尖閣諸島を実効支配するヤギの駆除
話は遡るが、竜宮城、即ち県営魚釣島ホテルと石垣マタハリホテルの建設着工から完成に至るまでの話をしておこう。
県営魚釣島ホテルと港湾施設の建設が決定してから五年がたつ。完成したのが二年前である。
一方石垣マタハリホテルの着工は四年半前であり一年の突貫工事で完成させた。県営魚釣島ホテルの建設や調査の関係者に定宿として提供されたのは一年半の間であるが、正也は雨宮との間で話が決まった直後から石垣入りしていた。尖閣調査団の非公式なアドバイザーとして石垣マタハリホテルが完成するまでの間何度も島に渡っている。
正也が参加したころには既にホテルと港の建設場所は決まっていたので、問題は野生化した山羊の駆除と山羊の食害で失われた自然を如何に取り戻すかといったところから始まった。
当初山羊の駆除が始まるとお決まりのように自然保護活動家が騒ぎ始めた。
魚釣島にヤギが持ちこまれたのは 一九七八年で、日本の民間政治団体によって雌雄各 一頭が与那国島から連れてこられ放逐された。領有権主張のための既成事実作りである。これ以前にも山羊が持ちこまれ野生化していたと言う話はあったが一九五四年の調査では一匹も見つからず何らかの理由で死滅したとの報告がなされた。恐らく密漁者の手にかかったのであろうが、一九七八年の持ちこみ以降は政治がらみの島とあってか密漁者も近づけなかったのである。おかげで一九九一年の上陸調査の際には島の南斜面だけで三〇〇頭以上の目視による確認がなされている。
『自然にあるは自然のままにしておくべきであり、人の手を一切加えるべきでない』これが狂信的自然保護団体の言い分であるが、東京都で増えすぎたカラスに関してもこの理屈で噛みついていた。一方これら団体に絡まれている行政側の言い分は、『人が作り上げた環境下にあってバランスの崩れた自然は人が管理すべし』であり、真っ向から争っていた。
魚釣島の山羊の駆除には正也も参加した。正也の本籍は東京都であるが、猟銃所持の免許を持ち、隣の神奈川県と出身地である大分県の猟友会に所属していた。
猪、鹿、猿による食害は全国を通じて酷いものである。一方かつては全国に二〇〇万人以上いた狩猟免許所持者は六〇万人前後にまで減っていた。過疎化、高齢化などが理由とされるが、猪撃ちのように複数でチームを組まなければならない猟では、新参者を嫌う地方の社会が新しい猟師を育てなかった。また近年の熊の出没の多さに対して報道は『気象の変化により山で食物が減り、また楢枯れでドングリの実が減り』などと毎年同じ理屈の報道をしているが、本当のところは数が増えているに他ならない。過疎化が進み山間の地でもかつては段々畑や口分田であったところが荒地となり雑木林となっている。野生動物とは言え、山の斜面より平らな土地の方が住みやすいのである。加えて猟師がいないとなれば個体数が増えるのは当たり前である。また猟師の嗜好も拍車をかけた。猪はそれなりに食べられていたのだが、シカ肉の味は長い間忘れられていた。従って『猪は旨いが鹿は不味い』これが定着し、加えて『猿は鉄砲で狙うと手を合わせて、撃たないで、って拝むからな』と、嘘か真かは分からないが大概の猟師はこの様に言う。今更マシラ(猿)の毛皮のニーズがあるわけではなし、人に似た顔つきの猿を撃つのは嫌なのである。
この様な事情の下、正也は山羊の駆除に関するメンバーの一員となった。当然狂信的自然保護団体から非難を受ける事となった。
正也は石垣入りしてから間もなくブログを立ち上げていた。『尖閣便り』と銘打った事でたちまちの内に来訪者があふれるようになった。石垣マタハリホテルの工事着工当初の話である。
来訪者にはまだ正也の立ち位置が見えていない。寄せられるコメントも遠慮がちな賛同、応援、遠慮がちな非難から始まった。
最初に炎上したのはブログに駆除した山羊の死体がアップされた時である。撃ち殺された山羊が五頭、波打ち際の海水の中に浸けられていた。島の数か所で湧水が流れ出している場所は確認されていたが山羊を浸けられる程の水たまりは無い。鹿や山羊の様な草食動物を撃つと先ずは水に浸けておき、自己分解酵素の働きを抑えるのが決まりだった。幸い冬場とあって亜熱帯でも水温は高くなかった。
