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白金記 - Unify the World  作者: 富士見永人
第一章「日本編」
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第十五話「軟禁嬢」

 二〇一一年三月十一日。日本を未曾有(みぞう)の災害が襲った。

 東日本大震災。

 ぼくはこの時相変わらず白金(しろがね)タワーで御菩薩池(みぞろげ)の訓練を受けていたのだが、すさまじい揺れが起こったにも関わらず、訓練は続行された。

 ニュースを見れば、黒い海水が街を飲みこみ、車や建物がまるでベルトコンベアーに乗ったようにどこかへと押し流されていく、その現実離れした光景に、ぼくは絶句した。

 マグニチュード九・〇という巨大地震と、それに伴う巨大津波により、日本の東北地方沿岸は壊滅。

 さらに津波によって福島第一原発が全電源喪失状態に陥り、炉心溶融(メルトダウン)が起きて爆発炎上、大気中、土壌、海洋などに大量の放射性物質をばらまいた。

 日本を襲ったこの前代未聞の災害に、ヒヅル姉さんはただ「然るべき手はすでに打ってあります」とだけ、言った。

 震災以後、しばらく東京電気の事故対応の様子がテレビで放映されていたが、中々事態は収束しなかった。そこで白金グループは傘下企業の力を総動員し、事故対応を支援すると声明を発表。福島第一原発に白金重工製の無人重機や作業ロボットが大量に投入され、たったの二週間で福島第一原発は巨大なドーム状のシェルターに覆われていた。完璧な連携と作業。まるでひとつの工場のように絶え間なく正確に、各作業を終えていくこの機械の群れは、まるでSF映画に出てくるロボット軍隊を彷彿(ほうふつ)とさせ、日本はおろか世界中を驚かせた。そして時の首相である菅田(かんだ)内閣総理大臣は、原発事故収束を早々に宣言した。

 さらに白金グループは、被災地の復興のために何と千億円もの寄付を行うと発表し、世間を驚かせた。

 このふたつの行動で、白金グループは世間の尊敬と支持を集め、一部の界隈でヒヅル姉さんは《救国の女神》《日本国民の偉大なる太陽》などと称され、崇められるようになった。

 だが、いいことばかりではなかった。

 まず、ヒヅル姉さんの乗った飛行機が暗殺者らしき連中に狙われた。

 世の中には破竹の勢いで躍進していく白金グループ、殊に姉さんの存在を快く思わない連中もいる。その筆頭が現在日本を牛耳っている秘密結社ヘリオス、あるいはそれと結託している政財界の既得権益層たちである。雪のように白い髪と肌の姉さんはそのまま乗ると目立ちすぎるため、当然何らかの変装をしてから行くのだが、それでも日本中に常に網を張っている秘密結社ヘリオスの眼から完全に逃れることは不可能らしく、常に護衛をつけて行く。また、敵の工作員らしき人間が数名拘束された。白金タワーは常に顔認識カメラやセンサーなどの装置を通して《人工知能IRIS(イリス)》にすべて監視されており、データにない者がいるとすぐにわかってしまうという難攻不落のハイテク軍事要塞であるため、生半可なスパイでは侵入できない。捕えた工作員は六十六階にあるという拷問部屋へ連れて行かれ、その道のプロによって苛烈(かれつ)な拷問を受けるが、全員口を割らず速やかに自害してしまった。

 ぼくは一年ほどで御菩薩池(みぞろげ)の訓練プログラムを終え、白金グループと秘密裏に同盟を締結している世界各地の国へと送られ、その国の軍隊、それも一般部隊ではなく精鋭中の精鋭と呼ばれる空挺部隊や特殊急襲部隊の訓練に、参加した。基礎体力訓練や格闘訓練、射撃訓練、水中訓練などは御菩薩池の地獄の特訓の甲斐もあって難なくついていくことができたので、ぼくがここへ飛ばされたのは、実際の任務を想定したヘリからの降下訓練や高層ビルからのラペリング、ジャングルでのサバイバル、実地での人質救出や標的の捕獲ないし暗殺といった想定訓練、車やオートバイ、飛行機、ヘリコプター、挙げ句の果てには戦車を含む軍用車両の操縦訓練、などといった、ビル内では実現不可能な訓練を受けさせることと、異国の文化や言語、風習を実生活を通じて身につけさせるためだろう。白金学園大学部で英語を始めとする十二の言語を学んだが、単語の意味や発音、文法を完全に理解していても、スラングや慣用句、方言など現地民が実際に使っている言葉との隔たりはどうしても出てしまうものである。また、潜入工作なども視野に入れているのか、演技を学ぶために俳優の養成校にも通わされた。

