第52話「夜明け」
第四章ラストです!
夜明け前。村長宅の広間にはまだ灯火が残り、冷えた空気の中で重苦しい沈黙が漂っていた。
俺は立ち上がり、深く息を吸い込んだ。
「……行くぞ」
短い言葉に、
ミラとタリアは頷き、荷を肩に背負った。
その姿を見つめていたクラウスが、
苦しげに口を開く。
「ソウマ殿……俺は、俺は――」
言葉を詰まらせる彼に、
俺は真っ直ぐ視線を向けた。
「クラウス…逃げるなよ」
静かに、だが鋭く。
「お前の忠義は本物だ。だからこそ逃げるな。……自分の心から逃げちゃダメだ。エルのこと、頼んだぞ..お前は誰よりも強い」
クラウスの瞳が揺れ、膝がわずかに震えた。やがて地に手をつき、声を震わせる。
「必ず……! 必ずお守りします……!」
俺は頷き、村長の前に立つ。
「……ご迷惑をおかけします」
村長は白髪を揺らし、
苦渋の面持ちで首を横に振った。
「いえ。本来なら命を賭してでもお守りすべき恩を頂いております。しかし……私は村を守る者でもある。公爵様に逆らう選択はできません。どうか。どうか、それをお許しください…」
俺は目を閉じ、深く一礼した。
最後に、エルドの前へ。
「……ミラは連れていく。知りすぎてしまっている。本当にすまない」
エルドは驚くこともなく、静かに目を細めた。
「謝る必要はない。ミラはもう一人前の女性だ。それに、俺が止めても結果は変わらないだろう」
わずかな笑みを浮かべて続ける。
「――ミラ、幸せにな」
「ソウマ殿。助けてもらってばかりの身で、こんなことを頼める立場ではないが……兄としての最後の願いだ。妹をよろしく頼む!」
ミラは声を殺して涙を流した。
俺は力強く頷き、その肩にそっと手を置く。
広間の誰もが、俺たちを止められなかった。
怒りも、憎しみも、羨望も越え――ただ「時代が変わる」瞬間を前に、言葉を失っていた。
やがて空が白み始める。
「ソウマ! 準備できたぞ! いつでもいける!」
タリアの声が静寂を破り、
俺たちは村長の家を出た。
外には、男爵軍の見張りが二人立っていた。
「おい! 止まれ! その背中の道具は何だ! 今すぐ家に戻れ!」
見張りは、俺たちが背負う見たことのない魔道具に警戒を露わにする。
だが、耳を貸さず淡々と準備を進めた。虚晶石の魔道具を起動させると、光の翼が展開する。羽音が朝の空気を震わせ、冷たい風が吹き込む。
クラウスは膝をついたまま、声を張り上げた。
「どうか……ご無事で!」
俺は振り返らず、低く呟いた。
「ありがとう」
騒ぎを聞きつけ、さらに兵や村人が集まってくる。
多くの視線が注がれる中、魔道具の翼が低く唸りながら回転を始めた。
空気が震え、土埃が円を描いて舞い上がる。
――押し返される。
翼の周囲だけ、重さが反転するような圧が皮膚にまとわりつく。
背中越しに、ミラが小さく息を呑む気配が伝わった。俺は手すりを握る手に力を込める。浮上前の、ほんの数秒の静寂。
この魔道具が本当に「空を掴む」のか。それとも暴走して吹き飛ばされるのか。
テスト飛行などしていない。
ぶっつけ本番のフライトだ。
だが、行くしかない。
翼がひときわ強く光を吐き、
足元の砂利がふっと浮いた。
瞬間、重力が抜け、身体が宙へと投げ出される。冷たい風が頬を打ち、耳元で空気が裂ける轟音が広がった。
汗ばむ手が手すりを握り、振動が体の奥まで刺し込んでくる。
胸の奥がふっと軽くなり、地を離れた現実に遅れて心が震えた。
「ソウマさん!!!」
ミラが恐怖と興奮に震える声で叫び、必死に背にしがみつく。その体温は、冷気にさらされる頬とは対照的に鮮やかで生々しい。
視界いっぱいに赤金色の朝焼けが広がる。
冷たい大気を切り裂きながら昇ると、東の光が瞳を刺した。
涙が滲む。その痛みすら、新しい世界を告げる印のように思えた。
「うおぉぉぉ! 本当に飛んでる! 空だ、空だぞソウマ!!」
隣でタリアの叫びが風を切って届く。
立ち上がりそうな勢いで両腕を広げ、涙を浮かべながら笑い、空気を全身で浴びていた。
「ははっ……! 最高だ! こんな日をずっと夢見てたんだ!」
それは喜びというより、理解が追いつかない領域に踏み込んだ者の叫びだった。
「これ……本当にやっちまったんだな……!
