SAVE ME!? 2
王妃さまが妙な訛り全開ですが、気にしないでください。
「ねえねえ、お兄。ちーっと協力して欲しいことがあるんじゃけども」
「ん?急に改まって、一体何だ」
窓から吹き込む春風に光り輝く金の襟髪を揺らしながら、これ又金ぴかの左右の襟章も煌びやかな濃い群青色基調の軍服を上のボタンまできっちり着込んだお兄は、まるで御伽噺に出てくる王子さまのように文句なしにかっこ良い。
顔良し、家柄良し、性格良し、その上現在国一番の出世頭とくれば、見目麗しく家柄正しい未来の侯爵夫人候補が引きも切らず連日ワンサカと彼の前に長蛇の列を成すのも頷ける。いやあ、従妹としても鼻が高いね!
返事もせずに憧憬の眼差しでうっとりとその整った顔を穴が開く程見つめていると、お兄は白皙の頬をちょっと赤く染め、眉を曲げて小さく咳払いしながら「は、早く言いなさい」とどもりつつ、そっぽを向いてしまった。
うーん、涼しげな顔に似合わず相も変わらず照れ屋さんだなあ、お兄は。あ、だから二十四になった今でも独身なのかな。もてる割には、女の人との浮いた噂話ひとつ聞かないし。もうそろそろ身を固めてもいい年齢だと思うけど、好きな人とかいないのかな。
今度こっそり聞いてみようと密かに決め、わたしはお兄に侍女から聞いた噂話を元手にした王妃退任計画の全容を語り、協力を願い出た。
お兄は心底驚いた顔をして暫く黙っていたけれど、やがて苦笑混じりに承諾してくれた。
「わー、良かった!これで爾後は安泰だよお。ありがとの、お兄!」
喜びの余り、思わずお兄の手を両手でギュッと握り締めた。次の瞬間、お兄は耳まで真っ赤になった。
うわあ、茹蛸みたいだ。
物珍しさも手伝って身を乗り出しながらジッと見つめると、今にも泣き出しそうな顔になる。
普通の人なら情けなくしか見えない表情だけど、お兄の場合はそれも様になって見えるから不思議だ。やっぱり顔のいい人はどんな表情をしてもアリなんだな。味に欠ける平凡顔としては実に羨ましい限りだ。
でもこのまま湯気を出して気絶されては元も子もないので、わたしはそっとお兄の手を離した。
「これで、早けりゃ一週間後には愛しの我が家にカムバック!じゃな。四年振り、かあ……みんな元気かの?お爺、執事さん、今まで見捨てずにあんなボロ屋敷にいてくれてる心優しい侍女給仕の皆さん、もうちっと待っててちょ!わし、近い内に必ず家に戻るけえ!」
天高く拳を突き出し、鼻息も荒く決意を新たにする。
うん、天神地祇に誓って、絶対に這ってでも帰ってみせるぞ!オー!っと、まだお兄がいたんだった。変な奴と思われたかなあ。別にわたしは変人じゃないよ、嬉しさの余り、つい力が入っちゃっただけだものね。
「ほんとにありがとね、お兄。一国の王妃さまからただのド貧乏な男爵家のつまらん平凡な娘に戻っちゃうけども、良かったら今までみたく――んにゃ、ほんのちょっこしでもいいから、これからも宜しゅうしてくりょ。……嫌なら、別に無理にとは言わんけどさ」
「な、嫌だなんて、そんなことはない!勿論、今後とも喜んで伺わせて貰うよ」
「……ほんとかね。嫌なら、遠慮せずに言ってくれて構わんよ」
「本当だ!何なら法王庁から誓約書を貰って、君の家に毎日立ち寄ると書いてもいい」
頬を染め、ムキになって言い募るお兄は、わたしより四つも年上の、しかもとびきり男前な大人の人なのに、まるで聞かん気のない子どもだ。しかも誓約書なんて、言うに事欠いてとんでもないものを持ち出したなあ。この国でその紙切れ一枚がどれ程重要な意味を持つのか判らない訳じゃあるまいに。必死過ぎる。
実は、この優秀で、でも少々生真面目過ぎる従兄をこうやってからかうのが子どもの頃からのささやかな楽しみだったりする。自分でもちょっと歪んでるかなーとは思うけど、決して僻んでる訳ではない。
「や、そこまでしてくれんでも、お兄の気持ちはちゃんと判っちょるから。ゴメン、ゴメン。お兄はほんとに優しいから、ついついちーとばかし悪戯したくなるんじゃ」
「…慰めになっていない」
まだほんのりと赤い顔を拗ねたように顰めるお兄。
本人にとっては頗る不名誉だろうけど、これが又何とも言えず可愛いんだよなあ。思わずギューッと抱き締めてグリグリ頭を撫で回したくなるくらいの可愛らしさだ(少なくとも、百九十センチ近い長身じゃなかったら、の話だけどね。わたしはと言うと、百五十五センチしかないどチビだし)。
いや、本当に、お兄のお嫁さんになる人が羨ましいよ。毎日グリグリ出来るんだから(しないか)。
「――お兄の嫁さんになる人はほんに幸せじゃろうのぉ」
「……え!?」
感慨深げに、それこそ懐古に耽る老人の如くしみじみと呟いた途端、物凄い勢いでお兄がこちらを振り向いた。
そんなに驚くことかね。正直な感想を言っただけなのに。
「お兄の嫁、かあ。いいなあ、嫁。ザ・嫁、いー響きだ。
……そだ!お兄、王妃降板が無事完了したらさ、そん時にはわしをお兄の嫁に貰ってくれんかね?」
「え!?え、え、え、」
碧の眼を白黒させるお兄はみるみる内に全身(服の下は見えないけど)を赤く染め上げ、激しく動揺して何度も「え」を連発した。や、やっぱり可愛い!グリグリしたいッ!