 海外の軍隊での合宿を終えると、ぼくには早速任務が与えられた。実際の任務で大切なのは、まずチームワークである。ぼくがどれだけ有能であったところで人間独りにできることには限度があるため、多くの仕事は仲間と一緒にこなすことになる。白金機関の幹部や重要人物の警護、敵に捕らえられた仲間の救出、ヘリオスにつながりがあるとされる民間企業や団体への潜入調査および工作、物資の輸送、特に兵器の密輸やアルマの虫型ドローンといった重要物資の運搬および持ちこみ(虫型ドローンは長時間長距離の飛行ができない)、などなど。最初の数回は星や雲母(きらら)といった先輩エージェントがぼくをサポートしていたが、次第にぼくは一人前の白金機関エージェントとして頭角を現し、逆に彼らを手助けするようになっていった。

「これで貸し七つですね。雲母先輩。今ならワイヤーラーメン一カ月分の食券でチャラにしてあげますよ」

 米軍事産業大手のハルバード社が密かに開発している新兵器のデータを盗み出す任務を成功させた後、雲母の運転する車の中でぼくは彼女に言った。なお、ワイヤーラーメンとは博多系のラーメンで極稀に見られる特殊メニューで、《針金》以上の硬さと太さを誇る名物珍味であり、読んで字のごとくワイヤーを思わせるような麺類と思えぬその歯ごたえは、食せば食すほど味わいを増す神秘の味である。

 雲母が満面の笑みで返答した。「何さりげにひとつ追加してるのかなあ。ヒデくんは。真茶(まさ)ちゃんスカウトしに行った時に現地の女の子紹介してあげたでしょ。六つだよ。六つ」

「彼女は結局ヘリオスのスパイだったじゃないですか。ノーカンです。ノーカン」

 ぼくは縁あって星や雲母とともに行動することが多く、彼らと長い時間を共にすることで自然と呼吸も合うようになっていった。

 星が言った。「ヒデル。それを言うなら最初に秘密警察に単独潜入してお前を救出してやった俺や雲母たんへの借りと、星子を救出してやった(ひかる)への借りがまだ残ってるぞ」

「いったいどれだけ昔の話を掘り返すつもりですかね。この中年は」

「てめえ。俺はまだ三十三だぞ。誰が中年だ。先輩に対して生意気なやつだ。徹底的な再教育が必要だな」

 星はぼくを威嚇(いかく)するようにそのごつい拳をばきぼきべきと鳴らした。

 ぼくは怯まずに言い返す。「嫌ですねえ。このくらいの軽口でむきになるなんて。更年期ですかあ? 歳はとりたくないもんですね。ふっ」

「はいはい。エージェント同士の私闘は厳禁。隊長に報告しますよ。先輩、ヒデくん」

 星の顔がストーブのようにまっ赤になる前に、雲母が初期消火に入った。こうしてぼくと星の挑発競争はいつもどおり幕を閉じた。

 ここ数年の我々白金機関の水面下での活動によって、日本における白金グループの政治的な地位や影響力は飛躍的に向上した。財界のライバルや政敵を秘密工作やメディア操作によって失脚させ、代わりに白金グループに協力的な者たちを次々と送りこんだ。戦後より常に衆参両院で三分の二以上の議席を占め、日本をほぼ一党支配してきた愛国党は徐々にその議席数を減らし、新しく頭角を現してきた労働党(と表向きは名乗っているものの、ヒヅル姉さんに忠誠を誓った所謂白金ワンワールド主義者たちによる事実上の《白金党》)が、今や三分の一以上の議席を獲得し、政権交代も時間の問題であると言われている。

 星子(せいこ)がぼくの眼の前で国家権力に蹂躙(じゅうりん)され、何もできなかったあの悪夢から実に三年。長かった。姉さんは言った。同じ志を持つ仲間と力をあわせ、謀略の限りを尽くし、戦わずに勝利せよ、と。理不尽なこの世界を変えてしまえ、と。もう少しで、ぼくは日本を牛耳(ぎゅうじ)る悪の権力、ジャパン・ハンドラー、秘密結社ヘリオスとその一味を、戦わずして粉砕することができるのだ。同じ志を持つ仲間たちと共に。そして、日本をひっくり返した後は世界だ。ヘリオスの勢力は日本だけにとどまらない。世界中に根を張り、暴力と恐怖で人民たちから富を吸いあげ、のうのうと際限なく肥え太る豚どもを滅ぼし! 我らが宿願である、すべての人間が豊かに暮らせる《完全世界》を、作りあげるのだ!


