一 親友からのメール
オーバー・ザ・レインボウシリーズのワンエピソードです。
他の作品を未読でも楽しんでいただけるように書いていますので、読んでいただけると嬉しいです。
昨日から続く今日が、そのまま明日に引き継がれるわけではない。
長すぎる春は、やがて終わりを告げる。
変化の兆しに気づくのは、些細なことがきっかけだ。西田沙樹の場合、親友の亜砂子から届いたメッセージが始まりだった。
街は緑と赤で彩られ、あちこちの商店街から軽快なクリスマスソングが流れている。そんな師走のある日のことだ。
昼休みも終わりに近づき、沙樹が午後からの会議に向けて資料を準備していると、デスクに置いたスマートフォンが鳴った。
いつものメールマガジンだと思いつつ画面を確認すると、高校時代からの親友である亜砂子からメールが届いている。こんな時間に珍しいと思いつつメールを開いたとたん、「ええっ?」と声が出た。
『あたし結婚するよ。一月二十二日の日曜日。沙樹も出席してね!』
「嘘、今は十二月でしょ。てことは一か月後なの?」
ドッキリを疑いつつメッセージを読み返していると、別の友人から『出来婚だって』と詳細を語るメールが届いた。
春先に彼氏から別れを告げられた亜砂子は「これからの人生は仕事に生きる」と泣きながら決意した。ここまでは沙樹も知っている。その後、夏に配属された新人男子といい仲になり、恋に生きる女性となったそうだ。
「いつの間にこんなことになってたんだろ」
沙樹はファイルを準備する手を止め、ほかの友人に思いを巡らせる。
二十八歳を迎えた今年、まわりは結婚ラッシュだ。三十歳までに子供を産みたければ、今が駆け込みどきとあって、ゴールインした女友達は片手で数え切れない。そんな環境の中で、亜砂子は数少ない独身で、仕事に生きる仲間だった。なのにいきなり結婚とは。
一息入れて、頭を整理すべく手元のコーヒーを飲んだところ、すっかり冷めて口の中に苦みが残った。
沙樹は無意識のうちにスマートフォンのメーラーを起動し、北島ワタルからのメッセージを開いた。毎日届くそれは、おはようやお休みといった他愛のないものばかりだ。それでも沙樹は、なかなか会えない恋人との絆だと思い、大切にしている。
亜砂子のことをワタルに報告しようと文章を打ち込んだが、送信する前に思い直して削除した。結婚を催促するような気がし、プライドが邪魔をした。我ながら素直じゃないと自覚しつつ、スマートフォンの電源を切る。
ワタルとは学生時代から六〜七年のつきあいになる。だが結婚話は一度も出たことがない。彼の特殊な職業ゆえに仕方がないと割り切っていたが、亜砂子の話を聞いたとたん、長すぎる春に不安が生まれた。
「だめだめ、今は仕事が優先」
沙樹は首を振って気持ちを切り替えると、残ったコーヒーを一気に流し込み、ファイルを抱えて会議室に急いだ。
今日の打ち合わせは、一週間後に迫った特番についてだ。クリスマスとイブの二日に渡って放送される番組で、沙樹は初日のスタッフに名前を連ねている。FMラジオ局に就職して数年になるが、最近やっと番組を企画できるようになった。今回は上司の和泉がチーフを務める中で、三十分ほどのミニコーナーにアイディアが採用された。
沙樹が会議室に入ったとき、スタッフは半分くらい集まっていた。席につき資料に目を通していると、おはよっの元気な声とともに隣の席に人が座った。DJトミーこと仲谷友也、特番のパーソナリティだ。
「しけた面してんな。何かあったのか?」
「やだ。そんなに暗い顔してる?」
「狐が目の前で鳶に油揚げをさらわれたみたいだ」
「何それ?」
訳の解らないたとえにあきれながら、沙樹は資料をテーブルにおき、友也に視線を移した。
「さっき親友から『結婚する』ってメールが来たの。出来婚で来月に挙式だって。突然聞いたからびっくりだよ」
肩を落としてため息をつき、自分の知らないうちにここまで進んでいたことをぼやいた。
「ぎりぎりまで教えてもらえなかったんで落ち込んでるのか。きっとその彼女、数少ない独身仲間だからこそ、沙樹に打ち明けられなかったんじゃないか? 親友ならそれくらい察してやらなきゃ」
「そうかなあ」
沙樹は頬づえをつき、友也を横目で見た。
「それとも、沙樹も出来婚したいってのか? ならいつでも相手になるぜ。どうだ今夜あたり」
「ちょっと何よそれ。どうして友也とそうならなきゃいけないの?」
下ネタが苦手な沙樹は頬が赤くなるのを感じ、ごまかそうと膨れっ面をしてそっぽを向く。
「悪い悪い、ただのジョークだって」
「その手の冗談はお断りします」
「すまない、謝るから許してくれ。もう二度と言いませんっ」
両手をあわせて拝み倒す友也を見て、沙樹は「今回だけだよ」と苦笑した。安堵した友也は、資料をめくりながら続ける。
「話は戻るけど、時代が違うっつーても、おれたちくらいになると結婚を意識せざるを得ないんだよな。うちもお袋が『早く嫁さん連れて帰れ』ってうるせえんだよ」
ひとつ年上の友也も沙樹同様、身内からあれこれ言われているようだ。
「いずこも同じなのね」
沙樹が二度目のため息をつくと、同じタイミングで扉が開き、和泉が入ってきた。会議スタートの合図だ。
「なあ、確か今日は七時に上がれるよな」
「うん。友也の番組が終ったら、あたしも終わりだよ」
「じゃあ飯でも食いに行かないか。実は沙樹に相談したいことがあるんだ」
「……相談?」
沙樹は迷った。亜砂子のこともあって、今夜はワタルに会いたかった。
一方で友也の相談内容も気にかかる。自分を頼ってくれる友人を放ってはおけない。
即答しないでいると友也は遠慮したのか、
「予定があるのなら無理にとは」
と申し出を下げようとした。
いくら会いたくとも、ワタルは今仲間とともに仕事で地方にいる。迷ったところで意味がない。
「いいよ。特に用もないし」
誘いに応じると、友也は小さくガッツポーズをした。いったい何を相談したいのだろう。沙樹は中身を気にしつつ、ファイルから打ち合わせの資料を取り出した。