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虚晶の賢者――異世界魔法を科学する  作者: kujo_saku
第五章【絶望への序曲】
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第63話「開演」

 硬い音が響く。カイの手が、その軌道の前に差し込まれていた。左手の人差し指。その指に、針が深々と刺さっている。彼は眉ひとつ動かさず、ミラを自分の背中へ押しやった。


「へえ」  男が感嘆したように声を漏らす。


「いい反応だ。あのタイミングで間に合うなんてすごいね――でも、その針はね」


 言い終わるより先に、カイは自分の腰のナイフを抜き、ためらいもなく左手の人差し指の付け根に当てた。ミラが叫ぶより速く、指に刃が落ちる。


音は小さかった。皮膚の裂ける感触と、骨が泣く鈍い震動が耳の奥に伝わった。赤が、石畳にまき散らされる。


 カイは口角を上げ、男に顎をしゃくる。


「毒、なんだろ」  


乱れた息の合間に笑う。声はかすかに震えているのに、目は一本の線だった。迷いがない。


血が滴る左手首を、自分の上着で固く縛る。


「カイ!大丈夫!?」


ミラは駆け寄り、自分の服を引き裂き、出血部分を縛った。


カイはミラを一度だけ振り返って、いつもの悪戯な笑みをほんの少しだけ残した柔らかい笑みを浮かべる。


「ミラの命と、俺の指一本、比べるまでもねーだろ。だいたい指なんて、後でサラにくっつけてもらえば問題なし!」


 ミラの目から涙が溢れた。だが、崩れない。泣きながら、彼女はまっすぐ立っている。手は震えているのに、足は地を掴んでいた。


「……馬鹿だよ、カイ」

「うるせえよ」  


短いやり取り。そこに、二人の時間が戻っていた。


“”いいなぁ、いいねぇ””


男がわざとらしく手を叩いた。空気が揺れる。拍手の音なのに、祝福の匂いがしない。葬式で笑う道化の音。薄い氷の上を釘の靴で歩くような不快さが、背骨を這い上がる。


「これだよ、これこれ。観客が見たい“無償の犠牲”。美しいねぇ。台本どおり。””完璧だ””……」


 男は首をかしげ、愉快そうに目を細めた。



「僕の思ってた通りだ。ついに始まる!!役者は揃った!」





 コハルが一歩、踏み込んだ。ムチが半ばまで解かれる。ソウマは肩を当て、低く囁く。


「――ダメだ、まだだ」  


コハルの歯がきしむ。眼の奥で、獲物を見つけた野生の光が燻る。タリアが横から手首をつかんだ。短い目配せに、タリアも頷く。



「さてさて」  


男はひとつ肩を竦め、鼻歌を一小節だけ吐いた。どこの民謡でもない。どこの宗教歌でもない。なのに、聞いたことがあるような気がしてしまう調べ。


こういう音で、人の思考はスリップする。ソウマの思考が、ほんのコンマ一秒、空白を作った。



「ここまで、君たちはなかなか良かったよ。逃げて、飛んで、戻って、助けて。うん、観客は満足してる。演者はみんな汗を流した。裏方も走り回った。拍手喝采だ」  


男は手を広げ、ゆっくり閉じる仕草をした。掌と掌が擦れる音が、やけに生々しく響く。


「――盛り上がってきたし、そろそろ次の幕に行こうと思うんだ」


 コハルの首筋の毛が、逆立つのが見えた。タリアの指が、無意識に腰の工具袋の金具を撫でる。ミラは一歩前に出て、ソウマの横に並んだ。カイは左手の止血を終え、右手の剣の柄に指を添えた。重心が落ちる。踏み込みの前。空気の密度が、呼吸のたびに変わる。



「で、君たち三人――四人かな? それとも、後ろの数人も含めるべき? まあ、いいや。――」


“”君たちが世界を破滅に導くんだ。世界はもっと“鮮やか”に散っていく””



「お前、名前は?」  


ソウマが訊いた。必要な問いだけを、必要な数だけ投げる。


「舞台に上がる前に、役者は名乗るべきだ」


「名前? “”名前””ねえ」  


男はしばらく考えるふりをした。眉間に皺を寄せ、唇を突き出す。やがて愉快そうにうなずく。


「僕は舞台に上がらない。だから名前もない。でも、君たちが不便するといけないからね。僕はこう呼ばれていた、コードネーム:λ(ラムダ)83」  口の形だけで言うような発音。舌がどこにも触れず、声帯だけがくぐもる。名前というより、合図だ。