 二〇一三年十月七日。ぼくはヒヅル姉さんに呼びだされ、とある任務を請け負った。現愛国党総裁にして日本国総理大臣、鷹条林太郎(たかじょうりんたろう)。その娘である鷹条宮美(みやび)が、渋谷のとある高級マンションの一室で軟禁されているらしい。鷹条総理は政界でも筋金入りの強硬派として有名で、裏で暴力団とつるんでいるとか、殺し屋を使って政敵を抹殺しているとか色々と黒い噂の絶えない人物であるが、姉さんいわくその正体は秘密結社ヘリオス日本支部のボスだという。一方の娘はどう育てられたのか清廉潔白そのもので、父の悪行を止めるために週刊文冬(ぶんとう)に彼の罪を告発するという勇敢すぎるというより無謀な行動に出たため、逆に父の怒りを買ってマンションに軟禁されてしまったという。ぼくの任務は彼女が自らの意志でマンションを脱走するのを手助けし、姉さんのもとまで連れてくること。あくまで任意同行であり、拉致(らち)するわけではない。姉さんの狙いは鷹条宮美を宣伝塔として利用し、ヘリオス日本支部のトップにして総理である鷹条林太郎を失脚させ、労働党つまり白金党を政権与党にし、自分の忠実な部下である議員を総理の座に置くこと。要するに日本の乗っ取り計画である。

 鷹条宮美の軟禁されたマンションは歩哨(ほしょう)が二十四時間巡回していて隙がなかったが、どんなところで暮らしていても食糧や日用品の補給は必須。アルマの虫型ドローンによってマンションの構造や彼女の生活状況、警備員の数や動きなどはすぐに把握できた。定期的に黒いスーツ姿の男たちが二、三人やってきて物資を届けているようだったので、彼らのひとりになりすまし、ぼくは簡単に彼女の部屋に潜入した。

 鷹条宮美の部屋は十三階にあり、玄関付近には警備がいなかった。そして部屋に入るやいなや、ぼくは一緒に物資を運んできた黒服に麻酔針を挿して眠らせ、部屋の奥へと連れこんだ。

「おい。何をしてるんだ、田中。貴様」

 恰幅(かっぷく)のいいスーツ姿の中年男性が、見た眼に反した俊敏な動きでぼくの(えり)もとに手を伸ばしてきたが、ぼくが華麗なる体捌(たいさば)きで背後へと回りこみ、首もとに麻酔針を挿しこんだ直後、彼は卒倒した。なお、田中というのはぼくが変装している黒服(オリジナル)の名前。

「だ、誰」

 リビングの奥の方で女性の声がしたので行ってみると、黒いロングヘアのパジャマ姿の女性が、ソファに座りながらこちらを見ていた。映画鑑賞の最中だったのか、テレビにはあの有名なSF映画スターフォースが流れていた。ちょうどクライマックスシーンだったようで、視聴を中断させてしまい何だか申しわけない気持ちになった。ぼくもファンなので。

「田中さん。あなた、何を」

 ぼくは顔に貼りつけたマスクをべりべりと()がし、(かつら)をとった。()えない角刈りの青年が、純白の肌と流れる白銀の髪が美しい眉目秀麗(びもくしゅうれい)なる貴公子に変身した。現状把握が追いついていないのか、鷹条宮美の《時》は数瞬ほど停止していたようだった。

「はじめまして。鷹条宮美さん。ぼくの名前は白金ヒデル。白金機関のエージェントだ。お父上に君が幽閉されていると聞いて、助けにきた」

「白金」ぼくの名前を聞いた鷹条宮美は、ますます警戒色を強めた。

「そう。愛国党総裁である君のお父様から見たら、政敵とも言える一派だ。それともこう言うべきかな。秘密結社ヘリオス日本支部の長、と」

「ヘリオス……?」

 鷹条宮美は怪訝(けげん)そうに眉を(ひそ)めた。

 実の娘と言えど、さすがにそちらの顔までは知らなかったようだ。

 ぼくは輪舞曲(ワルツ)を踊るように華麗な仕草で懐から赤い薔薇(ばら)の花を取りだすと、鷹条宮美に進呈した。なお彼女の手を傷つけぬよう(とげ)のないスムースベルベット。

