幕間【失墜せし近衛騎士団】
帝国歴三一六年、盛夏。
異郷の賢者が転生する五年ほど前。
帝都では皇帝アウグスト二世の横暴が日に日に増していたと記録に残る。宮廷は賄賂と私欲にまみれ、帝国の礎を支えるべき近衛騎士団もまた、政治闘争の具と化していた。
ただ一人、その中で規律を守り続けた人物がいた。
近衛騎士団長ゲオルク・ディートリヒ。かつては国境戦争で帝国軍を勝利に導き、皇帝を戦場から救い出した功績により「帝国最強の剣」と讃えられた男である。
彼の名は周辺諸国にまで響き渡り、帝国の威光を体現する存在であった。
---
ある日、皇帝は帝都の広場で起きた些細な諍いを口実に、一人の孤児を殺せと命じた。
この命令を受けた騎士団長は、皇帝の御前にひざまずき、こう懇願したと伝えられる。
――「陛下。その子の命の代わりに、この腕一本でお許しください」
多くの廷臣は、皇帝がせせら笑って許すものと思った。
だが、アウグスト二世は愚弄と受け取り、「ならば斬れ」と命じた。
ゲオルクは一瞬ためらい、そして――自らの剣で左腕を断ち切った。
血が広間に飛び散り、廷臣たちが凍りついたと記録される。
それを見た皇帝は激昂し、
――「馬鹿者め! そんな愚直な忠義など不要だ!」
と罵倒し、直ちに近衛騎士団長を解任した。
---
失墜はそれだけにとどまらなかった。
皇帝の命により、ゲオルグの財産は没収され、家族も圧迫を受けた。
彼は帝都を追われ、辺境の農村へ左遷。数年のうちに妻子は病で没し、名誉も立場も家族も、一度に失ったのである。
この処遇に、帝都では抗議が殺到した。とりわけ彼を慕っていた近衛騎士団の有能な部下たちが一斉に辞職・解雇され、団は急速に衰退した。
以後の近衛騎士団は、名ばかりの肩書を持つ者ばかりとなり、かつて大陸最強と恐れられた威光は失われたとされる。
---
英雄の没落は、帝国の人々に深い影を落とした。
だが後年の史料によれば――絶望の只中にあるゲオルクの前へ、ひとりの「影」が歩み寄ったという。
その人物の名は、当時の記録には残されていない。
ただ、後に彼が帝国最強の剣士として、再び歴史の表舞台に意外な形で登場することはあまり知られていない。
いずれにせよ――帝国最強の剣と異郷の賢者の邂逅は、後の時代に大きな転換を与えることになる。
---
『理暦アストレア史』 第一巻・第一節より
編纂:王立史学院
リュシア・フォン=アーベントロート




