十一 ワタルの想い
沙樹はワタルに連れられてコンサート会場に行った。帰りを待っていたバンドメンバーは、沙樹たちの出現に気づくなり、一斉に取り囲んでもみくちゃにしてきた。
「おめでとう!」と口々に歓迎する一方で、スタッフたちは次々とクラッカーを鳴らす。気が置けない仲間に囲まれているにもかかわらず、沙樹は自分が中心にいることになれなくて、つい下を向いた。
「西田さん、やっとこれで隠れずにすむよな。本当によかったよ」
ボーカルの得能哲哉が自分のことのように喜んでくれた。大っぴらにできない交際を一番気にかけてくれたのは、ほかでもない哲哉だ。
「ワタルがいなくなったあとのアンコール、異常な盛り上がりだったんだぜ。もう予定の曲だけじゃ終われなくて大変だったよ」
言葉とは裏腹に満面の笑みを浮かべ、哲哉が今日の動きを教えてくれた。
アンコールの冒頭で哲哉とワタルが連携し、ファンの前で沙樹のことを発表した。友也からの挑戦状を説明すると、ファンたちはみな口々に「彼女のもとに行け」と背中を押してくれた。
みんなの歓声に送られてステージを降りたワタルは、アンコールをサポートメンバーに引き継ぎ、局まで車を走らせたのだという。
ファンの前で交際宣言をすることは、一月ほど前に計画されていた。沙樹の耳に入らなかったのは、サプライズをねらったからだ。ただしアンコールを途中で抜け出すことは、予定外だった。
「今ごろネットじゃ大騒ぎさ。芸能ニュースのトップになるし、ライブに来てた人たちは一斉にSNSに書き込んでる。しばらくは身の回りが騒がしくなるだろうな」
哲哉がスマートフォンにSNSを表示させ、今の状況を確認してくれた。
「今回の件に関しては、事務所やレコード会社もやっと許可してくれたからね。ずいぶん時間がかかったよ」
沙樹の知らないところで、ワタルはできることを進めていた。焦る必要も迷う必要もなかった。言葉に出さなくとも、沙樹の気持ちを理解してくれている。
「ワタルがここまで必死になったのは、それなりの訳があるんだ。西田さん、解る?」
哲哉がにやにやしながら訪ねる。いくら考えても沙樹には心当たりがない。
「あっ、待てっ」
ワタルは慌てて哲哉の口をふさごうとした。が、それをするりと抜ける。
「嫉妬したんだとさ。トミーさんの出現に、ワタルも相当焦ってたんだぜ」
「嘘みたい……」
「こら、哲哉。なんでもかんでもバラすんじゃないっ」
いつもはスマートに物事を運ばせるワタルが、珍しく焦っている。笑いに包まれた控え室で流れるクリスマスソングは、オーバー・ザ・レインボウの演奏だった。アンコールで演奏する曲を、練習のときに録音したものだ。
大好きな仲間たちの奏でる音楽が、沙樹の心をほんのりと暖めた。
「そんなことより早く行かないと、予約の時間が過ぎちまうぜ」
哲哉は壁の時計を指差した。
「本当だ。もう時間に追われるのはこりごりだよ」
「どこかに行くの?」
「そうだよ。ライブのあとに会おうって約束しただろ」
ワタルは沙樹の手をつかみ、楽屋の扉を開けた。
「健闘を祈るぜっ」
ワタルは哲哉の応援に応えるように、右手を挙げた。
みんなに見送られてライブ会場をあとにしたワタルは、ホテルの最上階にあるバーに沙樹を連れてきた。見下ろす夜景は地上にちりばめられたダイアモンドを思わせる。無数のきらめきがはてしなく続く。夜を忘れた都会が見せる、優しくも美しい光の饗宴だ。
長時間の特番と急転直下の出来事で、今日はめまぐるしい一日だった。心身共にすっかり疲れていた沙樹だったが、絶えることなくきらめき続ける夜景が、少しずつ癒してくれる。
「お待たせしました」
五十代くらいのロマンスグレーで背の高いマスターが、マルガリータを運んできた。