魔法でも伝説でもなく、いまこの瞬間、
誰もやれなかったことを自分たちが――!」
「すげぇ……すげぇよソウマ……
今日のことは、きっと何百年先まで語り継がれる……!
世界が変わっちまったぞ……!」
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村長は震える手を胸に当てたまま、声を失っていた。
「……空を……飛んでいる……」
エルドは拳を握り、妹の姿を見上げていた。
誇りと恐れと、言い知れぬ寂しさが胸を締めつける。
「……ミラ……」
その声は風に飲まれ、届かない。
だが眼差しは、送り出す兄の覚悟そのものだった。
男爵兵たちは盾を構えたまま凍りつき、槍を落としそうになっていた。
「人が……空を……」
コンラートは宿舎から出てきたところだった。視線の先で起きている現実を見て、瞳がわずかに見開く。
すぐに表情を整え、口元に冷たい笑みを浮かべた。
「……なるほど。これが“異郷の英雄”か」
その目は、驚きではなく獲物を見定める狩人のそれだった。
空は赤金色に染まり、夜と朝の境界が溶け合うように広がっていく。
翼は黎明を切り裂いて舞い上がり、地を離れた者だけが味わえる自由を刻み込む。
頬を裂く風は冷たく、肺を焼くほど新鮮な空気が流れ込む。
村が遠ざかるほどに、全身を震わせる恐怖と同時に――胸の奥で熱が燃えた。
東の地平を破るように、夜明けの光が差し込む。
空は朱に染まり、雲は金で縁どられ、大地は淡い影を引きずっていた。
その光景は、まるで新しい時代の到来を告げているかのようだった。
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-『師匠、本当に人間は変われるのでしょうか?』
『視線が違う。前ではなく後ろを見れば、変化は自然と見える』
-『やっぱり分かりません』
『ではこうしよう。もし“自分は変わったのかもしれない”と感じたら、後ろを見てみることだ。そこに答えがある』
-『では、前には何もないのですか?』
『過去は振り返れば軌跡となり、未来は見据えれば道となる。よいか。空白を恐れるな。希望と絶望を共に抱え、恐れず、ただ歩み続けた者だけが、その白紙に名を刻むのだ』
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東の空を貫く朝焼けを見据え、俺は小さく笑った。
……師匠。俺は歩みます。
恐れず、この空白に足跡を刻んでみせます。
未来がどんな形で待っていようとも。
声は風に溶け、誰に届くでもない。
だが、その言葉こそが――新たな時代への第一歩だった。
村人たちはただ呆然と見上げていた。
誰も声を発することなく、ただ一つの感情だけが胸を満たしていた。
――時代が、変わる。
それは恐怖か、希望か。
答えはまだなかった。
だが彼らは確かに目撃した。
“人が空を飛ぶ”という、歴史を分ける瞬間を。
信じることの罪があった。
決別の朝があった。
それでも、夜明けは等しく訪れる。
人が空を見上げ、恐れを超えたその瞬間に
――時代は変わる。
第四章 完
ここまで読んでくださってありがとうございます!
――次回は 明日22:00
幕間を一話挟んで
第五章【絶望への序曲】に突入します!
逃走の果てに訪れた、束の間の再会。
だがその温もりを嘲笑うかのように
救いと絶望が交錯する中、ソウマは“彼”と出会う。
名をラムダという男。
彼が告げるのは祝福でも嘲笑でもない。
ただ静かに、開幕を宣言する。
その言葉を合図に、この世界は音を立てて動き始める。
絶望という名の序曲が、今、始まる。
――その中でソウマたちが取る行動は……
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