表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚晶の賢者――異世界魔法を科学する  作者: kujo_saku
第一章【魔法なき者】
9/52

第8話「揺れる天秤」

黒脈山脈を背に延びる街道は、乾いた風と砂埃に満ちていた。


 左右の斜面には灌木がまばらに生え、遠くでは牛を追う子どもの姿が小さく揺れている。

 そんな穏やかな景色の先に――帝国の関所が立ちはだかっていた。


 木柵と石壁が組まれ、帝国の黒鉄の紋章が陽を受けて鈍く光っている。

 兵士が十人、槍を構えて出入りする商隊を見張っていた。


 商隊が止められると、革帳簿を持った役人が足音も立てずに近づいてきた。

 日焼けした顔に、見下すような目。


 荷車の荷を検めると、渋い顔をして鼻を鳴らした。

「……積み荷の量が多すぎるな。これだけ安く売れば、市場が崩れる。秩序を乱す行為だ。――積み荷の一部は没収する」


 護衛たちの間にざわめきが走る。

後方で荷車を押していた村人や商人が小さく「またか」と吐き捨てた。


 別の商隊も足を止め、視線を向けてくる。誰も逆らわない、諦めた目だ。


商隊が止められた瞬間、隊の後方で耳をぴくりと動かしたコハルが、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 「……ったく、こういうのがいっちばん性に合わんのよ」


 彼女は武器に手をかけるでもなく、ただ街道脇からじっと役人を睨んでいた。


 リーナは一歩前に出て、即座に噛みついた。


「この先の町は人口三千。ここで卸す量なんて、せいぜい数日分さ。暴落なんて起きやしない」


 役人は薄く笑い、鼻で笑い返す。

「口だけなら誰でも言える」


 その言葉に俺は一歩前に出た。帳簿をひったくり、さらりと読み上げる。

「人口三千。一人が一日三合の麦を食べるとして九千合。今回の荷はその半分にも満たない。暴落は起きない」


役人とリーナのやり取りの最中、ソウマが一歩前に出て数字を並べ始めたとき――

 カイがぽかんと口を開け、思わず小声で漏らす。


「え、数字で押すのかよ……」

 コハルも腕を組みながらじっと見ていた。


 彼女の頭の中で、ざらついた独白がこぼれる。

(……へえ。口で殴り返す戦いもあるんじゃな。あたしには、こういうの……できん)

 

そんな彼女の反応を見ていたカイが、にやりと笑った。

「さすがは先生!メモと数字の鬼だ」

 ソウマは振り返らずに数字を叩きつけ、リーナがにっこり笑って畳みかける。

 二人の言葉と数字の合わせ技に、場の空気が一気にひっくり返る。


 指を折りながら淡々と示すと、周囲の兵士や通行人たちがざわついた。

「……確かに」「筋は通ってるじゃないか」


 役人の顔に苛立ちが走る。

 理屈で詰められた人間の、典型的な顔だった。


「だがな。――秩序は理屈じゃない」

 低く、地を這うような声。


 役人は声を潜め、指をすり合わせてみせた。

「秩序を守るには“潤滑油”がいる。……分かるだろう?」


 兵士たちが苦笑し、場の空気がいやらしく濁る。

 後方の別商隊の男が小さく肩をすくめ、袋から銅貨を取り出したのが見えた。

 あからさまな賄賂の要求だった。


 その瞬間、リーナが一歩前に出た。

 にっこり笑い、声を張る。


「潤滑油なら、うちの荷に山ほどあるよ。麻油に菜種油。一本ぐらいなら差し上げようか?」

 兵士たちが吹き出す。


 役人の顔が見る間に赤くなった。

 リーナはさらに畳みかける。


「もちろん帳簿に“油一樽、関所用”って記録するなら、ね」


 周囲の空気が笑いに変わる。

 役人は顔を引きつらせ、舌打ちをひとつ残した。


「……通れ」

 彼は帳簿を乱暴に閉じ、門番に目配せした。

 木の柵が軋み、通行が許される。


関所を抜けると、カイはソウマの隣に馬を寄せてきた。


「先生、ああいうの、どこで覚えたの?」

「数と理屈は、場合によってはどんなものより強い」

「へえ……やっぱちょっと変わってるよな、先生」


 コハルは少し離れた荷車の上からちらっと見下ろし、口の端を上げる。

「……へっ。数字で人間ひっくり返すとか、妙なヤツ」

 その声にはまだ警戒と半分の興味が混ざっていた。

 信頼には遠い。でも――“ただの弱いやつ”からは一歩、印象が変わった瞬間だった。



 街道を進みながら、リーナはエールをあおって笑った。

「まったく、センセ。あんたの数字がなきゃ積み荷は半分減ってた。……でも、私の口がなきゃ油まで取られてたね」


「どちらにせよ、不毛な交渉だった」

 俺が乾いた声で返すと、リーナは大笑いした。

「不毛じゃないさ! 勝ったんだから!」




 だが、俺の耳には役人が去り際に吐き捨てた言葉がこびりついていた。

「……あんたら、よそ者のくせに生意気だ。覚えておけ。“上”は秩序を乱す者を許さない」

 “上”という単語に、黒い影がちらつく。

 ただの関所役人ではない。

 ――飢饉と物資を利用して儲ける“貴族の手”が、確かに背後にある。

 関所の向こうで風が強くなり、砂埃が舞い上がった。


 天秤は――静かに揺れる。

それが、この国の“秩序”という名の土台を揺らす最初の一滴になることを、まだ誰も知らない。



ここまで読んでくださってありがとうございます。

感想・ブックマークがとても励みになります。

どうぞ、次話もよろしくお願いします!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