テキーラベースでソルト・スノー・スタイルのカクテルだ。一口飲むと涙の味がしたのは、このカクテルが持つ物語のせいかもしれない。ほろ苦く切ないそれは、今日にいたるまでの長い道のりを思い出させる。沙樹はもう一度夜景を見下ろし、ワタルと歩んできた日々を心に浮かべた。
ここでも流れているのは、ナット・キング・コールのザ・クリスマス・ソングだ。ピアノの生演奏が静かに店内を彩る。
「メリー・クリスマス。プレゼント、受け取ってもらえるかな」
「あ、ごめんなさい……昨日あんなことがあったから、あたし部屋に置いてきちゃった」
「いいよ、そんなこと。それよりこれ、気に入ってくれるといいけど」
ワタルが手元にあるケースのふたを開ける。中身を見て、沙樹は息を飲んだ。
プラチナリングにダイアモンドの粒があしらわれた指輪が入っている。それがキャンドルの炎を反射してきらきらと輝いている。
これの意味は、沙樹の解釈で正しいだろうか。先回りし過ぎて取り違えてはいないだろうか。
期待と喜びより先に、不安が出てきた。親友の結婚話に影響されて早とちりしたのでは、あまりにも自分が情けない。かといって、ストレートに確認するのも気が引ける。
沙樹はほんの少し考えて、ようやく言葉を見つけた。
「どの指にはめたらいいの?」
ワタルは即答せずに口元に笑みを浮かべた。
「どこだと思う?」
「解らない。……教えて」
沙樹は両手を広げてテーブルの上におき、それをじっと見つめる。怖くてこれ以上ワタルの顔を見ていられない。
胸の鼓動が激しく頬が熱くなったのは、強いカクテルの影響だろうか。
ワタルの指が右手の小指に触れた。ひとつずつ慈しむように順番に触れていく。そして左手を薬指に来たときに、動きが止まった。
沙樹は小さく微笑んで目を閉じる。
「やっぱ、ここしかないか」
ワタルは沙樹の手を取り、左の薬指にリングをはめた。いつの間にサイズを調べたのだろう。それは沙樹の薬指に自然なくらいなじんだ。
「今までずっと待たせてごめん。仕事の都合で今すぐにって訳にはいかない。でもそんなに時間は取らせない。だから――」
「……だから?」
「沙樹、おれと結婚してください」
沙樹はそのあとのことをよく覚えていない。自分がなんと返事をしたのか、それすら記憶が曖昧だ。お酒に酔っていたからではなく、大きく動き出した波に飲まれてしまい、何がなんだか解らなくなってしまった。
そんな中で覚えているのは、返事を伝えたときのワタルの表情だ。珍しく緊張し、口元をきゅっと閉じていた。沙樹の声を聞いたとたん、頬が紅潮したかと思うと、満面の笑みに変わった。それなのになぜだろう。自分の瞳からは涙のしずくが落ちてきた。笑おうと努力しても、次々と溢れて止まらない。
店の照明が少し落とされた。店内がセピア色に染まり、夜景が輝きをます。カウンターを見ると、マスターが優しく頷いた。沙樹の泣き顔に気づいたマスターの粋な計らいだ。
ジャズアレンジされたクリスマスソングが、店内に響き渡った。
クリスマスイブに一緒に聴くことのできなかった優しい曲たちを、今年もそして来年も、これからはずっとふたりで耳を傾けられる。
誰もが慈悲深くなる夜に、幸せを噛み締める。突然のプロポーズは、赤い服を着て白いひげを生やしたおじいさんからの贈り物に違いない。
明日からの日々は、今まで以上に大切な時間となって沙樹を迎え入れてくれるだろう。
ひとりで過ごすイブは、終わりを告げた。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
なお、このお話をワタル視点で書いたものを投稿しました。
併せて呼んでいただけると嬉しいです。
アナザーサイドストーリーの『キミに会えないクリスマスイブ』をよろしくお願いします。




