第7話「魔の山へ」
街道を外れて北へ折れた先に、小さな村があった。
屋根は藁で葺かれ、畑は痩せ、子どもたちの頬はこけている。
商隊の荷車から小麦袋を降ろすと、村人たちが押し殺したような声で礼を述べた。食糧が不足しているのは誰の目にも明らかだ。
俺はふと横に立つミラを見た。
彼女はその光景を当たり前のように見つめ、ぽつりと言った。
「……私の村も、こんな感じなんだ。ううん、もっと酷いかも。ここ2年は干ばつが続いてるみたいだし、畑もどんどん痩せていく」
振り返った瞳は、笑おうとして笑いきれずに揺れていた。
「寒村じゃ食べ口が多すぎると冬を越せないの。だから……口減らしに、私は2年前に自分で志願して商隊に入ったの。小さな子が売られたり、捨てられるなんて耐えられない....」
強がってはいるがミラもまだ17歳。
つまり、商隊に入ったのは15歳くらいだ。
いつも笑顔で誰にも優しいこの子は決して見せないが、つらいことも多いだろう。焚き火の煙に紛れるようなミラのその声が、ソウマの耳に強く残った。
その夜。
商隊は“魔の山”の手前で野営した。
黒脈山脈の尾根にあたるその峠は、常に強風が吹き荒れ、街道の崩落や倒木なども非常に多い難所。さらには禍石と呼ばれる魔法を阻害する鉱石が濃く魔法すら乱れると聞く。
「ここじゃ、魔法が当てにならない場合もあるからな」ザイルが唸った。
ここまでの道中で、ザイルの土魔法は、戦闘はもちろん整地が不十分な街道を進むなかで、地面を均したり、脱輪から抜け出したりと大活躍していた。
そのたびに行われる
「土木魔法は便利だな!」「土木じゃねえ!」というやりとりはこの商隊の定番のようだが....
そんな、いつもは軽い感じのザイルも気を引き締めている事から、ここからはかなりの難所である事は容易に想像できた。
護衛たちはお互いを励ましあうが、不安は拭いきれず、空気は重かった。
俺は焚き火のそばで、リーナに問いかけた。
「……赤字になるだけだろう。なぜ、そこまでする」
リーナは片眉を上げ、手にした瓶を火にかざした。
「損しかない道を選ぶ奴は馬鹿だと、そう言いたいか?」
「経済合理性がない。そういうものだろ?」
「市場は冷たい。だから商人も冷たくなきゃ生き残れない――そう思うか」
彼女は笑いを消し、火を見つめて語り始めた。
「父さんは変わり者の商人だった。儲けの種を見つける腕は一流なのに、損してでも必要な奴に物を渡した。儲けはそうやって消えていく事も多かったみたいだ。母さんは護衛の冒険者で、そんな父さんを“甘い”ってからかってた。……でも、その甘さが村を救い、人を繋いだんだ」
焚き火がぱちりと弾ける。リーナの声は熱を帯びていく。
「けど父さんは、貴族の顔色を読めなかった。いや読めていたが自分の正義を最後まで押し通したんだろう。そしてその誠実さを貫いたせいで商会は潰され、最後は病で倒れた。最後まで優しい父さんだったよ。母さんも間もなく逝って、残ったのは私と、借金と、壊れかけた小さな商隊だけ」
彼女は空になった瓶を投げ捨て、立ち上がった。
炎の影が背丈を大きく揺らす。
「父さんは失敗したのかもしれない。商会はつぶされ、結果として人も救えなかったんだからな。それでも私は父さんのやり方を捨てない。 金は算盤で数えられる。でも、それだけじゃ足りない。 人の声も、苦しさも、涙も、一緒に数に入れるんだ。」
「金は国の血液だ。血が滞れば死ぬし、巡れば蘇る。
商人は国の心臓。誰よりも働き、誰よりも遠くまで血を送り届けるんだ」
声は風を裂き、野営地を震わせた。
護衛たちが思わず息を呑む。
リーナは拳を握りしめ、胸を張った。
「私は誰よりも稼ぐ! 誰よりも人を助ける! 誰よりも金を使って、誰よりも笑う! ただ稼ぐだけじゃない、ただ稼がせるだけじゃない。その先にあるものを、誰よりもでっかく生み出してやる! それが、私の商売だ!」
尾根を吹き下ろす風に負けぬ声。
夜空の星々に挑むようなその宣言に、誰も何も言えなかった。
俺はただ短く答える。
「非効率だ」
「だろうね。でも、それでも進むんだよ!」
言い切ってから、リーナはふっと笑った。
「……ま、こうやって吠えてる私を見て“馬鹿だ”と思うやつもいるだろうけどね。けど、それならそれでいい。馬鹿の方が商売は強い」
肩をすくめて背を向けるその姿に、火の粉が舞った。
熱さと軽さ。誠実と豪胆。その両方が彼女という人間を形づくっていた。
そして、そんな彼女に惹かれて集まるこの商隊は特殊な集団なのだろう。
「どうりで変なやつが多いわけだ、理解したよ。」
翌朝。
山の稜線の向こうから、風が唸りを上げて吹き下ろしてきた。
禍石を含んだ灰色の岩肌が鈍く光る。
“魔の山”――その名に相応しい威圧感だった。
理念を掲げる商人と、何も持たない異郷人。
その差は険しい尾根よりも深い。
だが俺は、不思議と彼女の背中にだけは、風を遮る力を感じていた。
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