第89話「リオネールの街」
白い石壁が、朝日に照らされて輝いていた。街道の向こうに姿を現したのは――リオネール。アルノルト伯爵の領都にして、帝国でも三本の指に入る大都市だ。
門をくぐった瞬間、仲間たちは思わず息をのむ。
石畳は丁寧に敷かれ、通りには果物や焼き菓子の屋台が軒を連ねている。焼きたての香りと甘い匂いが風に乗り、鼻をくすぐった。
広場の水路では子どもが裸足で遊び、周囲の木々が風に揺れる。街と自然が溶け合い、人の暮らしに寄り添っていた。
「きれい……」
ミラが小さくつぶやいた。瞳に映る光景は、彼女にとって初めての“大都市”だった。
「食べ物の種類も多いからな!酒もうまいぞ!ここは!穀倉地帯ってのは伊達じゃねえ」
ダンカンが感心したように言う。
リーナは慣れた様子で周囲を見回し、胸を張った。
「リオネールは交易の中心でもある。市場に出回る品は帝都に次ぐほど多いし、治安も安定してる。暮らしやすい都市としては、帝国一だよ」
「帝都より?」とカイが目を丸くする。
そこでサラが口を挟んだ。
「帝都は規模は桁違いだけど……混沌そのものよ。人は多いけど治安は悪いし、貧富の差も露骨に見えるわ。ここみたいに落ち着いて暮らせる感じじゃないの」
「ヴァルシュタイン領は、また全然違うな」
ザイルが肩をすくめる。
「石ばっかで、きっちり整ってるけど……冷たくて無機質って感じだ」
仲間たちの会話を聞きながら、ソウマは静かに周囲を観察していた。
日本で見てきた都市に比べれば小さい。だが、この世界で数年を過ごしてきた自分にとっては、初めて体感する“大都市”だった。
整った街並みと人の多さ。その中でちらりと向けられる視線。
「異郷人だ」
と囁く声が、雑踏の中に紛れて耳に届く。
直接的な敵意ではない。けれど、薄い壁のような距離感が確かに存在していた。
(……やっぱり、ここでもそうか)
胸の奥で、昨日までの不安が再び顔をのぞかせる。だが、背後から聞こえた仲間たちの笑い声がそれを押し戻した。
リオネールの光の中で俺は深く息を吸い込んだ。
石畳の大通りを抜け、リオネールの中心部にそびえる伯爵邸へと向かう。
白壁に赤い屋根を備えた屋敷は、華美さを抑えつつも堂々とした造りで、この地の良政を象徴しているように見えた。
応対に出た執務官は丁寧に一礼したあと、申し訳なさそうに告げる。
「恐れながら、アルノルト様は帝都の召集に応じておられ、しばらくは戻られません」
仲間たちの間に小さなどよめきが走った。
「帝都に……?」リーナが眉をひそめる。
「はい。帝都周辺の治安悪化に関する議会の協議でございます。伯爵様より客人の皆様にはどうか宿を取ってお待ちいただくよう申し付かっております」
結局その日は宿へと向かうことになった。
リオネールの豊かな街並みの中で過ごす一夜。
――しかし伯爵不在の報せは、静かな緊張を残していた。
夜、宿の酒場で食卓を囲む。
木の卓に並ぶジョッキ、飛び交う笑い声と歌声。
「おい、ダンカン。また勝負するか?」
タリアが片肘をつき、挑むように笑う。
「ふん、望むところだ! 前は不覚を取ったが……今度は絶対に負けん!」
ダンカンは声を張ったが、既に首筋まで赤くなっている。
タリアはゆっくり髪をかき上げ、長い指でジョッキの縁をなぞった。
そのまま身を乗り出し、ダンカンの肩に手を置く。
「負けたら男が廃るだろ? でも――勝ったときの報酬も男なら欲しいよな?そうだな、もし私に勝てたら……..」
頬を人差し指でつん、と突きながら、耳元へ唇を近づける。
熱を帯びた吐息をふうっと吹きかけ、わざと低く囁いた。
「お姉さんが、とっておきのご褒美あげる」
声の余韻が、酒場のざわめきの中でも妙に鮮明に響いた。
一瞬、空気が止まり――ダンカンの顔はもちろん、近くで見ていたカイとミラまで同時に真っ赤になった。
ダンカンは真っ赤な顔で吠える。
「そ、その言葉……絶対に忘れるなよッ!」
「……なっ……」
関係ないカイまで顔を覆って俯いた。
耳まで真っ赤だ。
「カイ、顔が真っ赤!」ミラが慌てて言うが、自分の頬も同じように真っ赤になっている。
「ミラだって赤いじゃねえか!」
「カイのほうが赤いもん!」
二人で言い合いを始め、周囲がどっと笑った。
ザイルが肩を揺らして呆れたように言う。
「おいおい……お前らまで釣られてどうすんだ」
サラはこめかみを押さえ、ため息をひとつ。
「お子様は見ちゃダメよ……」
場が一気に沸き立ち、笑い声が広間を満たす。
タリアはジョッキを掲げ、艶やかに笑った。
「さあ飲め! 男を見せてみろ、ダンカン!」
タリアとダンカンの掛け合いで
場が盛り上がる最中。
ソウマが苦笑いしてジョッキを傾けると、隣に座っていたリーナがそっと肘で小突いた。
「まったく……子どもみたいだな」
口元には呆れたような笑み。だが、そのまま腰を寄せてくる仕草には、昨夜からの距離の近さが滲んでいた。
夜はそんな喧騒の中、更けていった。
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翌朝。
ソウマは宿のロビーで地図を広げていた。街へ出たい気持ちを押し殺すように、視線を紙に落とす。
「先生」
背を軽く叩いたのはザイルだ。
「せっかくリオネールに来たんだ。買い物くらい付き合えよ」
「わたしも行く!」とコハルが尻尾を揺らす。
結局三人で外へ出ることになった。
市場は香辛料と焼きたてのパンの匂いが混じり、活気で溢れていた。
ソウマの緊張も少しずつ解けていく。
しかしその時――。
「……おい、そこの異郷人」
鋭い声に足が止まる。
振り返ると、鎧をまとった女戦士が立っていた。
鋭い眼差しが、ソウマだけを射抜いていた。
市場の喧騒が遠のき、空気が一気に張り詰めた。