「あげるよ。君のような可憐(かれん)()には、やはり薔薇がよく似合う。そう警戒しないでほしいな。怪しい者じゃない」

「怪しいじゃないですか。いきなり侵入してきて、大沢さんにあんなことをしておいて。彼は柔道五段ですよ。一体何なんですか、あなたは。早く出ていってください。警察を呼びますよ」

 ただひとりの護衛(柔道五段)を瞬時に無力化したというのに、鷹条宮美は怯える様子もなく毅然(きぜん)とそう言い放ち、スマートフォンではなく今どき珍しい折りたたみ式の携帯電話(ガラケー)を手にとり、広げた。

「騒ぎにはしないでほしい。ぼくは君を(さら)いにきたわけでも、殺しにきたわけでもない。君の護衛にも怪我ひとつさせてないよ。(しび)れ薬の効能で何時間かは動けないけどね。ぼくは君とちょっとお話をしに来ただけ。君に聞きたいことがあってね。それを聞いたら、おとなしく帰るよ」

 今日のところはね、と、ぼくは胸の中で付け加えた。

「聞きたいこととは何でしょう」

 鷹条宮美は澄ました態度を崩さずにそう訊いた。なるほど、あの文冬事件を起こすだけあってなかなか肝が据わっている、と、ぼくは感心した。

「君は、お父様が総理大臣に相応しいと思っているかい」

「いいえ」

 鷹条宮美は、即座に否定した。

「どうしてそう思うのかな」

「お父様がこれまでしてきたことを考えれば、とだけ言っておきます」

 ぼくがわかりきったことを訊いたせいか、彼女は説明するのも面倒と言いたげにため息まじりにそう言った。早くぼくを追い返してスターフォースの続きが観たいのかもしれない。

「そう。君のお父様、鷹条林太郎は自分に逆らう者に抵抗勢力、反逆者というレッテルを貼り、暴力団を使って排除し、アメリカの支配層に日本国民の富を献上し、他にも日本人の益にならない数々の売国政策を実現してきた。そして愛国法を可決して国家保安委員会を創設し、監視と情報統制によって民主主義を殺した大罪人だ」

 鷹条宮美は特に否定はしなかった。「そのとおりです」

 ぼくは少し挑発気味に言った。「わかっていて、よく平気でいられるね」

 彼女は口調こそ冷静だったが、わずかに眉根を寄せて反論した。「平気でいられるわけがないでしょう。お父様が勝手にやったことだから私には関係ない、とは思いません。私は父の悪行を止めるためにいくつか手を打ちました。何度も彼の説得を試みましたし、父の悪行を告発するために新聞に投書したり、週刊誌からの取材に応じたりもしました。その結果、こうなりました」

 鷹条宮美が週刊文冬で公表した話は国会でも取りあげられたことがあるが、告発だけで物証はなく、鷹条総理は野党側の追及を一蹴、さらに名誉毀損(きそん)で文冬を訴え、雑誌を回収させ、莫大な賠償金を払わせ、廃刊へと追いこんだ。以後文冬や他の週刊誌、新聞も及び腰になり、鷹条宮美の投書は《魔女の手紙》と揶揄(やゆ)され、マスコミ関係者からは相手にされなくなったと聞いている。

 ぼくは片眉を上げ、皮肉るように言った。「ずいぶんとアナログなやり方だね。君、もしかして電子機器だめな人? そんなの、君の知名度を利用してSNSとか動画投稿サイトで暴露すれば一気に騒ぎになるのに。それとも政府に掌握されている日本のメディアとは違って、情報が簡単に世界中に拡散されてしまうインターネット上での投稿はさすがにまずいと思ったのかな。まあ無理もないけどね。外交問題に発展するリスクもあるし。その投稿ひとつで、日本の未来が大きく変わってしまうかもしれない。しかも、それがいい方向に動くとは限らない。秩序のない正義の国家と秩序ある不正義の国家、どちらが国民の益になるかと言えば、おそらく後者であるとぼくは考える」

