第57話「約束の一刀」
ワンダリンググリムの裂けた口が、さらに吊り上がった。
ぎぎ、と軋む音を立てながら腕を振り下ろす――直前で止める。
次は爪を地面に叩きつけ、土砂を跳ね飛ばす。
まるで「逃げ惑う獲物」を弄んでいるかのようだった。
ミラが悲鳴を堪えて後ずさる。
タリアも歯を食いしばり、剣を構えるが汗で手が滑りそうだ。
(……核は右肩だ。そこを壊せれば……いや、どう考えても今の三人じゃ無理だ)
俺は喉が焼けるように乾いていくのを感じる。
脳裏をよぎるのは村での夜。虚晶石を飲み込み、寿命を削って時間を稼いだあの瞬間。
(また俺がやるしか……その間に二人を逃がす)
拳を握る。リーナとは二度と使わないと約束したが、使うしかない。このままでは三人ともやられて終わりだ。
腰袋にある黒い石の感触を思い出す。
ミラが小さく声をかける。「……ソウマさ ん!それは……ダメです。他の方法を考えましょう!」
その声に、決意が傾きかけた――その時。
「任せてください」
聞いた事のない、しかし、どこか懐かしい声が耳の奥に響く。
――風が裂けた。
次の瞬間、背後から疾風のような影。
影から放たれた剣閃は一条の光となり、ワンダリンググリムの肩口から腰へと斜めに軌跡を刻んだ。
ずしん、と重い音。
赤黒い核は断たれ、巨体がぎぎ、と痙攣する。
裂けた口から、笑い声とも泣き声ともつかない雑音が漏れた。
血と黒煙が混じり、まるで壊れた人形のように震えながら立ち尽くす。
数秒――しかし永遠にも思える沈黙。
やがて核が砕け、怪物は重力に従うように膝をつき、二つに割れて倒れ込んだ。
林に、再び静寂が戻る。
ソウマは全身から力が抜け、膝が折れ、地面に手をつきそうになるのを堪えるのが精一杯だった。
(……助かった。いや、違うな。―助けられた…)
血煙と夕陽が重なり合う中。
そこに立っていたのは、一人の青年。
「どう先生? 俺、強くなっただろ。」
鋭い眼差し、強い足取り。
だが笑った瞬間――少年の頃の不器用な明るさだけは、変わらずそこにあった。
「あれ? 反応薄いな?もしかして背伸びたから分かんない?」
その言葉が、林に響いた。頭の中にある声よりも低いが、確かに昔よく聞いた懐かしい声の面影。
ミラが先に震えながら声を出す。
「カイ? カイなの……!?」
「…驚いたよ、カイ。本当に強くなったんだな」
カイの眉が少しだけ下がり、照れくさそうに笑う。
「約束だからな。あの夜……先生に全部背負わせたままじゃ、男じゃないだろ?」
お互い自然と笑みが漏れていた。
タリアは腰を抜かし、地面にへたり込む。
剣を落としたまま、安堵の笑いをこぼした。
「な、仲間か……! 助かったぜ……!」
俺は彼女の横顔を見ながら、心の奥で呟く。
(……リーナが黙ってたのはこれか。全く、いたずら好きめ)
かつて恐怖で剣を抜けなかった少年。悔しさに大声をあげて泣いていたあの夜。
その少年が今、
一刀で“恐怖の象徴”を断ち切って立っている。
夕陽に照らされるその背は、
もう少年ではなかった。
「俺、強くなる」
――その約束の一刀は、あまりにも眩しかった。




