第69話「張り巡らされた監視」
昼下がりの城下は、熱と声で満ちていた。
乾いた粉塵の匂い、焼いた肉の脂、並ぶ果実の甘い香り。宿場町の幹に沿って露店が連なり、荷車がきしみ、掛け声が飛ぶ。
リーナは歩幅を緩めず、帳面を片手に商人の群れを縫っていく。
「穀倉の搬入口はあっちだな。肥料を置ける倉口は……二つ。どっちも公爵側の商会と太い。くそ、根が深いな」
口調は荒いが、視線は冷静だ。相手の袖口、腰帯の結び、背中の埃――どこの倉と行き来しているかを、彼女は一瞥で見抜いていく。
ソウマは宿に残り、サラと共に静養しつつ、簡易実験の準備をしていた。
卓上には試作の冷却箱、秤、濾紙、瓶。
「傷は?」
サラが包帯を押さえながら訊く。
「まだ痛むが、かなり動けるようになった」
窓辺で光を調整し、濾紙を折る。
視線がふと、
通りを行き交う人の影に引っかかった。
幌で顔を半分隠した男が二度、
宿の前を往復する。
足音がリズムを持たない。
不自然な動きに違和感を覚える。
見られているのか…?
コハルは別行動で、身軽に屋台の評判を集めながら、背中にまとわりつく視線を数えた。
(しつこいな。二、いや三人か。入れ替わりで張りついてきてるな)
串焼きを受け取り、わざと大きく齧ってみせる。
「この店、美味しい~」
ときゃらきゃら笑い、横目で尾行の癖を測る。
右足に重心、左に膝の古傷……
(走らせれば差が出るな)
夕刻、広場の隅の水場で、リーナが地図を広げて、コハルと話をする。
「見ろ。子爵家の執政ライン、ここで公爵系の商会と噛み合ってる。倉庫の鑑札も、あっちの判だ。伯爵派はかなり扱いが悪くなってるな」
ページをめくる指が止まる。
「そして、“誰か”が私らの動きを追ってるようだ」
リーナの視線が、さりげなく群衆の端へ滑る。
視線の先、陶器売りの棚影でひとりが、汗を拭うふりをしてこちらを見た。次の瞬間、彼は目を逸らし、人混みに溶ける。
「探るか」
リーナが短く告げると、コハルが頷いた。
「任せて」
コハルは露店の庇をひょいと踏み、細い路地へ滑り込んだ。
手形のように積み上がった木箱、裏口の樽、洗いざらしの布が風に揺れる。
足音が一つ、二つ、追ってくる。
(三人……)
路地の角で彼女は立ち止まり、振り返る。
「ねえ、私に何か用?」
先頭の男が顔を強張らせ、下卑た笑みを作る。「迷子の嬢ちゃんを案内に――」
「やめとけ。舌が回ってるうちに、逃げればよかったのにな」
コハルは石畳を二歩蹴り、壁に掌をつくと反転、そのまま先頭の膝裏に足を絡めて崩した。
ひゅ、と小さな悲鳴。
次の男の手首を取り、肘をきめる。
肩が嫌な音を立て、その男の右腕は使い物にならなくなる。立ち上がった先頭の男と、もう1人が抜いた短剣の先が揺れる。
「まだやる気?」コハルは瞬きを一度。
一気に間合いを詰め、足の甲を踏み、肘で鳩尾を打つ。呼吸が一瞬で出来なくなり、その場に前のめりに倒れこんだ。
直後にコハルの鞭が蛇のように走り、最後の一人の喉に絡みついた。もがくほどに鞭は絡みつき、しばらくの抵抗の後、気を失った。
気を失った二人の男たちは砂袋のように積まれ、
右腕を折られた男の横にコハルは膝をつき、
覗き込む。
捕えた男の一人が唇を噛む。「……殺せ」
「お断り」コハルは笑わないで言った。
「誰の差し金?だいたい分かってるけど確認するだけだから、早く話しちゃいなよ」
「舌を噛むなよ。噛んだら、ヒーラーを連れてきてからもう一度噛ませてやる」
笑いのない声だった。
男は数拍ためらい、観念したように吐く。
「……“白い仮面”の男。依頼主は知らない。…」
「白い仮面?」
「っていうとモルドが有名だけど本物?」
コハルがぽつりと呟く。
「噂だけは聞いたことがある。その名に関わった人間は、二度と語れなくなる。……恐怖で、舌が動かなくなるんだって」
男は続けた。
「狙いは……“技術者”。山へ行った女だ。いつ狙うかは知らない!俺たちはお前らが山へ向かわないか監視するように言われただけだ、もう勘弁してくれ!!」
コハルの喉が低く鳴る。
「タリアか」
「コハル!!」
その時リーナがやってきた。
「リーナ!たぶんタリアが狙われてる。有名な暗殺者のモルドかもしれない」
「くそっ」
リーナが吐き捨てる。
(タイミングが悪いな。次の定時連絡は明日の朝。既に禍石の多い地帯に踏み込む可能性が高い。通信できるか?)