「覚えたぞ」  

ソウマはそれだけ言った。覚えた。忘れない。


「よーし、名前も紹介できたし。――では、僕は次の準備をすすめるとするよ、もう行くね」  


「ねえ、ソウマ」  ラムダが親しげに名を呼ぶ。耳障りな親密さ。初めて会ったのに、旧友みたいな距離で肩を抱いてくる男の匂い。


「君はこの世界を滅亡させる。それが分かっていても、君はそれを止められない。」


“”君の欲望が…知りたいという純粋な心が!!世界を、飲み込むんだ…””


カイが、俺とラムダの間に割って入る。


「何言ってやがる。お前なんかと先生を一緒にすんじゃねー」


「リーナ姉、先生。俺は今、コイツを斬るぞ。今やらなきゃ..コイツは絶対にヤバい!」


 俺は低く言った。


「頼む」



 カイが頷き、半身に構える。コハルがムチを握った。


「リーナ、立てるか?離れるぞ」

「……立てるよ。立てる」


 足をつく。少し痛む表情。だが、目は笑っている。


「ソウマ、ありがと」


「礼は後だ」  


俺は視線を戻す。ラムダの輪郭が、焔の向こうで歪む。熱で揺れる映像。実在なのか、像なのか。だが、吹き矢は実在だ。毒も実在。血も、痛みも。


「今日は、このくらいにしようか。――主役の退場は、少し引っ張ったほうが客の胃袋に残るんだ」


 ラムダが踵を返しかけた、その時だった。


「待て!逃すか!!」


 コハルの叫びは、獣のそれに近かった。ムチが閃く。止める間もなかった。解かれた刃のような軌跡が、空を切り裂く。


 ムチは、ラムダの肩口へ――届かない。届く寸前で、横から伸びた素手にからめ取られた。音はほとんどなかった。ただ、空気が一瞬“止まった”。


次の瞬間、コハルの手首に強烈な反発が走り、半歩だけ引き寄せられる。


 群衆の影から、一人の男が一歩進み出る。大柄。だが、何より厚い。刃物で削ったみたいに無駄がなく肩の線が美しい。左の袖は、肘のあたりで空しく、風に揺れていた。――片腕。


カイが片腕の男に目もくれず、ラムダに真っすぐ剣を振り下ろす。


しかし、ワンダリンググリムを両断するほどの剣はコハクのムチを抑え込んでいる隻腕の男に、あっさりと受け止められる。


「真っすぐで迷いのない良い太刀筋だ。しかし、まだまだ若いな」



 ラムダが、肩越しに楽しげに言う。 「紹介するよ。僕のお気に入りの“舞台監督”。――名前は、まだいいや」

 

しかし、リーナが息を呑み、唇だけで名を形作った。「ゲオルク……?」


 ――帝国最強の剣。五年前、突然姿を消した、あの――



 男の目が、リーナの口の形を読んだかのように、ほんのわずかに細まった。否定も肯定もしない。ただ、そこに立っている。片腕で十分だと言わんばかりの、揺るがない重心。


 コハルが再び踏み込みかけるが、男の威圧感がそれをさせない。コハルは歯を食いしばり、ムチの柄を握る手に力を込めた。本能的にカイと二人がかりでも倒せない事を悟らされる。


 ラムダは満足そうに頷き、踵を返す。


「じゃあ、僕らは行くよ。主役のみんな、次の幕でまた会おう。――忘れないでね、今日の拍手を」


  ラムダは笑い、指を二度、軽く鳴らした。


金属の靴音が二歩。群衆が自然に割れ、路地が一本、生まれる。彼らはそこに消えた。残ったのは、焼けた匂いと、拍手のない舞台の余韻だけ。



群衆のざわめきが消えたかのように、世界は一瞬だけ静止する。



 炎の残滓が赤黒く揺れ、影が舞台の幕のように垂れ下がる。


 振り返りもせず、軽やかに両腕を広げた。

 その声は祝福にも嘲笑にも似ていない。

 ただ、観客のいない劇場に向けて響き渡る。


「――さあ、うつくしく絶望を奏でてくれよ。」

 


“”開演だ!””




第五章 ー完ー


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