1:追いすがりさん
この山羊どうするの
2:シナのナナシしさん
食べるんだよ
3:川越キルヒアイスさん
俺的には無理、無理無理こんなの食えねえ
4:ンータマーヌギルーさん
山羊は琉球では昔から精力絶倫になる食べ物でポピュラーだよん
5:ジュンとネネさん
美味しいの
6:ンータマーヌギルーさん
とっても臭い
7:ジュンとネネさん
じゃあ無理、無理無理・・
8:ンータマーヌギルーさん
お前食わなくても良い
9:スモールダディーさん
ヤギ肉をこのんで食ってる沖縄県人は平均で五人以上の子持ちだと言う説あり
10:ナマポッポさん
尼崎のホルモン焼きよりビンビンってかぁ~
11:緑豆さん
これは間違っている。野生化して生きている生き物を人間の都合で殺してはいけない
12:陰嚢恢恢さん
お前誰?
13:緑豆さん
自然にあるは自然のままにしておくべきであり、人の手を一切加えるべきでない
14:ンータマーヌギルーさん
誰、お前、自然保護団体のメンバー???
15:唯我独尊さん
魚釣島では数か所の湧水が確認されているが山羊の糞尿で水が汚れている。飲み水確保のためにも山羊の駆除は正しい
16:緑豆さん
もう何世代にも渡って住んでいたんだよ。それを人間の都合で殺すなんて残酷すぎるぅ~
17:防人よしりんさん
つまり魚釣島の実効支配者は山羊だった訳だ。で、殺したら阿寒のぉ
18:カカロットの父さん
国後、択捉もロス毛が数世代に渡って暮らし、実効支配している。こいつは実効支配者に譲れって言っているようだな
19:山の手ルサンチマンさん
尖閣は日本固有の領土です
ブログの文章がコピーされスレッドが立ち、似ちゃんねるのみならずあちこちのサイトでこの様な書き込みが交わされた。
当然『尖閣便り』のコメント欄にも多くが書き込まれて炎上した。正也はまともな対処は無理と判断して火に油を注ぐ事にした。先は長い。大勢とやり合う場合は最初から善人であってはならない。善人はどんどん突っ込まれる。そして言い訳の矛盾を指摘され追い詰められる。始めからヒールを演じれば理論がむちゃくちゃでも論破は出来る。加えて何故かファンも付いてくるところが可笑しい。
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本当に注文を入れて来る連中が後を絶たないとは思ってもいなかった。キャッチコピーが、まともに文章も書けない巷のコピーライターのセンスを凌駕していた様である。正也は石垣に来てからホテルの仕入れ先として知りあった食肉加工販売の外間精肉㈱の手を借りてヤギ肉の通販をする羽目になってしまった。
山羊の駆除とホテルや港湾施設の建設は並行して行われた。
建設作業員や建設会社の建築士やエンジニアは石垣マタハリホテルに泊ってから来るので大概は正也と顔見知りである。南国での作業は大汗をかく。夜は当然酒席となる。単身日本の果てまでやってきている男たちにヤギ肉を出すのは残酷だった。夜のお相手がいないので悶々としてしまうのである。そこである程度自由の利く正也はダイバー達と組んで海の幸を酒席に並べる事にした。
この時、千賀子の父である砂川真徳がダイバーとして島の周辺調査に参加していた。この調査に使われた船が石垣と尖閣の渡しも請け負っていた。海が荒れない限り週に二回の運航である。人を運ぶのに週二回の必要は無かったが、食料やちょっとした建設資材の運搬も手伝っていた。
・・管理人の陰陽師、南国の橘です。今日は島周辺の水中写真を紹介します。・・
八枚の画像がアップされていた。
・・手つかずの自然とはこの事でしょう。地下資源を廻って領有権の帰属が騒がれ始めた経緯がありますが、このまま放っておいてほしいと思う気持ちが芽生えました。三度潜っただけですのでカバーしたのはほんの一部です。与那国島の海底遺跡の様な構造物はまだ発見されていません・・
1:キッチョムランドさん
サンゴが異常に綺麗だな
2:眠れないのよさん
二枚目に写っていた夜光貝、直径30㎝は優に超えている
3:Cカップさん
えっ・・あのサザエのお化けみたいなやつ??