コハルは捕らえた男の懐から短い笛を見つけ、鼻で笑った。「これで合図出してたのね。――で、あんたたちの上はどこ?」
男は口を閉ざす。リーナがしゃがみ込み、肩の関節を指でなぞった。
「右肩の癖……剣じゃない、縄だな。運び屋か。なら、あんたの“主”は荷の流れで分かる。倉札の印、逆追いすれば――」
「まあ、いい」リーナは立ち上がる。
「時間がない。もう情報は十分だ。――“白い仮面”、モルド。狙いはタリア。街は思った以上に公爵の網で覆われてるようだ」
捕縛された男たちを衛兵詰所に突き出すと、執政の役人が渋い顔で帳面を開いた。
「自警の域を越えてますね。勝手な乱闘は――」
「“勝手”に絡んできたのはあっちだろが」
リーナは机に手をつく。
「盗賊上がりの怪しい男たちが市場にのさばってる。子爵様の耳に入れてもらおうか」
役人は苦い笑みで濁すばかりだった。
机の角に押された印章は、公爵派の商会の文書に使われるあの独特の色――釉薬が焼けたときの鈍い光沢と同じだった。
「話にならんな」
リーナは踵を返した。ここで話しても何も進展しないことを悟り策を練り直すことにした。
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宿に戻り、4人で情報を共有し、机いっぱいに地図を広げてた。
「今日の朝の定時連絡では予定通りだと言っていた。ミラの性格からして問題がなければ予定は崩さない」
「という事は、やはり禍石の多い地帯に入り込むな。まともに通信できない可能性が高い」
「ミラなら通信障害が起きないところからもう一度連絡してくるかもしれない」
サラが医療袋を肩に掛け、すぐにでも飛び出しそうな顔をした。
「ダンカンが来たら、私とダンカン二人で急いで追いかけるわ。カイとザイルがいるから大丈夫だと思いたいけど、魔法が使いにくい地帯だし、やっぱり心配…」
「その段取りでいこう」
リーナは頷く。
コハルに向かってもらう手もあるが、そうするとこちらの戦力が大幅に下がってしまう。
ダンカンたちとの合流を待つしかない…
探索組に送信機側を持っていかせたのが、裏目に出てしまったか……
「コハル、絶対にリーナから離れないでくれ。そういう嘘の情報を流しておいて、またリーナを狙ってくる可能性も十分ありえる」
俺はコハルにそう耳打ちすると
「うん、次は失敗しない。任せて、ソーマ」
夕陽が屋根の端を朱に染め、長い影を石畳に伸ばした。路地の奥で、誰かの足音が一度だけ止まり、また動き出す。
リーナは窓の外をきっと睨み、
「上等だ」
と吐き捨てた。
「こっちにも切り札はある。冷えた水と、腹いっぱいの麦。――あいつらの大義名分なんざ、喉の渇きひとつで吹き飛ぶ。探索組も心配だが、こちらの仕事はこちらでしっかり片付けよう。今は、アイツらを信用する」
だが、山の向こうで別の刃が研がれていることを、彼女は知っている。
通信機は沈黙を続けていた。
市場の喧噪の裏側で、監視の影が濃くなった。街と山、その両方に張られた網が、きしむ音を立て始めていた。




