第90話「女騎士の挑発」
#90「女騎士の挑発」
市場の喧噪の中、鋭い声が割り込んだ。
「……おい、そこの異郷人」
振り返ると、鎧をまとった女騎士が立っていた。冷たい光を宿した瞳が、ソウマを真っ直ぐ射抜いている。人々のざわめきが遠のき、張り詰めた空気だけが残った。
「おいおい、美人さん。相手なら俺がしてやるよ」
ザイルが口笛を鳴らし、軽口で空気をそらそうとする。
だがコハルの尻尾がぶわりと逆立った。低くうなるような声が漏れる。
「……向こうへ行け。今すぐだ」
女騎士は口元を歪め、さらに挑発を重ねる。
「なんだ、魔法使いと女の後ろで守ってもらうのか? 異郷人なら仕方ないかもしれんがな!」
その一言に、ザイルの表情が険しくなった。
「おい、いい加減にしとけや。喧嘩なら……俺が買ってやる」
「後ろで見てるヤツも三人いる」
コハルの耳がピクリと動き、視線が脇の路地へ向かう。
「仲間か? ……アイツらは私がやる」
次の瞬間、矢が飛来した。
だがコハルは動じない。矢を空中で掴み取り、指先で容易く折り捨てた。
「もう許さん!」
怒声と共に、影の中へと駆け込む。
「お仲間さん、知らねーぞ。死んでも文句言うなよ…」
ザイルが肩をすくめ、女騎士を見据える。
「自分の心配をしたらどうだ? 魔法使いがこの至近距離の一対一で、剣士に勝てると思ってるのか?」
女騎士が剣を抜き、鋭い光を放つ。
「お前程度なら問題ねぇな」
ザイルの目に挑発的な火が灯る。
女騎士が斬りかかる――その瞬間。
横の小道からロックバレットが飛び出した。
女騎士は驚愕し、咄嗟に剣で打ち落として距離を取る。小道に視線を送るがやはり誰もいない。
(おかしい……仲間が近くにいないのは確認済みだ。コイツの手元にも魔法陣はでなかった?どういうことだ?)
「どうした?もう終わりか?絡んできた割には大したことねえな」
ザイルがさらに挑発をする。
市場の視線が集まる中、コハルが戻ってきた。片手には男を捕らえていて、そのまま女騎士の前に投げ飛ばす。
石畳に叩きつけられた男は咳き込みながら呻いた。
「す、すみません……」
「他のヤツは逃がした。逃げ足だけは速いな…」
女騎士は舌打ちし、やがて剣を収めて両手を挙げる。
「悪かった、私の負けだ。許してくれ」
「なに言ってる。許すわけないだろ」
コハルの牙が光る。
「もちろん、ただで許せとは言わない」
女騎士は腰の袋を開き、宝石や魔道具を石畳に並べた。
「詫びだ。どれがいい? どれもそれなりに貴重品だぞ。異郷人さんに選んでもらえばいい」
並べられた品々の中に、一冊の古い本が混じっていた。革表紙に奇妙な刻印が走り、ただならぬ気配を漂わせている。
ソウマの視線がそこに吸い寄せられる。
「……これは?」
「前の依頼で立ち寄った古代神殿で見つけたものさ。中身は分からん。売り払うつもりだった」
「見てもいいか?」
「どうぞ」
本を手に取ったソウマの目が一瞬、大きく見開かれた。
「これをもらう」
コハルが不服そうに唸る。
「いいの? こんなやつら、叩きのめして全部奪ってもいいんだぞ」
「勘弁してくれ」
女騎士は額に汗を浮かべ、必死に両手を振った。
「二度と顔見せんな。次は容赦しねぇ」
ザイルが吐き捨てる。
女騎士は黙って頷き、部下を連れて去っていった。
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石畳の裏路地で、女騎士は兜を外す。額の汗を袖でぬぐい、部下を睨んだ。
「情けないな、何やられてんだ?」
「それは申し訳ないです。でも!何でこんなチンピラみたいな真似、俺たちがしなきゃいけないんですか」
部下の声には苛立ちが滲んでいた。
「ゲオルグ様の指示だ」
女騎士の声は低く、硬い。
「イリーナ様。ゲオルグ様ではなく、あのラムダとかいう気持ち悪いやつの命令ですよ….」
「ソウマという異郷人に脅しをかけて、本を渡す。それだけが任務だった。……もう終わった。帝都に戻るぞ」
遠くで鐘の音が鳴り、リオネールの喧騒が再び流れ込んでいた。
女騎士は去り際に一度だけ振り返った。
鋭い視線でソウマたちを眺め、口元に不敵な笑みを浮かべる。
「……なかなか腕の立つ連中だな。本気でやっても苦戦しそうだ。あの魔法使いの仕掛けだけでも、知りたかったものだ」
そう呟き、マントを翻して雑踏に消えていった。
—
コハルはまだ怒りが収まらなかったが、ソウマが興味深そうに本を手に取っているのを見て少しだけ安堵する。
「ソウマ。そんなにその本が気に入った?」
「ああ、これはいい拾い物をしたかもしれない。二人とも、ありがとうな」
ソウマに笑顔が浮かんだことで胸を撫でおろすザイル。誘っておいて絡まれた事に責任を感じていたようだ。
(しかし、かなり強いはずが、やけに引き際が早かったな……絡んできた理由も結局よく分からんし、妙に律儀でもある。しかも、美人……ったく、なんだってんだ)
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