4:アイ・アム秀雄さん
螺鈿細工で最も高価な材料が夜光貝だよん。中尊寺金色堂の柱や正倉院の宝物螺鈿の琵琶などに使われてるやつ
5:Fカップさん
希少価値なの?
6:アイ・アム秀雄さん
あのサイズは今は取れない。貝殻が肉厚で高価
7:Tバックが好きさん
サザエみたいだけど食えるの
8:アイ・アム秀雄さん
サザエより旨い。アワビよりも旨い
9:ノーバックが好きさん
沖縄で三番目に旨い貝だよん。二番目はクモ貝
10:Tバックが好きさん
一番旨いのは??
11:ノーバックが好きさん
まだ発見されていない
12:Tバックが好きさん
素直に、二番目に旨いと言えよ
13:ごるぁえもんさん
ところで7枚目の写真の左奥の方、朽ちた板きれに見えるが難破船じゃね??
14:祇園のミーファさん
うわっ、だめだよそれいっちゃ~。中国がまた欲を出すぅ~
15:食用にならないカエルさん
えっ、何で、何で何で、おせえてケロぉぉぉぅ
16:強気なクリオネさん
お宝積んだ難破船がいっぱい沈んでいるかも・・って噂だよん
17:ステルスファイターさん
あっ、バカバカ、言っちゃった
事は遣唐使の時代にまで遡る。遣唐使を乗せた船団はそのすべてが中国にたどり着く事は稀で、また日本に戻る際にも無事に戻れる保証もなかった。およそ二〇回に及ぶ使節の送り出しに対して、その内五回は全滅。一艘も唐の国へたどり着く事ができず船団の全てが沈んだのである。八世紀の後半に五島列島から一気に上海方面へ渡るルートが取られるまでは、奄美大島、沖縄本島、若しくは石垣島を中継基地とする南島回りのルートが取られた。その後中国までの海路は風任せである。空海を乗せた後半の航海でさえ東シナ海を行ったり来たりして数隻は南方で難破している。海で大しけに遭った際、近辺に島が見えればある程度接近して島を風除けにするのが習わしだった。即ち他に島影の無い尖閣諸島近辺には遣唐使船が複数沈んでいる可能性があるのである。遣唐使には唐朝廷への貢物から留学僧の三〇年にも及ぶ留学資金までかなりの財貨が積まれていた。歴史的価値の物も含めればトレジャーハンター涎垂の海域なのである。
その後も尖閣近辺では多数の船が沈んでいる可能性がある。倭寇が琉球を基地としていた時代、中国の沿岸部で略奪した財を積んだ船が多くこの海域で時化に遭い沈んだと言われている。また台湾統治時代のオランダ船が長崎出島との行き来の途中で数隻沈んだと言う噂もある。更に一九七五年、相次いで社会主義化したインドシナ三国(ベトナム、ラオス、カンボジア)から海路他国へ逃れる難民、いわゆるボートピープルであるが、多くが中国人の斡旋でこの海域を通り日本にやってきた。台湾海峡を抜けて尖閣諸島近辺を通るルートである。日本に大挙して押し寄せたボートピープルは社会問題となったが、たどり着く前にかなり多くの船が台風銀座のこの海域で沈んでいると言う者がいる。身なりは汚くても全財産を持って必死で国外逃亡を図った人々の船なので、引き上げやすい場所にあればサルベージ諸費用よりも大きな財が手に入る船があるとも言われている。
・・バナ寮長、次もナイスな報告をお待ちしておりやす・・
・・バナ寮長万歳・・
橘正也はネット社会の住民に『バナ寮長』と呼ばれる様になっていた。ハンドルネームの『陰陽師南国の橘』からまず平安時代にあった陰陽寮が連想された。そしてタチバナの下の二文字が取られ、バナ寮長と誰かが命名した事から始まる。