 鷹条宮美は今度はすかさず眉毛をつりあげ、ヒステリックに叫んだ。「不正義の独裁者が民を幸せにするなんて、暴論です。そんなことはありえない。統治するのが人である以上は。力というものは、手にした人間を容易(たやす)く変えてしまう。あなたの想像している以上にです。私はその最たる例を、身近で見てきました。お父様とて、政治家として()けだしの頃は、日本を強く美しい国にしたいと、願っていたんです」

 ぼくは肩を(すく)めて言った。「ふむ。少し脱線してしまったか。まあ、ぼくの勝手な意見だと思ってほしい。閑話休題(かんわきゅうだい)、ぼくは現状を変える建設的な議論をしにきたんだった。そしてそれは、君の利益にもなるだろう。まず聞かせてほしいな。この現状を打破するプランは、何かあるのかい。差し支えなければ、教えてもらえないかな。できることなら協力したい。君はぼくたちをただ利用すればいい」

 鷹条宮美は首を横に振り、ふてくされたように言った。「脱走も考えましたが、もし着の身着のまま脱出に成功したところで、頼る宛もありませんね」

 ぼくはすかさず提案した。「なら、我々が君を保護しよう」

「いきなり侵入してきたあなたを信用しろ、と?」

 ここにきて初めて彼女の顔が不安に引き()った。そのまま続けた。「そもそも、私のような非力な人間に、一体あなたは何を期待しているんですか。私は所詮、お父様に飼われているだけの(かご)の鳥に過ぎません。お父様を止めるだけの何かを掴んでいるわけでもありませんし、私に協力した文冬は廃刊に追いやられました。お父様の権力を甘く見ないことです。私を利用しようとしても無駄ですよ。何の役にも立てません。残念でしたね。わかったら、早々にお帰りくださいませ」

 もはや心のどこかで父への抵抗を諦めてしまっているのか、彼女はソファに転がっていたクッションに顔を(うず)め、リモコンのボタンを押した。静止していたテレビの中の黒い甲冑(かっちゅう)に身を包んだ大男が、赤く輝く光の剣をふたたび振りはじめた。

 人心掌握術や交渉術の類は専門の講師からひと通り教わったが、ぼくにはまだ経験が不足しているようだ。姉さんのようにうまくはいかない。

「ぼくにはそうは見えないね。君は無限の可能性を秘めた、ダイヤの原石だ」

 いきなりぼくが()め殺しにかかると、鷹条宮美は意外そうに眼を見開いたが、すぐに眼を伏せてしまった。「もうお世辞はけっこうです」

 ぼくは眉尻を下げてため息まじりに言った。「そうかい。残念だ。君は日本の現状を変えうるだけの力を持っている。これはお世辞なんかじゃないよ。だからぼくはこうしてここにいる。文冬には成し得なかった君の《活かし方》をぼくたちは知っているし、実際にそれをやるだけの力もある。しかし無理強いはできない。君が自らの意志で、ぼくたちに協力してくれなければ意味がないんだ。今日はこのへんで帰ることにしよう。またそのうち会いに来るよ、(うるわ)しきお嬢さん。それでは良い夢を。アディオス」

 ぼくはリビングの窓を開け、そのままベランダの手すりに手をかけた。

「ちょっと。ここ十三階ですよ」彼女が慌てて叫んだ。

「心配してくれたのかい。ありがとう」

 ぼくは笑顔で鷹条宮美に親指を立てた。

 そして徐々にばたばたと聴こえてくる、ヘリコプターのローター音。

 ポケットの中から小さな拳銃を取りだし、何もないはずの天空へ向けて引金を引くと、銃口からフックの付いたワイヤーが飛び出した。

 それはいつの間にか空中で待機していたヘリコプターの脚に巻きついた。直後ヘリコプターは高度を上げ、ぼくは彼女の眼の前から姿を消した。

「ヒデくうーん。いくら美人だからって、女子高生を口説くなんて感心しないなあ。アルちゃんに言っちゃうよ」操縦席にいた雲母(きらら)がぼくに言った。

「いや。何度も言ってますが、アルマとはそういう関係じゃなくてですね」

「じゃあ、星子ちゃん」

「星子は妹ですよ」

「でも、血はつながってないんでしょ」

「そうだけど、ちがいます」

「じゃあ、ま、まさかの、私ぃ?」

「だまれロリババア」

 そんな軽口をたたきながら、ぼくたちは白金タワーまで無事に帰投した。

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