第67話「距離感」
翌朝、遠征組は小さめの幌馬車に荷を積み、城下の西門を出た。
ダンカンたちは合流できなかったため、四人で出発することになった。
六人乗りの箱は比較的ゆとりがあり、座面は柔らかい。御者台は交代制――カイ、ザイル、タリア、ミラの四人で順番に手綱を握る段取りだ。最初の御者はザイル、右隣にカイ。幌の内ではタリアが工具袋を膝に抱え、ミラが地図と濃度測定具を整理している。
朝の空気はすぐに熱を帯び、草いきれが車輪の軌跡に溜まっていく。山裾はまだ遠い。代わりに、畦道の向こうで白い鷺が水面を突くのが見えた。のどかな景色に紛れて、四人の視線はそれぞれに忙しい。
「そういやさ」
御者の隣に座るカイが振り返った。
「俺の専用武器、どうなってる? この前の約束、覚えてるよな」
タリアがぱっと顔を上げ、目を輝かせる。
「もちろん! 試したい案、三つある。どれも“カイじゃなきゃ扱えない”やつ」
「おっ、そう来たか。聞かせてくれ」
幌の中で、タリアは紙束を広げた。図面と言うには乱暴だが、彼女の頭の中の熱がそのまま線になっている。
一本目の案は、柄の内部に魔力偏向環を仕込んだ片刃。握りの位置と圧で重心が微妙に移り、踏み込みの速度に合わせて刃の走りが変わる。
二本目は、飛行魔道具で使った虚晶石を応用し、斬り出しの瞬間だけ剣速を跳ね上げる仕組み。
三本目は、鞘ごと衝撃を逃がすスライド固定――抜刀の初速で差をつける仕掛けだ。
「重心が動く? 面白ぇ。つーか、全部すげえ! 全部欲しい!!」
カイは御者台から身を捻り、思わず幌の内に身を乗り出し、タリアの横に陣取る。
「重心はどのくらい変わる?」
「握り圧で二指分。柄の芯が楕円でね、回転させると刃の“前”が勝手に走る感じ。ほら、ここ」
タリアはカイの手を取ると、彼の指を自分の掌に合わせて握り方を作ってみせた。
「この角度で圧をかけて――そう、親指はもう少し寝かせる。肩は固めない」
彼女は迷いなく距離を詰める。指と指、手首と手首、肘から肩にかけての力の流れを、ためらいなく確かめていく。
道具を合わせるときと同じ、必要な距離感だ。カイもまた、男女という枠で捉えない。目は真剣で、頷き方も短い。二人の間に、理屈と体感だけが行き交っていた。
幌の端でそれを見ていたミラは、測定具の針に目を落としながら、反射的に視線を逸らした。
胸の奥が、ちいさくちくりと疼く。理由は分かっている。二人が楽しそうだからだ。
楽しさの種類は知っている――仕事の話、武器の話、速さの話。
自分も混ざれる種類のはずだ。それなのに、今この瞬間だけは、入り込む余地が見つけにくい。
(距離が近くない??べたべたしてる……いや、してない。してないけど―)
ミラは自分にそう言い聞かせ、深呼吸をひとつ置いた。幌の隙間から差し込む光は熱い。
ざらつく木綿の座面に指先を滑らせ、彼女は小さく咳払いして地図をめくった。
「ザイル、進路このままで大丈夫。午前は平坦、午後からは小さな谷が増える。そこで一度、濃度を測るわ」
「了解」ザイルは手綱を軽く鳴らし、馬の耳がぴくりと動く。御者台で背伸びをしながら、ちらりと幌の内を見てニヤつく。
「おいおい、実地で採寸かよ。昼までに刀できたりしてな」
「できるか!」タリアが即座に突っ込み、しかし目は笑っていた。
「でも柄の芯は今夜削る」
「ほんとにやるのかよ」
ザイルが呆れ、ミラが口元だけで微笑む。馬車は小さな橋を渡り、車輪が石畳から土道に変わった。
しばらくして御者の交代。ミラが手綱を受け取り、カイは幌の内に移った。
タリアは腰袋から細い鉄芯を取り出すと、カイの手の甲をもう一度測る。
「こっちは骨。こっちは腱。動く線、動かない線」
「へぇ、そんな細かいとこまで見てんのか」
「見える。道具は使う人の“癖”に合わせたほうが、長持ちするし速い。こっちは好きでやってるから、楽しいよ」
カイは照れくさそうに鼻を鳴らす。
「タリアは何でも楽しそうだな」
「そうだね」
タリアはあっさり認めた。
「楽しいのが一番だ」
ミラは視線を落とし、手綱をぎゅっと握った。彼女の耳に、二人の声の温度が乗る。
なぜこんな気持ちになるのか、ミラ自身にもはっきりとは分からない。ただ、自分の鼓動と二人の楽しそうな声だけが、妙に耳に残る。
「ねえミラ」
タリアが振り向く。
「悪い、針の読み、今の体勢でもう一回だけ見てくれない? “可動域の下限”をカイの手で測りたい」
「……分かった」
ミラは短く答え、いったんザイルに手綱を預けて幌の中へ膝を寄せる。
カイの掌、タリアの指、測定具。三者の距離が一瞬近くなり、呼吸が重なった。ミラは針を見ながら、僅かにだけ口角を上げる。
「数値、取れた。下限は今のでいい。――それより、午後の谷で風が変わりそう。馬車の重心、気をつけて」
「了解。俺には土魔法があるから余裕だ」
御者台のザイルが軽口を飛ばす。
「やっぱ土木じゃん」
カイが笑う。
「違ぇっての」
ザイルは肩をすくめたが、楽しそうだった。
日は昇り、景色はゆっくり山へ寄っていく。
遠くの稜線に雲の裾がかかり、谷からは薄く冷たい風が吹き上がってくる。
幌馬車の軋みは一定で、
四人の会話は断続的に続いた。
タリアは図を畳み、針金をねじり、
時々カイの握りを直した。
ミラはそのたびに数値を読み、地図に小さな点を増やす。ザイルは土の匂いを嗅ぎ、車輪の音で地面の硬さを当てる。
どこかで一羽の鳥が鳴いた。澄んだ声が、まだ柔らかい危機の輪郭を遠くに描いて消えた。
山までの距離はゆっくりと縮まり、掌の距離はふと近く、そして胸の中の距離だけが、誰にも見えないまま揺れていた。




