ機を突っこませるという奇策も通用しない。
さらに翌日、鷹条総理はSNS上の自分の公式アカウントで、日本のメディアは偽ニュースで、自身の娘のビデオレターについては、政権転覆を企む野党勢力、特に労働党による罠で、すべてでっちあげであり、証拠の映像も合成だと主張した。その上で最近核やミサイル開発が進歩している北朝鮮の恐怖を煽り、国難の時だからこそ、我が国はひとつにならなければならぬ、と、憲法の制約すら無効化する《全権委任法》を閣議決定。これには野党が猛反発したが、反対派の野党議員やその家族がどういうわけか次々に謎の事故死を遂げると、反対する者はいなくなった。労働党の議員には白金機関による護衛もついていたが、それでも鷹条政権による《粛清》から逃れることはできなかった。
このままでは全権委任法は国会で可決され、日本は鷹条総理の独裁国家と化してしまう。
ぼくはいてもたってもいられなくなり、姉さんに直接意見することにした。
「どうするんだ。姉さん。このまま指を咥えて黙って見ているつもりか。ぼくたちの力で抵抗勢力の議員やその家族たちを保護できないのか」
「労働党の議員や与野党内の我々の《協力者》にはすでに白金グループ傘下の警備会社より選りすぐりの護衛を派遣しています。しかし、それでも《彼ら》は護衛ごと抵抗勢力を粛清してしまう。おそらくヘリオスの精鋭部隊ラブアンドピースか、相応の腕を持つ一流の殺し屋の仕業でしょう」
「どうするんだ。このままでは鷹条総理に刃向う議員はいなくなる。全権委任法が、可決してしまうぞ」
法律が国民のルールならば、憲法とはすなわち為政者を対象としたルールである。基本的人権や三権分立などのルールとは、すなわち為政者の暴走に歯止めをかけるための、民主主義国家にとってなくてはならない箍のようなもの。全権委任法は憲法に縛られることなく、鷹条政権に無制限の立法権を与える。つまり国会の承認を必要とせず、すべては鷹条内閣の思うがままというわけだ。無論閣僚たちは全員鷹条総理の身内であり、いわゆるお友達内閣。
要するに、全権委任法可決イコール独裁国家鷹条帝国の誕生というわけである。
逸るぼくとは対照的に、姉さんは冷静そのものだった。
「すでに次の手は打ってあります。機を待つのです、ヒデル。敵は我々が炙り出されるのを待っている。軽挙妄動は敵の思うつぼですわ」
姉さんは御所車の描かれた派手な扇子を拡げ、口もとを隠してほゝゝと静かに笑った。
全権委任法の最終審議日を迎えると、国会の前ではふたたび数十万人規模のデモが行われていた。
一ヶ月ほど前に《血の土曜日事件》があったばかりだと言うのに、これだけの人数が国会前に集結したのには、理由があった。
鷹条政権の横暴に不満を募らせていたのは、国民だけではない。警察内部に潜伏させたスパイの情報によると、警察内でも鷹条政権に服従するかどうかで内部対立が起きていたらしい。そこで姉さんはスパイに、警察内の抵抗勢力に「国会前でふたたび行われるデモに参加する国民たちを、自分たちの手で守らないか」と、扇動させた。かくして警察内の有志たちが一斉に動き、義勇軍を結成。国会の周辺に散開し、デモ隊を襲撃しようとしている怪しい輩が出てこないか、眼を光らせていた。同時に姉さんは買収したメディアやサイバー戦略部隊を使って、皆でもう一度デモをやろう、民主主義を守ろう、と、国民に呼びかけた。
そして本日の最終審議にあわせて労働党や他の野党の家族を、日本各地にある白金グループ保有の武装要塞に避難させ、ヘリオスの刺客からの襲撃に備えていた。「全権委任法に反対する抵抗勢力の議員とその家族すべてを殺す」という謎の脅迫メールやFAXが送られてきた、という報告が、労働党内の議員たちから姉さん宛に届いていたためだ。
愛する家族たちは白金機関が保護しており、また、国会議事堂の外では数十万の民衆が全権委任法反対デモを行っている。
抵抗勢力の議員たちが全権委任法に賛成票を投じる理由は、もはやなかった。
それどころか、民主主義の破壊に否定的だった愛国党内の慎重派も手のひらを返したように同調し、全権委任法は三分の二以上の反対により、否決された。
「そうか。あくまで我が覇道の邪魔をするか。白金ヒヅル」
鷹条総理は憤激して立ちあがり、叫んだ。
「鷹条君。静粛に。私語は慎みなさい」
議長が厳かな声で鷹条総理に命じた。国会においては総理大臣よりも議長の方が立場は上であり、議場の警察権も議長が握っている。たとえ総理大臣と言えども、議長の鶴の一声で議場の外へと追放することができるのだ。
「遊びは終わりだ。議長。狡い蠅どもの相手をしてやるのはもう飽きた。誰がこの国の支配者であるか、はっきりさせる時が来たのだ」
鷹条総理が、右腕を高く掲げた。
ぼくは瞬時に数秒先の未来の惨劇を予測、なかば反射的に懐に隠し持った自動拳銃・ワルサーPPKを素早く抜いた。
が、すべて無駄だった。
ぱぱぱぱぱ。
国会に似つかわしくない乾いた音が、議場全体に谺した。
公衆席、記者席、そして衛視や速記者、愛国党の議員までもが、一斉に隠し持った拳銃を抜き、引金を引いたのである。