【旧版】キミの来ないクリスマスイブ

二 予想外の場所で

「ちょっと、話が違うんじゃない」

「気にすんなって。たまにはこういう店もいいだろ」

　ファミリーレストランか居酒屋に行くだろうという沙樹の予想は外れ、フランス料理店に連れてこられた。グルメに縁がなくても一度は名前を耳にする超有名な店だ。友也は、ドレスコードはないと言うが、それも怪しい。仕事帰りの格好ではそぐわないような気がして、座っているのも苦痛だ。

「いくらなんでも場違いじゃないの？」

「心配するなって。実はここ、友達の店なのさ。だからいろいろと融通が利くんだぜ」

　友也は手を挙げてソムリエを呼び、食前酒を選び始めた。親しげに話しているところを見ると、この人が友人なのだろう。

「だからって仕事の相談くらいで、どうしてここを選ぶわけ。いつもの居酒屋で十分じゃない」

　ソムリエがいなくなってから、沙樹は小声で話した。

「ドンマイ、ドンマイ。ここはおれがおごるからさ」

「そういうこと言ってんじゃないの」

「細かいことは気にしなくていいから。とりあえず乾杯しようぜ」

　ほどなくして食前酒が運ばれ、友也がグラスを軽く持ち上げた。テーブルマナーの解らない沙樹は、ぎこちないながらもそれに倣う。緊張しながら飲むと、口の中で泡が弾けた。ほどよい辛さのスパークリングワインだ。

　友也がソムリエと相談して、料理のコースやそれに合うワインを選んでいる。手慣れた様子が頼もしい。その姿と適度なアルコールが沙樹の緊張をほぐし、あたりを見回す余裕が生まれた。

　やや落としたオレンジ色の照明が店内をセピア色に染めて、高級な中にも落ち着いた雰囲気をかもし出している。店の一角には大きなクリスマスツリーが飾られ、ＢＧＭにジャズアレンジされたクリスマスソングが流れている。スタンダードナンバーが解り始めた沙樹には、耳になじんだ曲たちが心地よい。

「いい選曲だろ。おれも沙樹の影響でジャズを聴くようになったせいか、専門番組を作りたくなってんだ」

「仕事の相談ってそれ？　だったらこんな演出必要ないのに」

「それがあるんだよ。特別な場所が刺激になって、思いがけずアイディアが出るんだ。それを一緒に体験してほしかったのさ」

　アーティストと呼ばれる人たちは、一般人がしないような行動を取ることがある。出ないアイディアに痺れを切らし突然海外に脱出するものや、役作りのために雪の中を薄着で一晩過ごそうとするものなどが沙樹の知り合いにもいる。自分たちを「非日常」という不安定な状態に置くことで、ぎりぎりの中から生まれるものを求めている。それと比べたら友也の行為は、贅(ぜい)を尽くしただけだ。

　だが追い込み方は千差万別だから、友也のやりかたを否定はしない。ただその場所に自分が立ち合わなければならない理由は解らなかった。

　それでも料理とワインを楽しんでいると、いつものように話題は音楽のことになる。

「あたし最近思うの。自分に創造力や表現力があったら、ミュージシャン目指したかったかもしれないって。でもそれができないから、届ける方の仕事を選んだのよね」

「おれも同じさ。ひとりでも多くの人に音楽の魅力を伝えたくて、ＤＪやってるんだもんな」

「解ってくれるの？　嬉しい」

　同じ届ける側として、友也とは思いが共有できる。好きな音楽も似ているし年齢も近いので、親近感を覚える。

「おれも昔はミュージシャンになりたかったんだ。学生時代はギター弾いてたんだぜ」

「ギターを？」

　沙樹の脳裏にワタルの顔が浮かんだ。

「友也の弾いてるところ、見たいな」

「マジかよ？　じゃあ次の番組のとき、お気に入りのギターを持ってくるぜ」

「そうだ。これ番組で話したら？　ＤＪトミーとバンドやろうぜってね」

　喜んでくれるかと思いきや、急に友也は目を伏せて小さくため息をついた。

「沙樹の気持ちは嬉しいけど、おれにはそっちの才能はないんだよ」

「趣味に才能は関係ないよ。気の合う仲間とバンドが組めたら、それだけで楽しいじゃない」

「ああ、その通りなんだよな。くそっ、諦めたあこがれを思い出しちまったよ」

　友也はなかば悔しそうにつぶやく。沙樹は、無邪気にはしゃぎ過ぎた自分に気がついた。

「ごめんなさい。友也の気持ちを考えなくて……」

「気にすんなって。ギターを弾くとこ見たいって言ってくれたのは嬉しかったんだぜ」

「そうなの……？」

「ああ。だから笑ってくれよ。おれ、沙樹の暗い顔を見るのはつらいからさ」

　友也は沙樹に向かって手を伸ばしかけ、慌てて引っ込めると、グラスに残ったワインを飲み干した。

　テーブルに飾られたキャンドルが炎を揺らす。

「沙樹……あの……」

　友也は真顔になり、口を開きかけた。空気が張り詰める。

「そ、それよりさっき話してたジャズの番組だけど……」

　沙樹は慌てて、やや強引に会話を仕事絡みに誘導した。友也が軽くため息をつくが、意識して気に止めないようにする。

　せっかく築き上げた今の距離感を崩したくなかった。

　だがそれは甘い考えに過ぎない。誘いに応じた時点で、引き返すことのできない道に進んでいた。

　食後のデザートに、きれいに飾りつけされたケーキとコーヒーが運ばれて来た。

「仕事の相談って言ってたけど、結局何も話せなかったね」

「え、おれそんなこと言ったっけ」

「言ったよ。忘れたの？」

　友也は豪快にハハッと笑う。その態度が鼻についた沙樹は、紛らわせようとコーヒーを一口飲んだ。

「相談とは言ったけど、仕事とは言わなかった」

　そうだったかなと考えてみたが、細かいところまでは思い出せない。

「じゃあ改めて。相談って何？」

　沙樹はいすに座り直し、姿勢を正して友也を見据えた。

「いや、誘うための口実なんて忘れちまったよ」

　友也はそれだけ言うと沙樹から視線を外した。ときどき唇を真一文字にしめる仕草をしながら、手元のデザートを見るでもなく見ている。

　やがて小さな深呼吸をしたあとで沙樹を見つめた。

　張りつめた空気が全身にまとわりつく。

「好きだ。結婚を前提におれとつきあってくれ」

　ナット・キング・コールのボーカルで有名なザ・クリスマス・ソングのピアノアレンジが、店内に優しく響いている。

友也の肩越しに見えるツリーのイルミネーションは、穏やかなリズムでウィンクを繰り返していた。