「にゃはは!冗談だって。四年間も他の男の妻を務めながら全く子種を孕まなんだわしを嫁にしてもええなんちゅー奇特な人なんておらんやろし、そもそも貧乏男爵家の一人娘ってだけでも厄介やのに、その上眼の覚めるような美人でもナイスバデーでも才知溢れる閨秀でも何でもない平々凡々な女なんか誰かてお断りじゃろうし。
ま、わしも一生独身でいたいけん、こっちとしても願ったり叶ったり、一石二鳥一挙両得の好事じゃ。わしゃこれからの人生は本に埋れて慎ましく過ごすぞ。
てなワケで、吃驚させてもうてゴメンよ、お兄」
「……そ、そうか。冗談、だよな……」
力なく笑うお兄の肩が、心なしかショボンと落ちているように見える。
これは、冗談とはいえ相当ショックだったんだろうなあ。お兄、責任感が人一倍強くてすんごくお人よしだから、どう断ればいいのか真剣に悩んだんだろう。いや、これは悪いことしちゃったよ。
「ゴメン、お兄。悪ふざけでも、もう絶対こんなこと言わんから、どうか許してちょ」
「…うん、いいんだ。本気じゃないってことくらい、おれも判ってるから……」
どことなく寂しげに俯きながらボソボソ呟くお兄。常に誇らしげに燦然と輝いている筈の両の肩章が今にも外れて落ちそうだ。
ありゃあ、これは本当にやり過ぎた。どうしよう。
掛けるべき言葉が見つからず、ただおろおろするばかりの情けないわたし。自分の安易なからかいが招いたこの事態に、無責任にも泣きたくなる。
その気配を察したのか、お兄は顔を上げて少し困ったように微笑みながら、宥めるように頭を撫でてくれた。
「――気にするな。気落ちしてるのはおれの勝手だから……」
「ふぇ?」
何のこっちゃ。一体どうしたんだ、お兄。言ってる意味が判らない。気落ちって何だ。
「…とにかく、おれはもう団に戻るよ。そろそろ時間なんでね。じゃ、又明日」
「? うん、明日も会おうの、お兄。……王妃退任の件、本当に宜しく頼むじょ」
「ああ、判ってるよ。父と祖父にはおれから話しておくから……じゃあ、な」
去り際、振り返ったお兄がわたしの真っ直ぐな額髪に軽く唇を落とす。わたしが王妃になってからお兄が部屋を訪れる度に欠かさず行ってきた、さようならの慣例儀式だ。
こうするようになってもう四年が経つが、未だにこっ恥ずかしくてしょうがない。こんな気障なことを何の恥ずかしげもなく涼しい顔でやってのけるのだから、やっぱりお兄は天性の女タラシだよ。やってる本人は全く自覚ないみたいだけどさ。
こういう何気ない所作が、お兄が無意識に女の人のハートをガッチリと鷲掴みにする一番のポイントなんだろうなあ、多分。
颯爽とした後ろ姿をボーッと見送りつつ、わたしは恐らく鮮やかな朱に染まっているであろう熱を帯びた頬を押さえてフーッと息を吐き出した。
―― その一部始終を、あろうことか開け放たれた部屋の窓の外から陛下が、この世の終わりのような愕然とした青い顔でご覧になっておられたなど露知らず。