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【小説】違う、そうじゃない

掲載日:2025/12/15

 神を見たことはあるか?

 おれはある。

 神に願ったことはあるか?

 おれはいま祈っている。

 おれを殺してくれ。


 ──おれ?おれとはなんだ?

 いまのおれは呪詛の塊になって転がっているだけのクソだ。

 その呪詛の塊が祈り、願い、拝んでいる。

 いや、手足は動かないから拝めないがな。笑えよ。

 そのクソになったおれは安売りのハムより薄く硬いベッドの上で動けずにいる。

 まさにクソだ!流し忘れられた便所のクソそのものだ。


 そのクソは目を覚ますと自分が管だらけなことに気づいた。

 クソはいつから寝ていたのかも分からない。長い眠りだったんだろう、溜め込んだ不愉快さが全身を覆い尽くしている。

 眼球を動かす。足元の女を見る。

 おれの愛した女だ。今だってそうだ。単にそれを伝える手段がないだけだ。

 そしてそいつがおれの神だ。

 いつからいるのだろうか。

 疲れ果ててパイプ椅子の上で眠っている。 

 窓があると思われる辺りは明るくない。恐らく今は夜だろう。

 おれはそいつに祈っている。

 はやく殺してくれ。


 心拍。裏打ちのリズムで願う。

 殺してくれ。おれに死を。約束の死だ。


 心臓の音や血流の音を聞きながら目の前にいる神に祈る。

 全てがクソだ。どうにもならない。

 耳の奥で心臓が全身に血を送り出す強烈な圧縮と排出の音が響いている。

 隙間の無い管の中を押し流される血が全身で擦れて毛羽だった音を立てる。

 体内で響く音は酷く不愉快だったが止まる事が無い。おれの力では止められない。

 どうしようもない。

 だから祈っているんだ。わかるだろ。

 たしかにお前はおれの救いだった。

 そして最期の救いをくれと願っている。


 最後におまえに触れたのはいつだったか。


 おれと女の間に垂れている管。

 おれの身体に繋がっている点滴。

 中身はブドウ糖と痛み止め、抗生剤やら何やらだろう。

 どうせなら睡眠薬でも入れて欲しい。

 苛立ちを抑える薬──薄めたリタリンでも入れて欲しい。

 耳の奥がうるさい。

 おれと女の間にある絶望。

 


 不愉快さが飽和してきた。






 おれが女に対して必死に呪詛の電波を投げていると、女はびくりと身を震わせて顔を上げた。

 おれは嬉しさのあまりションベンを漏らした。

 しかし女は起きているおれに気づかずに立ち上がり病室を出て行った。おそらくトイレにでも行ったのだろう。

 希望そのものが遠ざかって行ってしまった気がした。

 ……まだ大丈夫だ。女は帰ってくる。その時におれに気づけばいい。

 



 だがトイレから戻った女はおれを軽く撫でると、そのまま再びパイプ椅子に座った。そして傍らのチェストに身体を預けるとすぐに眠ってしまった。

 猛烈な怒りと苛立ちがおれの身体を支配した。


 殺してくれ!

 約束しただろう?おれが片輪になったら殺してくれと言ったはずだ。

 怒りと苛立ちが奔流となって全身を駆け巡る。アイドリングが不安定な古い単車のように心臓が暴れ回る。

 だがそれもすぐに収まる。

 おれにはキレ散らかす体力すらない。


 女を見る。

 疲れていて、もうおれが目を覚まさないのが当たり前になっていて、そうしたら夜中におれの方を見ない事を責められない。


 ため息もつけない。

 クソみたいな臭いがするカップの中で中途半端に湿った呼吸が乱反射している。

 馬鹿みたいに大きい心臓の音を数えたり、血管を擦れる血の音を聞くのにも飽きた。

 天井の穴の数を数えるのにも飽きた。

 苛立ち数えるのにも不愉快さを数えるのにも飽きた。

 だが死への祈りや願いに飽きはこない。

 はやく、楽にしてくれ。


 まんじりともできずに朝を迎えた頃に、ようやく女が目を覚ました。

 女は伸びをして身体を伸ばすとおれを見た。

 おれは目を開けて女を見続けた。

 女は口元に手を当てるとおれに駆け寄って何かを言った。

 だがおれには何も聞こえない。どうやら耳もどうかしているらしい。

 じゃあ逆にどこがまともなんだ?

 女はおれの顔を触り、撫で回し、何かを叫んだ。

 そうやっておれの不愉快さを少し緩和させた後に、慌てふためいて病室を出て行った。




 全ておれの願いとは真逆の事だった。

 女は白衣の男や女たちを連れて戻ってきて、涙を流しながら何かを訴えている。恐らく医師だとか看護師だとかが点滴や何やらを触っているのが視界の端で見えている。


 冗談じゃあない。

 やめてくれ。約束と違うじゃないか。

 こいつらを止めてくれ。

 全部外してくれ。

 おれはお前にこんな姿を見られている事すら我慢ならないんだ。それでもお前がこの管を引き抜いてくれるならその恥も忍んで引き受ける。



 ひとりで食事を口に運べない生物が生物と名乗って良いはずがない、そう何度も言ってきただろう。

 早くこの管を引き抜いてくれ。

 おれが目を覚ました事を喜んでいる場合じゃないだろう。泣くな、喚くな、喜ぶな。

 笑ってるんじゃあない。

 おれの手を取るな、顔を触るな。おれの涙を指で拭うな。

 おれは嬉しくて泣いてるんじゃあない。悲しくて泣いているんだ。悔しくて泣いているんだ。


 死んでいない事が悲しい。

 無様な姿でここにいる事が悔しい。


 生きている、医学的にはそうだろう。

 動物としては終っている生命体の切れ端がこの病室にあるベッドの上に転がっている。

 早く殺してくれ。

 終わらせてくれ。

 管を引き抜いて離れてくれ。

 薬なんか打たなくていい。痛みで狂おうと熱で脳細胞が死滅しようと構わない。

 だから早くしてくれ。

 なぁそう約束しただろう。

 こんな肉体は生きているとは言えない。お前に触れもしない。お前を噛む事もできない。お前に何か囁いてやる事も出来ない。

 おれには指も動かせないし顎も動かせない。食事が出来ない。何も出来ない。これは生命じゃない。生命なんかじゃない。


 早く早く早く早く早く早く。

 おれは一生この心臓の音に苛立ちながら生きていかねばならないのか。

 お前はおれを憎んでいるのか。

 こんな事なら目覚めるんじゃあなかった。

 おれの目尻から溢れた涙を女の指が拭った。


 違う、そうじゃない。

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