第85話「途絶える道」
翌朝の街は、どこか慌ただしかった。遠征組が戻り、街組も子爵との交渉を終え、出発の準備が整ったからだ。
アルノルト伯爵領へ――次なる舞台は、国家規模での交渉と技術の実証。その重さを全員が理解していた。
だが、最後の買い出しに向かう一行の足取りは意外と軽やかだった。
「おいソウマ!この革の袋、魔道具入れにちょうど良さそうじゃないか?」
「タリア、それ昨日も同じこと言ってただろ」
「ちょっとでも丈夫なやつを探すのは研究者の性分なんだよ!」
豪快に笑うタリアの背後では、サラが薬草を選びながら眉をひそめる。
「また散財する気でしょ……まあ、足りなくなって困るよりマシか」
カイは露店の武具に目を輝かせ、コハルは干し肉を物色して尻尾を揺らしている。ミラはソウマの手を引き、ここの名物の食べ物だと教えてくれる。
その光景は一見すれば、ただの商隊の買い物風景だった。
しかし――その輪の外側に立つソウマの胸中は、どうしても晴れなかった。
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街路を歩くたびに感じる、刺すような視線。
「異郷人だ……」と囁く声。
決して手を出されることはない。
だが、距離を置かれる。忌避と好奇の入り混じった視線が、常に彼を追っていた。
仲間たちが一緒にいれば、その視線はただの雑音にすぎない。
けれども――ふと気づく。
(そういえば、俺は一度も“ひとりで”街を歩いたことがない)
思い返す。
市場を歩くときはミラが腕を組んで隣にいた。
道具屋ではタリアが勝手に先導していった。
食堂ではカイが大声で注文をしていた。
――必ず、誰かが一緒だった。
そして、今までは気にも留めなかった事実が、今になって妙に胸に引っかかる。
(……俺以外の異郷人を、誰一人として見かけた事がない。これだけ多くの市民が認知しているのにも関わらず、そんな事があり得るのか?)
その小さな違和感は、買い物を終えて子爵邸に戻り、出発前の打ち合わせをしているときに、さらに膨らんでいった。
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広間の机に地図が広げられ、リーナが旅程を確認している。
「明日の朝には門を出る。道中は警戒を緩めるな。……ソーマ、どうした? さっきから浮かない顔をしてる」
不意に声をかけられ、
俺は一瞬言葉に詰まる。
「……いや、悪い。大したことじゃない」
そう言いかけて、喉の奥で言葉が止まった。
今、聞いておかなければならない
――直感が告げていた。
「……すまない、関係ないことかもしれないが、一つ聞きたい」
全員の視線が集まる。
深く息を吸い、問いを放った。
「俺以外の異郷人に会ったことがないのは……偶然か?それとも….」
問いを投げた瞬間、広間の空気が、見えない膜で覆われたように揺らいだ。
ルッツが眉をひそめて口を開きかける。
「ソウマ殿、それは――」
しかしリーナが手を上げ、制した。
「待て、ルッツ。それは私が答える。私が話すべきことだ」
彼女の声音はいつになく重く、仲間たちは思わず息をのんだ。
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沈黙の中、リーナはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……ソウマが感じている違和感は正しい。異郷人が姿を見せないのは、決して偶然じゃない」
ソウマは眉をひそめる。
「どういうことだ?」
「ソウマ、あんたはここに来て何年になる?」
「……三年目だな」
一呼吸置き、
リーナは仲間たちを見渡してから視線を戻した。
「――この世界で、異郷人が五年以上生きていたという公式な記録は、一つもない」
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広間に、深い沈黙が落ちた。
誰も声を上げられなかった。
ただ外の鐘の音だけが、遠くで虚しく響いていた。
ソウマの胸に重石が落ちる。
胸の奥が冷たく沈み、ふいに“自分だけが透明になっていく”ような感覚に襲われた。
この世界に来てからの三年の記憶が、一気に圧縮されるように胸を圧迫した。
――あと二年
それが、見えない刻限であるかのように。
目の前には、新しい道があり、これからそれに向かって歩もうとしているのに。自分にだけ道が閉ざされてしまう。
魔力が使えないから?
今のところ体に不調はないが病気になるのか?
それとも、またどこか別の世界に飛ばされる?
様々な最悪のケースが頭にフラッシュするように次々と映し出される。
記録がない? 生き残れない?
なら――俺は、あと数年で消えるというのか…
唇が乾き、言葉が震えながら漏れた。
「……なんで、だ」
誰も答えなかった。
ただ重苦しい静寂が仲間たちを縛り、次の言葉を待たぬまま夜は深く沈んでいく。
自分の目の焦点が合っていないのが分かる。
深い闇に落ちていきそうな、そんな感覚に襲われていたその時、優しく手を差し伸べるように声が響き渡った。
「ソウマ」
リーナの優しく力強い声。もう一度呼ばれる。
「ソウマ」
名を呼ぶその声は、暗闇の底に落ちていく意識を、そっと支える手のようだった。
そうだ。自分はこの声に何度も助けられた。リーナだけではない。ここにいるメンバー全員に助けられ、ここまで生きている。
気づけばミラが手を握ってこちらを心配そうに見ている。
「すまない。少し動揺した」
ソウマの目に力が戻ったのをリーナは感じ取った。
「お前なら乗り越えられる。
どれほど残酷な道でも、ソウマなら必ずだ。」
第六章【見えざる刻限】 ー完ー




