第70話「切り札を携えて」
翌朝の山裾。空はすでに白く焼け、馬車の幌に熱気がこもっていた。
ミラは手元の通信機を握り、魔力を通す。――しかし、魔法陣が上手く組み上がらないためか通信機は沈黙を続けた。
「……やっぱり駄目」
彼女は小さく息をついた。
「やっぱり昨日のうちに、もう一度連絡しておけばよかったかな…」
ミラとタリアは、あの話以降に親密度が増して、昨晩も親友のようにたくさん話をしていた。ミラはそれが楽しくてしょうがなかった。
(いつもなら昨日の夜にソウマさんに連絡していた。タリアとの話で浮かれちゃった…)
少しくらい雰囲気のミラの隣で工具を整えていたタリアが、ぱんと掌を打つ。
「気にすんな! 問題があればミラが気付いてるだろ? そうじゃないなら大丈夫。――行こうぜ!」
声は軽いが、背筋は山へまっすぐ伸びている。
カイは剣を抜き、軽く肩を回した。
「身体強化……なんか、効きが鈍くなってる」
「禍石の濃度が濃くなってる。魔の山ほどじゃないけど、少しずつ魔力に干渉してる」
ミラが測定具を見て頷く。
「俺もだ」
ザイルは両手で小さな魔法陣を組んでみせる。淡い光は立ち上がったが、形を固めるまでに数呼吸を要した。
「発動はするけど、組み上げが重い」
「慎重に行こう」
カイが言い、ザイルも頷く。
四人はそれぞれに確認を済ませ、馬車を進めた。通信は沈黙を続ける。山の影は濃くなり、谷から吹く風はひやりと湿っていた。
――そのころ、街の宿。
扉を叩く大きな音にリーナが顔を上げた。開けば、ダンカンとルッツが立っていた。
「遅れてすまん!」
ダンカンの声は大きい。
鎧には旅塵がまだ乾いていない。
「道中、検問だの関所だの……公爵派の嫌がらせが露骨すぎる。荷を止められ、商隊の通行も締め上げられてた」
ダンカンがもうウンザリだと言わんばかりに声を荒げた。
「リーナ殿、遅れてすみません。なぜここまで嫌がらせのように時間を使わされたか理解に苦しみます。」
ルッツも眉間にシワを寄せる。
リーナは舌打ちした。
「なるほどな。この領は公爵に食われかけてる」
「この街に入ってから、ずっと尾行されてた。そいつらを締め上げたら、探索に向かったタリアを狙っているって話だ。向こうにはカイとザイルもいるが、モルドって名が通った暗殺者が雇われてる可能性が高い…」
ダンカンは頷き、拳を固める。
「交渉は任せる。だが俺は探索組が心配だ。禍石の多い地帯に入る前に追いつきたい」
「ダンカン、私も行く」
サラがきっぱり言った。
「あの子たち、治療役がいないでしょう」
「助かる。すぐに出るぞ」
ダンカンとサラは荷をまとめ、馬を引きながらすぐに西門へ向かった。
俺は机の上の冷却箱を指差した。徹夜で仕上げたものだ。
「俺たちの切り札だ。どこまで効くかは分からないが、少なくとも領民の心には届くはず」
ルッツは、帳面を閉じると静かに口を開いた。
「私は、もう少し街を探りたい。倉札や荷の流れを洗えば、どこから公爵の影が差してるか見えてくる。ウォーレン子爵様はお優しい方です。単純な利益だけで動いているとは思えない。何か裏にあるのでしょう、それを探ります」
リーナは頷き、
「街に着いたばかりなのにすまないね。しかし時間もあまりない。申し訳ないがもうひと働き頼む」
とルッツに頼んだ。
「護衛はコハルをつけよう。探りを入れるとなると、あんたを一人にはできないからな」
コハルが腰の鞭を鳴らして笑う。
「はいはい。任された」
「お嬢さん、よろしくお願いします。ソウマ殿、また後ほどお話をお聞かせください。それでは私は行って来ます」
ルッツは丁寧に挨拶をしてから部屋を去る。
部屋に残されたのはリーナと俺の二人になった。
その後も二人でどのような交渉をすべきかを練り上げていく。
そこへ、部屋の前で止まる足音。二人に少しだけ緊張が走る。ゆっくりと扉を開けると、そこには子爵家の紋をつけた使者が立っていた。
「子爵様が直々にお会いしたいと申されております」
リーナはソウマに目をやる。
「行くか。準備はできてるな?」
リーナは部屋を出る前に、ルッツへの伝言を残す。
『子爵邸に呼ばれた。メモを見たらすぐに子爵邸まで来てくれ』
ソウマは試作品の冷却箱を抱えた。
二人の影が、街道の石畳を渡っていく。門の向こう、白壁の屋敷が午後の光に沈んでいた。




