第75話「ルーレット•スタート」
じわじわと距離を詰めてくるモルド。
歩みは緩やかだが、無駄がない。仮面に覆われた顔は表情ひとつ見せず、ただ刃毀れしたシャムシールが擦過音を立てるたびに、空気がぞわりと震えた。油断しているように見えて、全く隙がない――一流の殺し屋の呼吸だった。
(閃光弾は……無理か。仮面がある限り効きにくそうだ…)
タリアはそう判断したが、それでも次の瞬間には投げつけていた。
「お前の思った通りになんか、させるかよ!」
金属筒を全力で仮面めがけて投げつける。モルドは一瞬だけ反射的に身を逸らす。
「……っ」
仮面の奥が揺れた。ほんのわずかな隙。
タリアは踵を返し、全力で駆け出す。
だが次の瞬間…
――ひゅ、と風を切る音。
耳鳴りのように鋭い。刹那、皮膚を裂く熱。
左足の ふくらはぎ に鋭い痛みが走った。振り返ると、短いナイフが深々と突き刺さっている。
「……っ、クソ!」
タリアは顔をしかめ、足を引きずりながらもナイフを乱暴に引き抜いた。血が土に滴る。
「こんな程度で止まるかよ!」
歯を食いしばり、血を撒き散らしながら刃を引き抜く。だが足は痺れ、力が抜ける。二歩、三歩で転がるように倒れ込み、視界がぼやけた。毒か…
「おやおや……元気な獲物だ!」
モルドの声は楽しげだ。刃をひきずりながら迫ってくる。
「そんなに暴れちゃいけないよ。今から私が、あなたを一つずつ壊すんだから」
「……変態が使いそうな手だな」
毒づく声に力はこもっていない。
足は痺れ、動かない。
「いいねぇ、いいねぇ!」
仮面の奥から弾けるような声が響く。
「その強がりが絶望に変わる瞬間を私は待っているんだ!」
タリアは最後の望みにすがるように工具袋へ手を伸ばす。だが、小さな針がひゅ、と飛び、甲に突き刺さった。
「っ……!」
思わず袋を落とす。
手は震え、まともに握れない。
壁際まで這いずり、背を押しつける。血と汗で髪が張り付きながらも、笑みを浮かべた。
「いやー、こりゃ大ピンチだな。手ぇ壊したら、しばらく魔道具作れねえじゃねえか……ったくよ」
血に濡れた顔に、それでも笑みを刻む。
「最高だ! ここですぐに壊すのが惜しいなぁ、もっと楽しみたい!」
モルドが両手を広げる。
「じゃあ、タリアさんが、最高に楽しいショーをしてやろうじゃないか」
タリアは痺れる体を無理やり起こして
モルドに話しかける。
「なんだ?今は君のおかげで最高の気分だ!聞いてあげようじゃないか」
タリアはポケットに指を滑り込ませた。
そこには小さな金属筒――開発中の魔道具がある。あの日、ワンダリンググリムに襲われ、カイに救われた夜から作っていた、自衛のための試作品。
「よく聞けよ、変態ヤロー。これはタリア様が開発中の魔道具だ。まだ欠陥品でな。起動すりゃ回転しながら、三百六十度に金属片を撒き散らすクソ仕様だ。どこに飛ぶかはランダム。私とお前、どっちが運がいいか試してみようじゃないか」
モルドは仮面の奥で嗤った。
「やってみろ。どうせハッタリだ。仮に本当でも、俺は避けられるし、お前の方が先に死ぬ。そんなもの賭けにもならない。頭のいいお前なら一番その事を分かってるだろ?シラケさせないでくれよ」
タリアの笑顔がすっと消え、
仮面の男は逆に笑みを深める。
そして――。
「残念。そういう分の悪い賭け、大好きさ!」
タリアはためらいなく魔道具を起動し、自分とモルドの間に投げ放った。
「ルーレット、スタートだ――」
直後、眩い閃光と轟音が岩場を呑み込む。
光の奔流の中で、仮面と笑顔が交錯し、断崖は爆ぜるように震えた。