その後、建設作業の進行具合や作業員の表情などが小マメにアップされていった。二年前の完成記念パーティー以降、正也は竜宮城へ行っていない。ブログの内容は石垣マタハリホテルや尖閣カフェに関する事が多くなっていた。砂川真徳が何度かに一度の割合で尖閣への連絡船に乗って島周辺の潜水調査に加わる事があった。その際に頼んで撮って来てもらった画像をブログに乗せて近況解説は続けていた。
正也のブログは人気で来訪者のアカウントは膨大な数に上っていた。日本のジャーナリズムが伝えるべきニュースを話題とせず、誘導的、恣意的記事に力を注ぎ始めて久しい。メディアが腐りきって行く中、これぞ正にジャーナリズムとの声も上がっていた。大手メディアは新聞もテレビも何度となく取材陣を送り込んでいた。しかし人々が知りたい情報や記事は大手からは発信されない。正也の視点は真面目に人々が知りたいと言うポイントを捉えていたのである。
工事が終わり竜宮城は営業を始めた。お一人様一泊十万円である。その内六万円は尖閣諸島の自然保護、ホテル、港の管理・メンテナンスに充てる基金としてプールされた。当初は政府が招いたゲストと同行の報道関係者で予定が埋まり、一般客の予約は二年が経った今でも一件も適わない状態である。政府は当然のこと中国政府要人も招いたが、『違法占拠している日本が建てた施設に日本政府の招きで我々が渡航することは未来永劫あり得ない』との理由で断りを入れて来た。一年半を過ぎたころから徐々に政府関係のゲストからキャンセルが出るようになってきた。その空きを待って運が良ければ島に渡れるのが一般の報道関係者だった。即ち石垣マタハリホテルに待機してキャンセル待ちをしているジャーナリストたちがそれに当たるのである。予定としてはオープンから三年をめどに広く一般に開放する運びとなっていた。VIPは石垣マタハリホテルなどには泊らない。それでは石垣マタハリホテルが暇かと言えばそうではなかった。しばらくは尖閣諸島に渡れそうにないので、一般の取材陣が大挙して石垣マタハリホテルに押し掛けた。また野次馬的一般人も混じってホテルへ予約を入れて来た。オープンから二年が経つ。つい最近までほぼ満員状態が続き、この間正規従業員だけではまかない切れず、常備パートタイマーを十名前後雇用する事態が続いた。やっと空きが出来始めたのが最近の事である。しかし三カ月先からのサマーシーズンの予約は既にびっしりと埋まっていた。
正也と竜宮城、それに石垣マタハリホテルを廻る話はこの様に推移してきたのである。政治や経済に関する話は平和とは程遠くどんどんエスカレートするばかりだった。中国も韓国も自ら騒動を起こし、 日本人が冷静でいるとそれが気に食わないのか更に怒り始める。中国国民は勝手に日中の力関係を分析し、経済的にどちらが有利であるかとか、開戦に至ってはどちらが勝つかなどの分析をやってくれる。ネット上では『こっちを見るな』『疲れるから手前らだけでやってろ』『あんたらが非難している戦前の日本国帝国陸軍と同じ事をやっているのに気がつかないのか』などの声が高まっていた。
そしてこの四月の初旬、学校では新学期が始まり、企業は新しい会計年度を迎える。世間では自分の置かれた環境を整えるのに忙しい時期だった。束の間の静寂が石垣マタハリホテルに訪れていた。一週間以上部屋の予約が一五部屋を下回るのはオープン以来初めての事だった。
竜宮城は火種の中心地だったが、正也を取り巻く環境は平和でのどかなものになっていた。
だが…、静寂は破られた。