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八 告白タイム

 手渡されたメモには曲のタイトルが書かれていた。オーバー・ザ・レインボウの『ホーリー・ナイト』。イブの夜に好きな人を思う気持ちを歌う曲だ。

 彼女には自分とは別に、イブを過ごす恋人がいる。彼よりも早く出会っていたら自分のものにできたのに――。

 届くことのない想いを歌った切ないバラードだ。

 耳になじんだ曲から、沙樹は友也の想いを連想した。これをBGMにして、何を語るつもりなのだろう。

「うっ」

 胃が急に痛み始め、沙樹は左手で抑えた。きりきりと刺すようなこれは、良くないことが起こる前ぶれだ。友也の思惑がはかりきれないだけに、不安ばかりが膨らんでいく。

 指定された曲の入ったアルバムを手にして、沙樹はスタジオに戻った。和泉に友也からの要望を伝え、時間までメッセージの選択やリクエストを整理する仕事をこなした。

 たくさん流れるクリスマスソングは、キリストの生誕を讃えるものが多いが、片思いの気持ちを歌ったものも多い。

 届くことのなかった思いを胸に、イブをひとりで過ごす。聖なる夜に切ない気持ちが伝わることを祈る。凍える季節だからこそ、人の温もりが恋しくなるのかもしれない。

 番組は順調に進んでいる。切ない曲と軽快なトークの微妙なバランスを保ちつつ、友也は語る。電話でリスナーと話したときも、友也は相手の良さを上手く引き出していた。そして時刻はあっという間に四時を迎えた。

 沙樹は友也に指示された通りに、オーバー・ザ・レインボウの『ホーリー・ナイト』を流し始めた。

 アコースティック・ギターを弾くのはワタルだ。シンプルな演奏が感情表現を押さえたボーカルを引き立て、深みのある曲になっている。今日のライブでも演奏するだろう。

 沙樹は目を閉じて、オーバー・ザ・レインボウのライブを思い浮かべていた。

『今夜、好きな人に想いを伝えようと心に決めてる人、上手く行くことを祈ってます。途中で怯むことなく、気持ちを相手に伝えてください。受け止めてもらえなくても、人を好きになったその気持ちを大切にしてください。そしてふたりでイブを迎える人たちは、特別な夜に素敵な思い出を作ってください』

 友也のMCが入る。送られてきたメッセージには、どれもクリスマスにまつわるエピソードがぎっしり詰まっていた。微笑ましいものから涙ぐましいものまで、人の数だけストーリーがある。

 ワンコーラスが終わり間奏に入ったところで、友也が音量を下げてしゃべり始めた。

『今からは、おれの告白タイムです』

 いったん言葉を切り、ガラスの向こうから沙樹を見据える。

 プロポーズしてきたときと同じ、まっすぐな目だ。

 沙樹はビートの激しい音楽を耳にしたときにも似た衝撃を感じた。

『おれは今、仕事仲間に好きな人がいます。でも彼女には彼氏がいる。そんな人を好きになりました。悲しいだろ』

「ええ? なんですって?」

 公共の電波に乗せた突然の告白に、沙樹は全身が硬直して息をするのも忘れそうになった。和泉を初めとするスタッフが一斉に沙樹を振り返る。ふたりが普段から親しくしているのを知っているからだ。

「トミーくんの好きな人って西田か? でもおまえさんに彼氏はいないよな」

 ガラスの向こうにいる友也をちらちらと見つつ、和泉が沙樹に問いかけた。

「そ、そうですね。誰のことを言ってるんでしょうね、DJトミーは」

 ワタルとのことがバレると困るので、沙樹は彼氏がいないことにしている。友也に打ち明けたときも「絶対に誰にも言わないで」と念押しした。そんな最上級のシークレットを、よりによって不特定多数に発表するとは。

 名指しされていないのを幸いに、自分のことではないと白を切るしかない。

『その彼氏は仕事を優先させて、いつも彼女に寂しい思いをさせています。だから昨日おれは、相手の男と電話で話しました。彼女のことが本当に好きで誰にも渡したくないのなら、今日の特番が終わるころ彼女を迎えに来い。もし来なかったら、そのときはおれが彼女をもらうってね』

 友也は沙樹に向かって親指を立て、ウィンクした。

「やっぱり西田なのか?」

「あの、それは……」

 和泉の問いかけにイエスともノートも答えられず、沙樹は引きつった笑いを浮かべる。

「冗談じゃない。電波に乗せる前に、どうして一言相談してくれないのよ」

 自分には関係のない話だとごまかそうにも、すべてが後手に回ってしまった。

 友也が好きな女性が自分というだけなら、適当に話をあわせればよい。だが知られてはならない恋人の存在を、リスナーに暴露されてしまった。

 相手の名前は何が何でも隠し通す。万が一ワタルまでたどり着かれては、ごめんなさいでは終わらない。事務所の方針やバンドへの影響を考えると「うふふ、ばれちゃいました」などというレベルでは済まされないのだ。数年もの努力が水の泡になってしまう。

 沙樹は和泉に問いつめられる前にこっそりとスタジオの扉を開けた。

「あ、来た来た」

「え? 裕美にみんなも……何でここに?」

 廊下には、数人の社員が野次馬根性丸出しで集まっていた。

「DJトミーをふった女性って沙樹のことよね。あんた彼氏いたの?」

 同期入社でアナウンサーの裕美が嬉々として問いかけた。

「あ、いや。そのことは……」

「あたしね、前々から沙樹には彼氏がいるんじゃないかって思ってたのよ。あれだけ大々的に暴露されたんだから、観念して白状しなさいって」

「え、ええと、あの、あたしやっぱり中に用があるから」

「番組終わったら、じっくり聞かせてよね。彼氏が来るかどうか、あたしも一緒に待つから」

 沙樹には裕美が芸能レポーターに見えた。芸能人はこれよりも遥かに厳しい質問攻めにあっているのだろう。極力避けたいという気持ちがおぼろげながら解る。

 同僚たちからの追求を逃れるために、沙樹は回れ右をしてスタジオに戻った。だがここでも、興味を抑えきれないスタッフが何か言いたげな視線を向ける。

 沙樹は身の置き場がなくなってしまった。

『みんな、おれを応援してください。上手く行くように祈ってくれ!』

 最後のシャウトにあわせてサビの部分が入る。見事に計算されたMCだ。続いてポップな洋楽を流し始めると、友也はDJブースから出てきて沙樹の正面に立った。

「ということだ。逃げるなよ」

 沙樹が何か言い返そうとしたそのとき、パソコンでメッセージをチェックしていたADが叫んだ。

「伝言板にメール、SNSの書き込みが集中してます。ものすごい数ですよ。今までの記録を更新するかもしれません」

 和泉がディスプレイを覗き込み、指を鳴らした。

「ほう、ほとんどが応援メッセージだな。これはおもしろくなってきたぞ」

 読むのが追いつかないスピードで、画面がスクロールする。次々と送られてくるエールに沙樹は目眩がしそうになった。

 この騒ぎはワタルたちの耳に入っただろうか。リハーサルが終わって本番前の休憩中なら、ラジオを聴いている可能性は十分ある。

 大反響に興奮するみんなの姿を別世界の出来事のように感じながら、沙樹は呆然と立ちすくんでいた。



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