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虚晶の賢者――異世界魔法を科学する  作者: kujo_saku
第六章【見えざる刻限】
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第68話「恋の話をしよう」

昼前、山裾へ向かう街道から外れて、馬車は緩やかな下りの獣道を抜けた。木立の隙間に、陽光を細かく砕いて流れる川が見える。岩肌は白く、流れは澄み、川藻の間を銀の稚魚が走った。


「ねえ、止めよう! 暑すぎる。水浴び!」

 タリアが御者台から身を乗り出し、勝手に指さす。返事を待たずにザイルは手綱を引き、馬車を木陰に寄せた。



「おいおい、少しは人目を気にしてくれよ……」


 ザイルがぼやく間に、タリアは靴を蹴り、上着を肩で外すと、よく動くその豊かなラインを惜しげもなく揺らしてそのまま躊躇なく川へ飛び込む。水しぶきが細い虹になってはじけた。



 カイは不自然なほど背中を向け、まっすぐ山のほうだけを見ている。耳まで赤い。


「……涼しそうだな」


「見ない!」ミラが即座に突っ込む。


「見てない!」カイはさらに角度を変えた。


 タリアは振り返って笑う。


「なんだー、別に見たっていいぞ。減るもんじゃないしな。なんなら一緒に入るか?」


「じゃあ俺が――」ザイルが身を乗り出す。


「やめなさい、ザイル!」ピシャリとミラ。


「ちっ、本人が良いって言ってんだから良いじゃねぇか…」


本当に悔しがるザイルと、肩まで水をまとってケラケラ笑うタリア。


川面の反射が頬で跳ね、彼女の笑い声が水輪に混じって広がった。


 しばらくして、流れの浅い場所に腰を下ろして足を冷やしながら、四人は昼の支度を始める。パンと干し肉、少しだけ果物。


タリアがミラの袖を引いた。


「こっち、川沿いで食べよ」



二人は岩をテーブル代わりに

向かい合って腰を下ろした。


日差しは強いが、川から吹く風が心地よい。


 最初に言葉を落としたのは、ミラだった。


「……タリアが羨ましい。ううん、タリアだけじゃない。リーナさんもサラさんも、コハルちゃんも……みんな素敵で。自分は何もないなって、時々、実感しちゃうの」


 タリアが珍しく真面目な顔になる。


「ミラ、恋の話をしようか」


 唐突な提案にミラは瞬きをしたが、タリアの目が冗談ではないと分かると、黙って頷いた。


「私は今はこんなんだけどさ」

タリアはパンを割りながら言う。


「学生の最初のころまでは真面目だったんだ。成績も良くて、男子にもモテモテだったんだぞ。――エルには成績で一回も勝てなかったけどな」


「それ、エルンスト様からも聞いたことがある。『タリアはすごく人気があった』って」


「普通に恋愛相手もいたし、食事したり買い物に行ったり。――エッチなことしたりな!」


「ちょ、タリア!」ミラが真っ赤になる。


 タリアは舌を出して、すぐ空気を戻した。


「でもね、心の中は静かなもんだった。興奮も何もない。ただの惰性。そんな時だ、魔法学校の特別授業で“魔道具”の講義があってさ。一番最初に作ったのが――ただの光る棒」


 彼女は指で空中に棒の形を描く。


「初めて“自分で作った光”を見た瞬間、頭の中がビリビリした。どんな男といるよりも、どんな本を読むよりも、最高に興奮した」


 タリアは腰の道具袋から小さな部品をつまみ上げ、ころりと掌で転がした。


「それ以来、私の心は魔道具でいっぱい。人の目も、結婚相手とか、学校の序列とか、誰にどう思われるかとか。そういうの、ぜんぶ捨てた。捨てたらさ――脳がバーンって解放されたんだよ」


 彼女はにやっと笑い、掌の部品を掲げる。

「私の恋の相手は、今はコイツ」


 ミラはしばらく川音だけを聞いてから、ぽつりと言った。


「……分かった気がする。どうしてタリアが魅力的なのか。――リーナさんやサラさん、コハルちゃんも、きっと同じ。自分の“好き”に正直だから、まっすぐで眩しいんだ」


「で、ミラは?」


「私は小さい頃から、人目ばかり気にして……。うまくやることばかり考えてきた気がする。だから、自分には何もない、って」


「違うな」タリアは即答した。


「個性が“ない”人間なんていない。結局は、何を観るか。ないところを観れば“ない”し、あるところを観れば“ある”。ミラには、たくさんある」


「……うーん、よく分かんないや」


「じゃあ、実験する?」

タリアが肩をすくめる。


「商隊の“女子人気ランキング”アンケート。私の予想では80%くらいミラに票が入るな。私はたぶんゼロだ! がははは」


「えー、そんなことないよ。私に票なんて入らないと思う」


「そこだけは観えてないんだな。よく見てみろよ。昨日、街でミラがカイを買い物に誘っただろ?あの時、うちの男連中の半分はため息ついてたぜ。笑えるわ。ちなみに、私へのお誘いはゼロだ!」


 ミラは思わず吹き出し、手で口を覆った。


 タリアは指を一本立てる。


「それにさ、ミラはいつも“みんなのバランス”をとってくれる。ミラがいるから、これだけ癖の強い集団がまとまる。ソウマだって、ミラの判断は信頼してる」


「……そうかな。だといいな」


「でもさ、タリアは男の人が嫌いなわけじゃないでしょ? むしろ積極的にも見える。どんな人が好きなの?」


「そうだな!」

タリアはパン屑を払って上体を起こす。


「馬鹿は嫌いだ。議論できないヤツはいらん。――そういう意味じゃ、ソウマはいい。見た目も結構好みのタイプだ!」


 ミラの口がとがる。


「冗談だよ、冗談」

タリアは苦笑して両手をひらひらさせた。


「でも、火事からリーナを助け出したのは反則。あんなことされたら、どんな女でもイチコロだぞ。流石の私もちょっとグッと来た。――反則だから、ノーカウントだけどな」


「タリアって、やっぱり正直だね。そこは本当に羨ましい」


「いいか、ミラ。正直と、“何でも口に出す”は一緒じゃない。口に出すことで心が整う時もあるけど、大事なのは“自分の心に自分が正直か”だ」


 川風がふっと吹き、ミラの髪が頬にかかる。


「……うん。私は私、だね。ありがとう。――こんな話、誰かとしたの、初めてかも。なんか、スッキリした」


「うーん、いい笑顔だ。これで90%はミラだな……」


 タリアはそこで言葉を飲み込み、視線だけを川下へ滑らせた。


(まあ、自分の心なんて、本人にも分からないことが多いけどな。私から見れば、ミラの視線は――ソウマじゃなくて)


 浅瀬の向こうで、カイが剣を抜いて素振りをしていた。肩の可動域を確かめるように、ひと振り、またひと振り。


その後に瞑想をするように座って目を閉じる。水面に伸びる影が刃と一緒に揺れ、ザイルが丸石を跳ねさせながらそれを茶化す。


「おーい、昼寝する暇があったら素振りを十本増やしとけー」


「お前こそ土木魔法のイメトレでもしてろ」


「違ぇっての!」


 笑い声と水音が重なり、川は変わらず清らかに流れていた。


 距離は、近づいたり離れたり、そしていつも少しだけ測り損ねたまま。二人は立ち上がり、パン屑を払って、馬車のほうへ歩き出した。



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