第91話「ただの散歩」
リオネールの朝は澄んだ空気に包まれていた。
宿の前では馬車に荷を積み込む音、馬のいななき、商人たちの呼び声が重なり合っている。出発を控えた商隊の仲間たちはそれぞれの持ち場で動いていたが、その中でミラだけは少し落ち着かない様子を見せていた。
胸の前で指を絡め、視線を下げて足元の石畳を見つめている。仲間に気づかれまいと笑みを浮かべようとするが、どうしても影が差してしまう。
カイはそんな姿を横目でちらちらと見ていた。
声をかけたい。けれど、どう切り出せばいいのか分からず、まごまごしていた。
いつもなら何も気にせず声をかけられるはずなのに、今はその一歩が出ない。
その様子を、コハルは敏感に察していた。すっとカイに近づき、獣のように耳を寄せる。
「……散歩にでも誘えば?」
「な、なにっ……!」
カイは肩を跳ねさせ、思わず声を上げる。だがコハルは尻尾を揺らしてにやりと笑うだけ。
「今なら行けるだろ。ほら、早く」
カイは顔を赤くしながらも、大きく息を吐いた。そして意を決して歩み寄る。
「な、なあ……ミラ。少し歩かないか? 出発まで、まだ時間あるし」
ミラは驚いたように目を見開いた。すぐに唇を緩め、頬をほんのり染める。
「うん。じゃあ……行こうかな」
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二人で並んで石畳の小道を歩く。
朝市の屋台からは、焼きたてのパンの香りや、香辛料の甘く刺激的な匂いが漂ってくる。行き交う人々の笑い声、遠くから聞こえる鐘の音――街は活気に満ちていた。
そんな中でも、ミラの表情は時折曇った。足取りを少しだけ緩めて、小さな声を漏らす。
「ねえ、カイ……。最近、ソウマさんとリーナさん、なんだか前より距離が近くなった気がするの」
胸の奥にしまっていた思いを、抑えきれずに吐き出す。
「……ごめんね。こんなこと言うつもりなかったんだけど」
寂しさをにじませるその横顔を見て、カイは前を見据えたまま言葉を選んだ。
「そんな顔すんなよ。大丈夫だって。俺たちは一緒にいる。ミラは……ミラでいいんだ」
その言葉に、ミラははっと顔を上げる。口元にわずかな笑みが戻った。
屋台の前で足を止めた二人は、香ばしい匂いに誘われて串焼きを買った。
焦げ目のついた肉を一口かじると、じゅわっと肉汁があふれ出し、熱さに顔を見合わせて笑い声をこぼす。
「やっぱり何も考えずに肉食ってるのが一番幸せだな!サイコーだ!」
「カイらしいね。でも...確かにそうかも。カイの食べてるのもおいしそう、ちょっとちょうだい」
「お、おう!うまいぞ!じゃあ、交換だな…」
「本当だ!おいしい!」
そんな穏やかな時間の中で、ミラはつい言葉を零した。
「……カイ、ありがとう。結局、私は昔も今も…カイといる時が一番落ち着くなー」
言った瞬間、頬が真っ赤に染まる。慌てて両手を振り、早口になる。
「ち、違うの! 変な意味じゃないから!」
「なんだよそれ」
カイは呆れたように笑った。だがその笑顔は、抑えきれない嬉しさで満ちていた。
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少し離れた場所。通りの角の陰から、二人を見ていたのはサラとタリア、コハルだった。
「青春だねぇ……」
タリアが頬杖をつきながら、しみじみと言う。
「きゃー!若いって素敵!」
サラはわざとらしく胸の前で手を組み、
身をよじった。
「やっぱり人族は面倒くさい。好きなら好きでいいのに。あと、あの肉おいしそう」
コハルの恋愛観はかなり違うようだ。
サラが気になって聞いてみる。
「そういうコハルちゃんはどうなの?リーナに遠慮してない?」
「ソウマは好きだけど、私にとってはリーナの幸せが一番。私は優秀なオスの種がもらえればそれでイイんだけどなー、人族の女がそれを嫌がるのも知ってるからしないよ。リーナを傷つけたくない」
コハルは事も無げに言うので、二人は唖然とする。
「「種って…獣人族ってそんな感じなんだ…」」
「私からすれば人族の方が変。今、好きな人もいつか嫌いになるかもしれない。でも今が好きなんだからそれでいい。獣人族は時間と場所に縛られない。自由なんだ。私も兄弟がたくさんいるけど、みんな父親は違うよ。自分の父親は誰かも知らないし、興味もないな。でも、獣人族は国もない代わりに自分の家族を大切にする。私の家族はこの商隊!そしてリーナがボス!」
「分かったような、分からないような…」
サラが苦笑を漏らす。
タリアは肩をすくめて笑った。
「でも、コハルらしい答えだな。……うん、あんたのそういうところ好きだよ。しかも私はむしろ獣人族寄りだ!」
その一言に、コハルは嬉しそうに尻尾を揺らした。
「私はやっぱり、紳士的で王子様みたいな人にエスコートしてほしいな」
サラは両手を合わせて祈るように語る。
『そんな男、いないだろ』
タリアとコハルの声が重なり笑いが広がった。
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