第82話「揺れる心」
朝の鐘が街に響く。昨日までの騒がしさが嘘のように、穏やかな光が石畳を照らしていた。遠征組は一夜を明け、治療と休養でほとんどの傷を癒していた。
サラのヒールと街の医師の手もあって、タリアも脚を引きずることなく歩けるようになっている。
ダンカンの背中はまだ完治はしていないが、それでも彼は「もう問題ねぇ!」と豪快に笑っていた。
そんな中、荷造りや出発準備の合間で、仲間たちの間に静かなやりとりが生まれていた。
ミラはソウマの傍にぴたりと寄り添い、嬉しそうに笑う。
「ソウマさん、今日は私も手伝いますね! 荷物の整理とか、道具の点検とか。何でも言ってください!」
その声は張りがあり、どこか誇らしげだった。先日のタリアとの会話が背中を押している。
ソウマは驚いたように瞬きをした。だがすぐに笑みを返す。
「ああ、助かるよ。正直、人手が多いほどいい」
その表情に、ミラは胸を張るようにして頷いた。
そんな二人の様子を、少し離れた場所から見ていたカイは、なんとなく落ち着かない気分を抱えていた。
(……ミラって、こんな積極的なやつだったか?)
仲間として頼もしいのは分かる。嬉しいはずだ。だが胸の奥が妙にざわつく。
「お〜い、カイ〜!」
無邪気な声が飛んだ。振り返ると、犬人族の少女コハルが腰に手を当てて立っていた。
「暇そうだから、模擬戦やろうよ!」
カイは渋い顔をした。
「……お前なぁ、今は準備で忙しいんだぞ」
「ほらほら、鍛えなきゃ怪我してサラにまた怒られる! 手が空いてるんだから付き合ってよ!」
言いながら耳をぴんと立てるコハル。
どうやら本気だ。
結局、カイは溜息をついて剣を構えた。
「……ったく、わかったよ。軽くだからな」
二人の模擬戦はあっという間に始まった。だが結果は一方的だった。コハルの野生的な勘と敏捷さに、カイの剣はまるで追いつかない。
体勢を立て直す間もなく何度も転がされる。いつもはここまでの差はないはずなのに、今日は翻弄され続ける。
「ちょ、ちょっと待――!」
砂埃をかぶって倒れ込むカイに、コハルは尻尾をぶんぶん振って笑った。
「なんだ?今日は全然歯ごたえないな!」
「……ぐっ」
その時、不意にコハルが首を傾げて言った。
「カイ。何で調子悪いか分かってる?」
カイは大の字に寝転がり、静かに考えるが答えは見つからない。体が思うように動かない。
「全然わかんねー。俺、どこか怪我してんのか?」
コハルが真っすぐな目で問いかける。
「ねえ、カイ。ミラのこと、好きなんでしょ?」
「はぁっ!?」
カイは跳ね起きて真っ赤になった。
「ち、違う!そんなわけあるか!」
「でも、目で追ってたよ?」
と首を傾げるコハル。
「お、追ってなんか……!」
動揺しすぎて言葉にならない。コハルはけろりと笑って「図星だね!」と尻尾を振る。
「人族はそういうの面倒だよね。もっとシンプルにさー、好きなら好きでいいのに」
その時、背後から声がした。
「カイ、大丈夫?」
振り返ると、ミラが心配そうに覗き込んでいた。ソウマの手伝いを終えて戻ってきたらしい。
「何でもない!まだ体の調子が悪いだけだ!」
カイは慌てて言い訳し、再び赤面する。余計にコハルがにやにやしていた。
模擬戦は結局、完敗。
カイは地面に寝転がり、空を見上げた。胸の鼓動がやけにうるさい。
(……なんなんだ、俺。ミラはこの商隊に入った時からずっと一緒にいて…確かに一番近い存在だったけど、そんな風に考えたことなかった…)
まだ自分でも分からない。けれど、確かに何かが変わり始めている。
一方、ミラはソウマの隣で資料をまとめていた。先ほどまでの積極さが嘘のように自然体で、笑みを浮かべている。
その姿にリーナが気づき、小さく目を細めた。仲間たちの関係が少しずつ動いているのを、敏感に察していたのだ。
準備が整い、出発の空気が漂う。街路の先には、次なる道――アルノルト伯爵領への旅路が待っていた。
穏やかな朝の光の中、それぞれの胸に小さなざわめきと期待を抱えながら、一行は進んでいった。いまはただ、仲間が揃っていることが何よりの力だった。




